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毎日読書#235 『米の日本史-稲作伝来、軍事物資から和食文化まで』(佐藤洋一郎)

読んでいると米を食べたくなる、米をおかわりしたくなる。米がいかに日本人の心に、細胞の隅々に、DNAに入り込んでいるのか、この本を読むとよくわかる。日本は米だ。米万歳。

大多数の日本人は、食事の事を考える時、米と一緒に何を食べようか、という発想で献立を考える。

パスタなども好まれるが、私の若いころはナポリタンをおかずに米を食べていたので、パスタもおかずだ。

シチューでも米を食べる、あれもおかずだ。

ラーメンでも米をたべる、あれもおかずだ。

チャーハンも、冷凍チャーハンの横にご飯を添えて食べることも有る。あれ、しょっぱいから。おかずだ。

日本人の手にかかれば、すべての食事はおかずになりうる。

一汁三菜とよく言うけど、ここに米は登場しない、その事が、そのまま日本の食文化を表している。米なんて言うまでもなく食う。米に何をあわせるか? が日本の食事ということだ。

本書は、そんな日本の心である米の偉大なる歴史を振り返る一冊だ。

歴史を振り返りながら、稲の渡来から稲作の始まり、そして北進、東進の歴史、稲の品種、品種改良、気候の影響、道具の歴史、稲作の技術、料理、おにぎりとおむすび、納税と俸禄、治水に灌漑、ありとあらゆるトピックがギュッと詰まっている。

意外と分からない事の多い稲作伝来

本書で面白なと思ったのは、前半の列島への伝来についての諸説で、意外にも、縄文・弥生の頃の稲作文化についてはわからない事が多いのだそうな。また、伝来についても、私なんかは朝鮮半島から持ち込まれたと習ったが、それを決定的にするエビデンスは無い。へぇ。

著者は、晩生(育成が遅く、稲の場合日照時間や温度の関係で南の地域でしか実を付けない)の稲が朝鮮半島を経由してくるのは不自然だということで、大陸の山東半島から直接伝来したのでは、という説をとっている。

また、水田稲作の技術の伝来にも複数の説があるのだけど、例えば100人程度の人口が米でカロリーを取るには、6.7ヘクタールが必要だが、1ヘクタール開墾する為には80,000人日(4,000人月、NTTデータに発注したら80億円かかる)もの工数が必要となる。

これを開墾しながら生活するのは無理があることから、初期の水田は、大陸から九州を拠点にするためにやってきた屯田兵が、本国からの食糧支援を得ながら水田を作ったのではないか、という説を著者が紹介していて面白い。

それ以外に、大陸から難民化した人たちが持ってきたという説や、縄文人が大陸に行き、水田稲作を学んで帰ってきた、という説もあり、どれも支持者が居るのだけど、大規模に水田を作る為には政治力が必要となり、それを一番発揮できるのが屯田兵方式ではないかという。

縄文時代に稲作はあったのか?

縄文時代に稲作はあったのか? という話も面白い。

水田稲作はおよそ3000年前の弥生前期には有った、ということは、かなりはっきりとした事実としてわかっているが、稲作の方法は水田だけではなく、陸稲という畑で栽培される稲もあり、縄文時代から稲を畑で作って食べていたのではないか? という研究がある。

縄文稲作を主張する人は、証拠として縄文時代の土器から稲の微化石(プラントオパールと呼ばれる、葉の細胞に溜まったケイ酸の塊)が見つかる事を根拠にするけど、縄文稲作を否定する人は、そんなものは後からいくらでも入り込むと譲らない、なんて図式らしい。

このあたりは、また発見があったり、研究が進むと明らかになっていくのだろうと思うとワクワクする。歴史ってのは今日の常識が明日には非常識になる分野であることがよくわかる。おもしろいよね。

本書に書かれているようなことを知らなくても米は美味いし、美味いから毎日食べちゃう。だって、日本人だもの。

でも、水田稲作がはじまってから今日までの3千年、日本人がどれほどの情熱をこの穀物に注いできたのかを知ると、それだけでご飯が一杯食えるほどの愛着が身につくだろう。

本書を読むと米が美味くなる。本書はおかずだ。買って米を食おう! 美味しいよ!

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