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相生あおはの放浪旅行記 (part3/7)

この記事はオモゐデ漁船アドベントカレンダー2020 16日目の記事です。

内容は6泊7日の旅の3日目(2020/3/15) : 大阪→出雲市です。

1. 行程3日目開始 大阪出発

    おはようございます。時刻は午前5時過ぎ。天王寺とかでたこ焼きテイクアウトすればよかった気がしますがコンビニおにぎりで朝食を済ませます。実はこの、一見すると旅先で何でコンビニなんだ勿体ない、と思われる行為ですが、コンビニの品ぞろえって地域ごとに違うんですよ。また裏面の製造工場の地名が異国の名だったりと、地味に旅情をそそられるものです。よっぽど旅先でチェーンレストランの方がアレなんじゃない?って思ったり…?(諸説あり)

    十三を発ち大阪駅へ。普段は数十万もの人々がごった返すこの大阪という街も、休日の7時前となると人影はまばらです(下図)。

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    大阪駅ホームへ。やっぱり天井の高さを一瞥。いやずっと眺めてました。さて本日は出雲市に向かいます。課金すれば割とすぐ着く距離ですが、翌日に寝台特急、翌々日に新幹線グリーン車課金という暴挙に出るためここでは一切課金をせず鈍行を貫きます。この長い切符も、本日までの3日間でその経路の8割程を消化したことになります(下図)。日本列島本当に広い

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    列車の時間までかなり余裕があったものの早めについておきたいもの。あまり来ること無い大阪駅ホームに待機し、見慣れない列車や行先を眺めながら時間をつぶしていました。この時気づいたんですけど、大阪環状線って山手線みたいに一生(?)ぐるぐる回ってるわけでなく、たまに抜け出しどっか行ったり天王寺で止まったりするんですね。環状、とは…?そんなんで環状線を名乗らないで欲しいものです。またふと目を発車案内表示器にやると、"かにカニはまかぜ"とかいうふざけた名前の特急が(下図)。英語だと"Kani-Kani"と案内されてました。酒飲みながら社内会議しちゃだめですよ。まぁこうして話題にされるわけだし彼らの目論見通りといったところか。

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    これ、のちに山陰本線に入ったときに知ったんですが、山陰ってカニが名産品らしく、それの旬が冬季とのことでこの列車はそのための季節限定特急なんだそうです。そこまで猛プッシュされると食べたくなるじゃんか~…って観光協会の術中にハマってしまいました。ク…ッ!

2. 大阪出発から福知山到着まで 表情豊かな車窓

    ホームに滑り込んできた福知山線直通の丹波路快速に乗り、颯爽と淀川を渡ります(下図)。朝日に照らされた人影まばらな車内と雲量0の快晴。車掌さんの停車駅案内放送も相まって旅情がますます掻き立てられます。ところでこの福知山線が山陽本線から分岐する尼崎ですが、どっかの町田区(typoではありません)よろしく領地紛争がいまだに絶えないらしいですね。炎上したくないのでこれ以上の発言は控えておきますか…

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    尼崎を過ぎて市街地を抜けると車窓は山間部の気配を増していきます。ところどころ出現する平地部では水田地帯が広がります。いかにも日本の郊外といった風景です。今乗っている福知山線は福知山で京都から延びる山陰本線と合流しますが、その福知山に近づくにつれ荘厳な自然の景色が垣間見れます(下図)。

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    ここで、山陰本線について少しうんちくをば。この路線の嵐山から亀岡までの区間、実は現在よりも川に沿ってうねった経路だったそうです。ただ直線で結んだ方が速いということで今の経路に変わった時、昔のうねった経路はそのまま残して観光路線にしよう、として生まれたのが嵯峨野観光鉄道とのこと。廃線にするのが勿体ないくらいの景色と言うんだからいつか見に行きたいものです。

    水流が削った岩肌にむす苔としぶきを上げる川の流れという、静と動の対比を眺めながら「エモいなー」と思ってたら右手に城みたいなのが見えてきました(下図1中央)。これなんだろと思って福知山駅のホームを降りたら答えがそこに(下図2)。流石に復元天守とのことですがまさかここで明智光秀の名を見るとは。信長討伐からの数日間とはいえ天下統一を果たした氏の歴史がこの地に刻まれているのかと考えると、後日再履修すべきだと思いました。

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    ここ福知山駅では40分ほどの乗り換え時間があります。このように時間があるときは一旦改札を出て運賃表を眺め、「こんなとこまで来たんだ~」となるのが趣味です。早速福知山駅の運賃表を見ました。目的地の出雲市駅はありませんね(下図)。まだまだ先は長そうです。

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    福知山城まで往復する時間もなかった上、駅構内の喫茶店も新型ウイルス騒動で閉まってました。暇。本当に何もすることはありませんがホームに戻りました。ふと発車案内表示器を見ると、田舎のターミナル駅特有の"鈍行より特急が多い現象"が体現されてました(下図1)。なかなか目的の列車が表示されないなぁと思いながら、広大な高架空間を眺めていました(下図2)。

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3. 福知山出発から鳥取到着まで 山陰地方はジオいしカニだし盛りだくさん

    ほどなくすると2両編成の列車がやってきました。まだ"電車"です。一安心、城崎温泉駅まで約1時間の乗車。中国山地を左手に見ながら福知山駅を出発です(下図)。

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    写真も記録も無かったので特に見どころは無かったんだろうなと思いましたが、2つ気づいた点として、1つは川の流れがもう日本海方面に向いていたことでしょうか。もう分水嶺を越えてるの?と思いましたが地図を見たところ福知山市ってだいぶ北の方にあるんですね。あと2つ目に、"玄武洞"という駅があることです。玄武岩を想起させましたが、後日調べたところ、諸説あるらしいですがむしろ逆で玄武岩の名の由来となる地なんだそうです。この駅の近くには玄武洞という洞窟があり、規則正しい六角形をする岩石が一面に敷き詰められている光景、いわゆる柱状節理が見られるそうです。亀の甲羅といいハチの巣といい土星の北極付近に常在する雲と言い、六角形って本当に効率のいい形なんでしょうね。神様が世界を作ってたときに手を抜いてローポリになった結果という俗説(?)が私はとても好きです。下調べしてから来るべきでした、ここも再履修確定です。

    そんなこんなで城崎温泉駅到着です。20分の乗り換え時間でしたので改札を出てふと時刻表案内を見てみました。これから向かう方面は列車が1時間に1本の世界だそうです(下図)。徐々にローカル線色が強まってきました。なお写真は省略しますが、切符料金案内の図に大阪の文字はありませんでした。だいぶ進んできました。

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    ホームに戻るため改札に向かおうとすると目に入るは温泉よりカニ(下図)。激推しなの?

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    また駅構内に外国人観光客向けの案内と思しき掲示があったんですが、掲示の文法が間違ってるのかそれとも私の英語力が無いのか不安になりました。そんな話はさておき鳥取行の列車に乗り込もうとしましたが、ここからは気動車の世界(下図)。2日前の米坂線の悪夢が蘇ります。ひぃ

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    車内には扇風機が付いていました。これもしかして冷房が存在しない…?夏場は地獄列車と化すのでしょうか。この時期はというと暖房が需要過多レベルで効いていて暑かったです。2時間もこの列車に揺られるのか…と憂鬱になっていましたが、車窓は非常に刺激的で予想よりはるかにいい列車旅でした。ここでいくつかご紹介しましょう。

    まずは途中の竹野駅。(流石にレプリカだとは思いますが)北前船が駅そばに置かれていました(下図)。なんでも、江戸時代の西回り航路の寄港地として当時は栄えていたんだとか。その船の行先はというと天下の台所、大坂の街です。地形の問題でわざわざ下関まで経由せざるを得なかった当時の商人たちは中国地方が憎くて仕方なかったでしょう。鉄道が生まれる前の時代らしさを感じます。

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    列車は進むと右手には奇岩が(下図)。思い返してみれば山陰一帯はジオパークとして指定されています。これはその一環だと思います。先ほどの玄武洞もこれに指定されているとのこと。ジオいのちょっと好きなので気になっちゃうじゃん…

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    そして、なぜか知らないけどグッと来た車窓(下図)。いかにもなリアス式海岸と波しぶきを眼下に古びたホーム。海も内海と外海で異なった表情を見せており対比が美しい。マジマジと眺めていました。

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    山陰本線で一番の絶景と言われているらしい餘部駅の車内からの様子がこちら(下図)。この駅だけ唯一ホームに人がたくさんいました。多分絶景なのは列車を含めた一帯の光景なんじゃないかな。

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    後で調べて思ったんですが、山の間に掛かる高さ数十メートルある大鉄橋は確かにフォトジェニックでしょう。ちなみにこの鉄橋、以前は柵が無い橋だったらしく、その昔に強風で列車が横転転落し殉職者が出たことがあります。想像したくもありません。ただ当時の鉄橋は鮮やかな朱色でシンボル的存在かつ技術的に貴重なものだったとのことで、一部が残されているそう。ただ沿線観光するためにこの本数が少ない山陰本線で途中下車の旅というのは…いつか遂行してみたいものです。

    列車は進み、今朝大阪駅で見たヘンテコな名前の特急の元凶となった浜坂駅に到着(下図)。ただここまで猛プッシュされた上に、幟に「駅長おすすめプラン」と言われてしまうと、次回の旅は山陰にカニを食べに行くという計画になってしまいそう。商売上手か~?

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    終点の鳥取に着く前に、あと2か所紹介させてください。まず一か所目がこの東浜駅(下図)。ホームから海が一直線に見通せるこの光景はまるでアニメの一幕。本当に学園ものアニメに出て来そう。

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    この駅で何と、JR東日本横浜支社の地元で見慣れたチケットケースを持った人が降りていきました。まさかこの鳥取県という異国の地で同郷の旅人の姿を見ることになるとは。今思うと青春18きっぷの利用期間だったのでその利用者でしょう。赤の他人とはいえエモくなってしまいました。

    そして二か所目はこちら。一見すると何の変哲もないただの砂浜ではありますが、荒波に削られた岩肌と砂浜、陸繋島(たぶん)が揃った三拍子に思わずパシャリ(下図)。終点鳥取まで本当に様々な光景を眺めることができ、あっという間の2時間でした。

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4. 鳥取到着 まさかのハプニングで急遽旅程変更の大騒ぎ

    さて鳥取駅に到着しました(下図)。山陰地方に来るのは人生で初めてでかなりエキサイティンしてます。モニュメントに兎の姿がありますが因幡の白兎伝説でしょう多分。ジオパークといい神話の宝庫…これは出雲市観光時に述べるセリフなので簡易に留めますが、日本って本当に自然豊かな場所だなそりゃ畏怖の念抱くわと再認識しました。突然なにいってんだこいつと思われたでしょうが、翌日の行程紹介までお待ちください。

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    鳥取と名が付くものはとにかく撮ってました。駅舎や青看板、車のナンバーや電柱の境界表示、マンホールまで。写真はいくらとっても電池が減るだけで思い出が増えていく一方です。ただ周りの人に迷惑にならないようにね。スマホのカメラでしか撮ってませんが、見返すと懐かしさに浸れて満足できます。軽く流したマンホールなんですけど、市区町村ごとのを撮って収集するというエモい趣味があるらしいです。ただコンプリートへの道の険しさは計り知れません、私にはちょっと重いかなぁ。さて鳥取では乗り換え時間が2時間発生しました。鳥取に来た称号を得に行きましょう。

    ナムサーン!!!!(下図)

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    いや完敗です。完璧に旅程を立てたつもりが詰めが甘かった。本当はここで潔く諦めてもいいんですけど次鳥取に来れるのはいつかわかりません。ダメもとでwikiを調べたところ、市内もう一店舗は比較的近くっぽくて電話で確認したところ営業中とのこと。これは行くしかないと地図を確認したところ、相生町という地名を見つけて少しテンションが上がりました(下図)。

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    いやマジでそんなことはどーでもよくて、見つけたゲーセンまでの距離と今の荷物の量に鑑み徒歩には厳しすぎる距離でした。何とか最寄りバス停を調べて案内所でバスを尋ねることに。すると運よくもうじき来ることが分かりましたが問題は帰りのバス。ただこれについても本当に幸運でウニ1回プレイできそうな時間は取れることが判明。即座に乗り場へと急ぎました。

    ここからは称号を取った時の写真しか残ってないことから、本当に焦ってたんだなと思います。数分毎に変わりゆく車窓で愉しんだとはいえ既に7時間も移動しています。目的の出雲市行の列車を逃すと次は乗り換えが1回増え所要時間が約1時間伸びます。ありえません。耐えられない。絶対に16時丁度発の出雲市行の快速列車に間に合う必要があったわけです。

    旅先、それも見ず知らずの地で急遽見つけた路線バスを使い、大荷物を引きながら橋の上を疾走し何とかゲーセンに着いたら先客が。現実は甘くない。いくら時間に追われた旅行客といえど順番は絶対。2人の先客の次にプレイ。デススキルで強制終了すればよかったのかもしれませんが私はまだ全然うまくなくそんなことも分からないのでフツーに3曲プレイ。そしてなんとか称号獲得。鳥取に行ってきました(下図)。個人的に、獲得経緯的には他のどの称号より価値が重いです。

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    この時点で帰りの鳥取駅行バス到着まで20分を切っていました。一応帰りのバス停の位置は調べたとはいえここは事前調査無しの初見の場所。そのバス停までは徒歩10分とGoogleMapはかく語りき。時間に余裕があるように見えますが何が起こるか分からない。大荷物を携えバス停に急行しました。

    しかし発車時刻になってもバスが来る気配は無し。2分待てども来ない。ちなみに次のバスの時間では16時丁度の列車には間に合わないことが確定しており、パニクってバス会社に運休情報を確認しようとした瞬間にバスが到着。飛び乗りました。助かった。

    鳥取駅前到着(下図)。この時点で時刻は15時44分。何とか列車の時刻には間に合いました。奇跡か。ここには載せてませんけど、地方都市の栄えてる風の交差点って、なんで定番かのようにわかさ生活の広告がデカデカと存在感を主張しているんでしょうね。じっちゃんばっちゃん需要でしょうか?

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    このまま鳥取駅ホームに向かえばいいものの、急な予定変更に成功した高揚感にあおられたせいか、何を思ったか「鳥取に来たのにすなば珈琲に行かないのは一生後悔する!」と思った私は、Googleで調べても場所がよくわからずパニクったのか、地元住民と思しき方に場所を尋ねました。が、その解答が「すみません初めて聞きました、ちょっと調べてみますね」というもの。おいおいおい地元民。見るからに旅人の恰好をしている私に親身になって助けて下さる鳥取の住民と思しき方の心遣いは本当に有難かったのですが如何せん今の私には時間がありません。列車の時刻が迫っており時間が無い旨と感謝の念を伝えて頭を下げ、独力の店探しが始まりました。

    と思ったらすぐそばにありました。焦ってると人間本当に見落としてしまうものです。怖い。これが念願のすなば珈琲です(下図)。今から見返すとテイクアウトカウンターがあったのに店の扉を開けてテイクアウトを注文してました。でも店員さんは優しく応対してくださいました。すみません…

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    店内には、岩手県陸前高田市の道の駅に出店するという旨の掲示が。よりにもよってなんで陸前高田?と思いましたが店を出るとそこにはこんな看板がありました(下図)。なんとそんなストーリーがあったとは…。

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    なんてしみじみしているのもつかの間、時刻は発車12分前。時間的には間に合うとは思いますが万が一座れなかったら3時間くらい立ちっぱなしの可能性があります。慌ててホームに向かいました。かと思いきや信号待ちで撮ったと思しきTOTTORI MELTDOWNがギャラリーにありました(下図)。この時の自分の心理状態がまるで理解できない。

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5. 鳥取出発から出雲市到着まで 謎の"回転寿司"駅

    発車案内表示器を撮り、急いでホームに向かいます(下図1)。そこに停まってたのは気動車(下図2)。ただ本日の長い行程のゴール地点名を見た瞬間、気動車の悪夢ではなくウィニングランの様な勝ち誇った気分。発車6分前でも残ってた数少ない空席に腰かけられた瞬間は本当に安堵する限りです。

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    列車は気動車特有の揺れを出しながらゆっくりと本日の宿の出雲市に向かって進みます。ふと車窓に目をやると左手には中国山地が(下図)。数日前は奥羽山脈を見ていたなとふと思い出し、旅路の長さに思いをはせました。

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    今乗っている列車は快速列車。車掌さんによる停車駅案内があります。あまりの疲労で耳がおかしかったんだと思いますが、何回聞いても"回転寿司"にしか聞こえない駅名があり、ずっと悶々としておりました。

    日本には様々なご当地富士が存在し、〇〇富士の名で地元で親しまれます。ここ鳥取にもそれは存在し、伯耆富士の名で知られています。この山は大山と呼ばれる山であり、登山客からも人気だそうです。さてなぜこの話をしたかというと、先ほどからずっと悶々としていた"回転寿司駅"ですが、その正体は大山口(だいせんぐち)駅でした、ということでこの話題を振りました。相当疲れてんな当時の私の耳。乗っていた列車は当駅で停車。その近くからは雄大な、冠雪した大山を拝めました。山頂は少し雲に隠れてはいますが、隠れているからこそ快晴の時よりもいい感じに神秘的な感じが出ている気がして、こっちの方が個人的に好きです。

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    乗車時間は3時間。この日のラスボスは本当に長く、本当は終点の出雲市まで爆睡したかったのですが、大山だけでなく中海や宍道湖を車窓から眺めたかったため頑張って起きてました。その後、どこかの駅で明日乗車する寝台特急とすれ違い、日が沈み切った19時過ぎに終点出雲市に到着(下図)。これにて本日の移動行程は完了。12時間にわたる移動は本当に長かった。

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6. 出雲市到着 キツネにつままれ不思議な市内散策

    宿に着いたらすぐ寝ようと思ったのですが、非常に不思議なことに出雲市駅の駅舎を出た瞬間、何か結界に入ってゆくような、まるで貴船神社の鳥居を初めてくぐった時のような感覚があり、ただならぬ気配を感じました。突然オカルトチックな発言をしてしまい申し訳ないんですけど、理系の畑にいる癖してこんなこと言ってはいけない気もしますが、駅舎から出ただけなのにここまでのオーラを感じる街は本当にここ出雲市が初めてでした。なので、めいっぱい堪能しようと市内散策をすることを決めました。駅舎入り口の方も、そんな結界が本当に張られてるような立派な外観でした(下図)。

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    本日の宿に荷物を置き、とりあえず島根に来た称号を得るためにゲーセンに向かおうとしましたが、なんとなく遠回りして向かいました。するとラーメン屋さん、"篠寛"さんを偶然発見(下図1)。おたくはラーメンが好き。早速入ったところ、看板には担々麺とありましたが私が大好きなあっさり醤油ラーメンも提供しているお店ではないですか。それになんとオマケメニューではなく地元大田市の醤油を使ったこだわりの醤油ラーメン(下図2)。天命かと思いました。散策して本当に良かった。

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    思わぬ幸せを噛み締めたのち、ゲーセンに向けて市内散策をしていると、時代劇のセットかと思わせる一角が突如現れました(下図)。ボキャ貧でアレですが、しだれ柳にそれっぽい照明、年季の入ってそうな用水路に昔ながらの石の橋。多分歴史的背景がある地域に違いありません。ただ暗く周囲に案内図のようなものもなかったため、明日も散策することを決めました。翌日の行程はもともと市内散策の予定でしたし、出発時刻も19時頃。日没頃までしっかり堪能できるのが寝台特急の強み、活かしていこうじゃないですか。

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    そんなことを思いながらゲーセンへとゆっくり足を進めていると、ヒョウが降ってきました。この日の天気は晴れか曇りだったのもあり本当にびっくり。なんとほどなくすると天候は雷雨に。慌てて折り畳み傘を取り出しましたが、電光から雷鳴到達まで2秒も無いことに恐怖を覚えたため反射的に近くの建物のひさしに入りました。旅先で落雷に撃たれるのって確率的に純正九蓮宝燈と天和が重複するくらいの確率がして面白そうですが、寿命とネタを引き換えにして翌日以降の旅程が塵と帰して数万の切符類が紙くずと化すのは勿体ないのでやめました。理性が勝った。

    雨宿り中にふとスマホで位置を確認したところ、目的のゲーセンはすぐそこであることを知り、雷様の下を遠慮することなく足早に向かいました。

    島根に行ってきました(下図1)。今回は時間があるどころか、しばらく雨が降っているとのことでボルテでも称号を得ておきました(下図2)。

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    程なくして天候が落ち着いたことを確認してから店を出ると、先ほどの雷雨が嘘のような夜空が広がっていました。おおいぬ座の1等星が普段より高い緯度で輝いており、仙台からだいぶ南下したんだなぁと思えるまでに晴れ渡ったとは。まぁこのシリウスは-1.46等星なんですけどそれはさておき。山の天候は変わりやすいのは知ってましたがここは平地。山陰の3月中旬ってそんなに天候変わりやすいんでしょうか…?とても不思議な経験でした。

    そんな、まるでボスを倒した後のような爽快さで宿へと足を弾ませていると、道端に妙なものを発見。(下図)。シュールというか謎というか、ここまで不思議な体験が連続するとまるで物語の中に迷い込んだのではないかと錯覚してしまいます。多分ボス戦後の回復アイテムか何かが入ってるんでしょうね。なお、この謎は翌日の市内散策でさらに深まることになるとは…

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    そんなこんなで気づいたら22時半。12時間の大移動であれだけ疲れてたはずなのに気づいたら3時間半も散策していました。本当にキツネにつままれた気分でした。宿では京都駅で昨日買っておいたベルギーワッフルとすなば珈琲のココアで疲れを癒します(下図)。今考えたらコーヒーかカフェオレ頼むべきでしたね。はい再送。

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    ここでふと切符を眺めました(下図)。様々な途中駅のハンコ(下車印)が押されている様を眺め、少しばかりこれまでの思い出を振り返りました。

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    大移動に加え、まるで霊験ともいえる不思議な経験の連続だった一日でした。翌日は先述の通り市内散策。出雲大社はもちろんお参りに行きます。時間には非常に余裕がある日なので、9時までゆっくりと眠りに就きました。

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