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社会を変革する「捨て石」であれ 【経済学部 岡室 博之先生】

記:2019年3月11日

今回インタビューしたのは、一橋大学 経済学部長でもある岡室 博之先生です。芸術家・外交官という夢を描きながらも、1つの本」をきっかけに「一橋大学に入学し、学者になる」と決意し、実現されました。

研究者となった現在の夢の一つは、「捨て石」になる覚悟をもった学生を育てたい、とのこと。

インタビューでは、「芸術家ではなく、なぜ学者を志したのか」「どんな学生にゼミで勉強してもらいたいか」「捨て石に込めた、一橋の学生へのメッセージ」を伺いました。


■芸術家を目指した少年時代 一冊の本が進路を変える


――本日はよろしくお願いします。まずは先生の学生時代について教えて下さい。

小学生のころは本を読んだり、絵を描くことが好きでした。私は生まれは大阪の町中でしたが、小学生の頃に大阪の田舎に引っ越しまして。家の周りは田んぼばかりで、あぜ道が続いているようところでした。スポーツがそこまで得意ではなかったので、外で駆け回るよりも、家の中で遊ぶことが好きでしたね。

――そうだったんですね。小さいころの夢はありましたか。

その頃は、芸術家や音楽家に憧れがあったんです。かなり早い時期から、将来のことは考えていました。というのも、実家は祖父の代から自営業をしていて、関西で中小企業を経営していたんですね。「家業を継げ」と父から言われたことはありませんでしたが、私が長男ということもあって、プレッシャーはひしひしと感じていました。

「自分の性格からすると向いていないし、もっと違う仕事に就きたい」と思っていて、作家や絵描きのような、創造的な仕事が魅力的に見えたんです

――中学生に上がり、心境の変化はありましたか?

文章を書いたり絵を描くことは好きでしたが、「自分の力量では、とてもピカソのような画家にはなれない」と気づきました。そのあと、外交官という職業に興味を持ちました。中小企業を営んでいた実家とは対照的な、国際的で華やかな世界に見えたんです。

「よし、外交官を目指そう」と思ったものの、自分の周りに外交官になった人はいないわけです。そこで、外務省監修の『外交官』という本を読んでみたら、「ああ、自分にはこの世界、向いてないな」と思ったんですね(笑)

ー紆余曲折があったんですね。その後、一橋大学に入ろうと思った理由はありますか。

中学に入ると、周りの学生がとても優秀でした。1番の親友は父親が京都大学の教授をされていて、話を聞いてるとなんだか素敵なんですね。彼らから影響をうけて、研究者への興味を持ち始めました。

そして高校2年生の秋にある本を読んで、感銘を受けました。東京商科大学で学び、後に一橋大学の学長にもなった増田四郎先生の著書『大学でいかに学ぶか』です。

この本には一橋大学のゼミナール教育のことも書かれていて、「増田先生のような研究者を育てた一橋大学に行く」と決めたんです。その頃から薄々と、「自分は一橋大学を出て、研究者になる」という夢はもっていました。

――先生は、その本のどこに心を揺さぶられたのでしょうか。

その本には、こんなことが書かれていました。

「大きなダムも、蟻の穴で崩れることがあります。(中略)自分にはここまでしかわからないが、論証ができるものを見つけていく。それは蟻の穴ほどの小さなことかもしれません。しかし、その小さなことに全力でぶつかって、できる限りのことをやって次の人にバトンを渡すという、いわば、捨て石になる勇気が大きな仕事につながっていくのです。」

1人1人の力は僅かだけど、1人の力があるからこそ学問体系は変わるのか、と。先生のその言葉に、非常にインスピレーションを受けました。歴史学を専攻していた増田先生の影響もあって、一橋大学に入ったころは、歴史学者になろうと思っていました。

■自分の専門分野を探していた学部時代

――高校生の頃から、自分の将来を考えていたんですね。大学に入り、増田先生との交流はあったのでしょうか。

僕が一橋大学に入った頃、増田先生は既に一橋を退官されていて、国分寺にある東京経済大学で理事長になっていました。大学に入ってすぐ、東京経済大学の事務室にいきなり行って「理事長に会わせて下さい」とお願いをしたんです。そうしたら、先生のご厚意で国分寺にあるご自宅に招待してくれたんです。本にサインまでしてもらいました(笑)

――行動力がずば抜けてますね。

「私も歴史家なりたいんですよ!」とか言ったりしてね...結局、経済学者になったんですけどね(笑)昔のいい思い出です。

――増田先生も嬉しかったと思います。念願の一橋大学に入ったあと、肝心の勉強はいかがでしたか?

「文学部の歴史か経済学部の歴史、どちらにしようか」と悩んだものの、増田先生の影響もあって経済学部を選びました。大学の授業を最初に受けたときは、びっくりしましたね。高校で学んでいた経済と、全然違うわけです。

「これは、難しいな」と思って、すぐに大学での勉強方法を変えました。最初の1・2回目の授業はしっかり出席する。そして教科書通りだと思った授業は出ずに、独学をすることにしました。

自分の好きな授業や、必修の授業以外の時間は、ひたすら図書館の閲覧室にこもり、教科書や参考書を片っ端から読んでいました。当時は主流の経済学に対して、いろいろと批判的な考察が出てきた、いわば転換期だったんですね。乱立している分野の中で、「どこに自分の専門分野は隠れているんだろう」と考えながら、毎日閲覧室で探していました。

――試行錯誤されていたんですね。大学の授業以外に、ゼミではどんなことを学びましたか?

正統派の経済学に疑問もあったし、専門的過ぎるテーマにのめり込む自信も無かったので、経済発展や企業研究を広く扱うゼミに入りました。あとで分かったのですが、その先生はイギリスの中小企業の研究をしていました。周り巡って今の自分の研究テーマも中小企業研究なのは、何かの縁かもしれませんね。

――実は共通点があったんですね。その他に大学で印象的だった思い出はありますか。

毎年新しい語学をやろうと決めていて、1年生のときはドイツ語、2年生のときはフランス語、3年生のときはロシア語、4年生のときはラテン語を勉強していました。それぞれの先生の個性が違っていて、面白かったです。

実は、大学で1番影響を受けたのはドイツ語の先生たちです。当時はドイツ語のグループで3日間、合宿をしていたんです。個性的な先生方と一緒に、ドイツ語漬けで楽しく学びました。本当にお世話になり、僕が先生として一橋に戻ってからもお付き合いは続きました。

――そうだったんですね。ドイツ語の授業は何が面白かったのでしょうか。

ただ単にドイツ語を学ぶだけではなく、ドイツの文化や、社会・経済についても学ぶわけです。教えていただいたドイツ人の先生は、フランクフルトで哲学を専攻していて、ハーバーマスという有名な哲学者のお弟子さんでした。

先生は日本の学生に関心をもってくれていて、授業でもドイツ語で優しく議論を進めてくれました。あるときは、ドイツと日本の社会や政治を比較したり。別の日には、ドイツ語のジョークを教えてくれるのですが、ただ面白いだけではなくて、「なぜこれが面白いのか」を社会的・文化的な背景から教えてくれたんです。

――知的好奇心をくすぐる授業ですね。

そうです。「次の授業までに、みなさんもドイツ語でジョークを作ってきて下さい」とか言われたりしてね。現在、私が研究しているテーマとは全く異なる分野だけど、すごく面白かった思い出です。それもあって、アメリカやイギリスではなくて、ドイツに行こうと決めたんです。

当時はインターネットもないので、ヨーロッパの情報は日本になかなか入ってこなかったんですね。それなら自分で現地に行き、データを集めてこよう、と。ドイツに行ってからも、ドイツの文化や芸術を教えてくれた先生の授業で学んだことは、とても役に立ちました。

■根拠のない自信がなければ、学者はやってられない

――中小企業のテーマに本腰を置いて研究されたきっかけはありますか?

さきほど話したように、もともと歴史が好きだったわけです。ゼミに入ったときも、歴史的な側面から今の経済や企業について研究できればと思っていました。卒論テーマを選ぶときに、私はドイツの近代都市の制度を研究したかったんです。例えばイギリスでは、中世の都市が全てなくなり、新しい都市と入れ替わるわけです。

でも、フランスやドイツは様子が違うんですね。ドイツの都市・ケルンなんて、ローマ時代からあるわけです。ドイツでは中世からの都市が近代工業都市になり、時代とともに都市が変容していくわけです。

いったい、どうやって中世都市が近代都市に変わったのか。これを知っている日本人は、そのとき誰もいませんでした。これを卒論で解明しよう、と思ったわけです。さっそく駅前にある洋書屋さんでドイツ語の本を輸入してもらいました。1万円もする洋書に、なけなしのお金をつぎ込んだわけですが、全く手がかりがないんですね。「これは卒論で書き上げるのが難しいな」と思い、卒論では都市の枠組みの変化ではなく、都市の内部に着目しました。つまり、昔の手工業者がどうやって近代的な工業家に成長したのかを研究することにしたんですね。そこから、私の中小企業研究が始まったわけです。

――なるほど。ドイツの中小企業の研究が、今に繋がっているんですね。

そうですね。それから日本とドイツの比較研究をしていく内に、だんだんと日本経済の研究にシフトしていきました。中小企業の研究というテーマは、学部の卒論時代から30年間以上変わってないですね。

――振り返るときれいな「線」のように繋がっているように見えます。当時は将来についての見通しはありましたか?

見通しはないけど、妙な「楽観」はありましたね。基本的に、研究者は楽観的ではないと大学の先生になれないですね。私みたいに、憧れでもいいんです。最初は、「家業を継ぐ自信がない」という消極的な理由で違う道を選んだわけです。

ただ、大学院に進むか考えているときに、何となく学者になれる気がしたんですよね。 今のように少子高齢化が叫ばれておらず、日本人も大学の数もまだまだ増えていた時代背景もあったとは思うのですが。「自分が好きなことをやっていれば、何とかなるんじゃないか」という根拠のない自信はありました。それがないと、研究者は務まらないし、続かないと思います。

■自分のやりたいことに向き合う人は 輝いて見える

――学生ですと、大学では何をすれば良いのかわからない人も多いと思います。

学部長として言わせていただくと、経済学部に入ったからには、経済学の基礎的な部分をきちんと勉強して欲しいです。けれども、ただ授業に出て先生が話していることを頭に入れるだけでは、勉強がつまらなくなってしまう。もし自分に興味があることを見つけられたら、科目を気にせず勉強しなさい、と言いたい。

それこそ、一橋大学だけでなく、他大学の授業にも出てみて欲しい。きっと一橋では受けられない授業や、会えない先生に巡り合うことができます。貪欲に、ガツガツと、自分の気になることを掘り下げて欲しい。それに応える環境が一橋にはあるはずです。

――ゼミではどんな学生に入ってほしいですか。

まず、ゼミに入る前に経済学に関連する本の書評を書いてもらいます。そのような課題を出すと、「どんな本が良いですか?」と聞いてくる学生もいます。しかし、その質問には少しガッカリします。というのも、その学生が何を学んできたのか、何に本当に関心を持っているかを知りたいから、書評の課題を出しているんです。

――じっくりと、自分のやりたいことと向き合うことが大事なのでしょうか。

そうですね。今の学生を見ていると、就職のプレッシャーが昔よりも強くなっている気がします。同期・先輩、そして親の影響を受けやすく、余裕がない印象です。

先輩の就職先を聞いて、そこに入るためにゼミを選んだり、親に言われたことを守ろうとする学生を目にします。親は自分が学生だった頃の成功体験を持っているわけです。それは、ときに子供を縛ってしまう可能性があります。私は経済学部の五年一貫教育プログラムを担当していますが、「親から反対されたので大学院には行きません」「先輩に、就職に不利になると聞いたので4年で卒業します」という学生の話は耳にします。

しかし、就職のためだけに大学に通うのは、すごく勿体ない。もっと自分のやりたいことを、たとえゼミのテーマから離れてでも良いので勉強すればいい。そこで、「たしかに自分はこれを学んだ」というものを見つけられば、その人の人生にとって良いことだと思うんです。

――「大学で自分は何を学んだのか」...耳が痛いです。

ゼミの面接でも「大学2年間、何をしてきましたか?」と必ず聞くんですね。勉強でも部活でもバイトでも、目的があれば何でも良いわけです。でも、特に何もしていない人もいるわけです。その一方で、大学2年間で自分のやりたいことと向き合っている人は、輝いて見えるんですよ。バイトを一生懸命やっている学生、部活を一生懸命やってきた学生、何か好きな分野を研究している学生も好きです。

ある学生は、「授業にまったく出ていない」というので、何をしているのか聞いてみたんですね。すると、稼いだお金で旅をしていると言うわけです。しかも自転車に乗って世界を回っているのだと。一番思い出に残っている旅先を聞いたら、「ヒマラヤです。」と答えたんですね。そういった、チャレンジングな人は大好きです。そういう人は、「ここぞ」というときに頑張れる人だと思うんです。

今の学生はよく勉強して、授業もしっかり出てくれてありがたい。ただ、大学という環境が「自分の好きなことに、とことん向き合う場」であればな、と思います。

■一橋から数多くの「小さなイノベーター」を輩出したい

――バイトやインターンなど、大学の外で活動する機会も増えていると思います。その中でも大学で学ぶ意味はどこにありますか。

専門知識は早く陳腐化します。私が学生のころに学んだ経済学の内容と、今の教科書で教えられていることは違います。大学で学んだ知識をただ覚えていても、五年や十年で使えなくなってしまう。だから何が大事なのかというと、勉強の仕方を学ぶことです。社会史であろうが哲学であろうか計量経済だろうが、そこが肝です。

現一橋大学学長の蓼沼宏一さんも言っていますが、「自分で課題を見つける力を養うこと」が大事なわけです。それが出来れば、勉強する対象も勉強する手段も何でも良いと思います。ゼミと心中しろとは言わないが、自分の興味を持ったことに真摯に取り組む人が大好きです。

――自ら課題を発見することが、大事なんですね。

社会人になると上司から課題を振られると思います。しかし、その時点で見えていることは本当の課題ではないわけです。本当の課題は、「自分はそれにどのように対応するのか」「どこに問題があるのかを自分で突き詰めること」なんです。問題を抽象化し、自分なりの解決策を見つけられば、そのときの考え方は他のことにも生きてきます。

すぐに情報が陳腐化する今の時代に大学やゼミで学ぶ意味は、そこにあると思います。特に経済学は、物事を抽象化して事象の因果関係を紐解くことに長けているので、ぜひそこを体験してほしいです。

――ありがとうございます。最後に、学生が将来どのようになってほしいと思っていますか。

欲を言えば、イノベーターでありチャレンジャーです。つまり、世界を変えられるグローバルリーダーになってほしい。それは何かと言うと、自分の頭で考えて、自分の行動に自ら責任をとり、自分だけではなくて他人のことも考えられる人です。究極的にいえば、自分自身の目標を達成してくれることが大事です。お金持ちになりたい、という目標も良いわけです。ただ、そこから「自分なりに、今の世の中をもっと良くしたい」と思っていただけると、それは素晴らしい夢になると思います。

一橋の学生は磨けば光る、機会が与えられれば伸びる学生がたくさんいます。誰にでも「芽」はあるはずなんです。ただ、挑戦せずに縮こまってしまう学生も少なくはない印象です。それは、挑戦する機会を十分に作れていない、教員である私の責任でもあります。冒頭の増田先生が仰ったように「大きなダムも、蟻の穴で崩れる」わけです。非力な一人も集まれば、それは世界を変える大きな力になります。

これからも、そんな「小さなイノベーター」をたくさん育てたいと思っています。

――とても想いが伝わりました。お忙しい中、本日はありがとうございました!

それは良かった。ありがとうございました。


--------------------------------------------------------------------------------------インタビューした人
森川 龍(商・2年)

「大きなダムも、蟻の穴で崩れる」という言葉がとても印象的でした。高校時代、大学時代、研究者となった現在、どの話をしているときもキラキラした顔でお話されていて、とても元気をもらいました。

インタビュー、本当にありがとうございました。

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