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相生あおはの放浪旅行記 (part4/7)

この記事はオモゐデ漁船アドベントカレンダー2020 16日目の記事です。

内容は6泊7日の旅の4日目(2020/3/16) : 出雲市→相生付近(寝台特急泊)です。

1. 行程4日目開始 出雲大社参拝

    おはようございます。時刻は9時。昨日の大移動の疲労は完全に解消され、この街を去る19時の発車時刻までゆったりと市内散策へと向かいます。

    出雲市に初めて行った人は必ず出雲大社に行くでしょう。出雲と名の付くお社なので徒歩で行けるかと思ってましたが、GoogleMapをそっ閉じする距離でしたのでとりあえず一畑電車というローカル線で向かうことに。駅員さんに切符を入鋏してもらったのち、高架上のホームで待ち受けていたのはこの青い列車(下図右)。

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    こんなローカルな見た目なのに架線電圧は1,500Vなんですね。車両先頭部には"しまねの木"というヘッドマークが掲げられており、木目調を意識したレトロな雰囲気が漂う車内は、通勤通学とまるで縁がない装いでした。観光色の強い路線だなぁと思いふと調べたところ、なにもそういうわけではなく本数が限られている観光用列車だったそうです。よくわかりませんがとりあえずラッキーでした。

    帰りの列車を調べていた時に知ったのですが、乗り換えなしで出雲大社前まで行けるのはこの列車しかないっぽいです。まるで歓迎されているかのようで若干の畏怖の念を抱きました。

    出雲の田園風景に揺られること30分、列車は出雲大社前駅に到着。改札を出ると、そこは幼少期に連れられて親しみの深い鎌倉の小町通りのような、いかにもな神社への参道が出雲大社へと続いていました。三つ子の魂百までとは言いますが、このような光景を見たんで反射的に街道沿いに煎餅屋を見つけて醤油せんべいをつい食べ歩きしてしまいました。いい感じに写真のトリミングができなかったので掲載は断念しますが、松並木が本殿へと続く光景を眺めながら手作りおかきを食べ歩く気分は、とても懐かしい心地でした。そんな気分でゆっくりと足を進めること10分、10月に日本各地の神々が集結するという出雲大社の前までやってきました(下図)。

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    時期や新型ウイルス騒動もあってか、人は確かにいましたが頑張ればこのような写真を収めることができました。一礼をして鳥居をくぐり坂道を下ってゆくと、左手には昨日鳥取駅でみた因幡の白兎伝説のモニュメントが見えてきました。そのまま先に進むと、只ならぬオーラを放つ鳥居が出現。思わず建立年を確認するとなんと寛文6年、西暦にして1666年。以前、四国のとある小島で天保建立の鳥居を見て驚いていた頃もありましたが、流石は様々な神話に名を載せるこの大社、只者でない。

    神社境内には、かの天照大御神の弟神でもある素戔嗚尊を祀る社など様々な社殿が軒を連ねておりましたが、恥ずかしながら日本神話に関する予習をせずにお参りするという大失態を犯してしまいました。素戔嗚尊を祀る社の山側では多くの参拝客が砂を採取していました。ただ盗難行為ではなく大社側から準備された空間のようでなんでも採取すれば縁起がいいことがあるとかなんとか。ただ勉強せず参拝するという無礼極まりない暴挙に出た私、由緒を知らずして採取するのは逆に失礼と思い意を決して断念。この山陰地方、勉強して必ずや再訪します。

    なので、今回は通常の出雲大社レビューでは書かれなそうなことを書いてみましょう。まずは拝殿の床板(下図)。通常こういった濡れ縁の床材は木材の反りと排水の関係で木裏を上向きにするのが一般なのですがここでは逆になっています。はて?

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    お次は神楽殿、教科書とかで見る大しめ縄が掛かる立派なお社の左手にある鏡の池。ここの池の水質はお世辞には綺麗とは言えませんが、その中に質素な島が立派な松を乗せて浮かんでおりました。よく見るとアオサギのような水鳥がつがいで羽休めをしており、なんとも風流だなと思いました(下図)。最初はな。ただ妙なことに5分ほど凝視しても微動だにせず、妙に思ってカメラで拡大したところどうも置物っぽかった。私の感動を返してくれ

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    そのほか、新型ウイルス騒動のこともあり随所にアルコールディスペンサーが置いてあり、"出雲大社"とボトルに書かれたそれはまるで万能薬のようなオーラを放っておりました。

    自らの浅学さに恥じながら参道を下る際に、この道に凝らされた工夫の存在を思い出しました。神社巡りをしているわけでもないので詳しいわけでもないんですが、通常の神社では参道は平坦もしくは本殿側に上り坂になっているのが一般的な気がしますが、ここ出雲大社では逆です(下図)。以前耳に挟んだ話では、参拝を終えた人々が下る際に、参道が空に続く光景を見せ、まるで帰るまでが遠足みたいな感じで帰る際までも非日常の気分にさせるというのが目的なんだとか。

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    実際、最初にくぐった大鳥居を抜けると、そこには見晴らしの良く広大な景色が広がっていました(下図)。ほかの神社のお参りの後にある、鳥居を出ると日常の喧騒に引き戻されたあの感覚が一切ありませんでした。大社前の道路は舗装こそされてはおりますが、眼前に堂々と一直線に伸びる大通り以外は曲がりくねったものとなっておりましたので恐らく戦前、はては太古の時代から変わってない地形なのではないでしょうか。きっと太古の昔に参拝した先人たちが眺めた光景もきっとこんな感じだったのでしょう。

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    ふと気になったので後日に国土地理院の治水地形分類図を参照したところ、どうも出雲大社は山間の中に築かれ、私がこの時見下ろした光景はそこから延びる河川による扇状地地形とのことです。それなら境内の高低差は人為的に作られたものと予想され、先ほど述べた"参道の工夫"に対する信ぴょう性は増すかと思いました。

2. 昼食と神迎の道 昨日に続く不思議な体験

    さて時刻は11時半、お昼の時間になりました。蕎麦が大好きなので出雲大社目の前にある蕎麦屋"田中屋"さんにお邪魔しました。ここ出雲には出雲そばという名産品があります。蕎麦を甘皮ごと挽くため、蕎麦本来の香ばしさと殻由来の黒い色が特徴です(下図)。

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    恥ずかしながら、この存在をここ出雲に来て初めて知りました。たまたま出雲大社前に店があったから入れたものの、なければこの出雲そばは食べれてなかったわけです。旅の前にいろいろ調べると旅先での発見が減るから勿体ないということで下調べ無しでいつも旅してるんですけど逆でした。下調べした情報をさらに深く掘り進めるのが旅行というものなのだと痛感させられ、いい教訓となりました。

    会計を済まし店を出ると時刻はまだ昼過ぎ。このまま出雲市駅周辺に戻るのは時間的に勿体ないと考え、近くに"神迎の道"と呼ばれる、10月に集結する神々が通るとされる細い路地が運よく近くにあることが分かったため、そこを海岸まで散策することとしました。

    海岸までの道のりで一つ気づいたことがあり、それは沿道に数百mおき毎の間隔で様々な神社が存在したことです。出雲市内がそういうエリアなのだろうと軽く調べたところどうもこの沿道には比較的多くの神社が集まっているようです。まるでサミットに向かう途中のコンビニ感覚なのでしょうか。

    さて全体の道のりは1kmほどとさほど長くないのですが、なんとこの日もアラレ、いやヒョウくらいのサイズの固形物が突如として天から舞い降りてきました(下図1)。雷雨とはなりませんでしたが、この日の天気も予報では曇りでしたので今日もビックリ。ただし天候が崩れるのもそう長く続くわけでもなく、海岸に着くころには晴れ間が雲の隙間から覗かせました(下図2)。と思うもつかの間、北の方角から雨雲が近づき、遠くの山々は霧の中へと姿を消しました(下図3)。偶然とは思いますが神迎の道を物思いにふけりながら散策しているさなかわずか30分程の出来事でした。

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    流石に不思議に思い、後日この地方の3月中旬の天候の傾向を調べたところ、おそらく山間の地形も相まってか天候が変わりやすいとのことでした。にしても興味深い。

    ちょっとここで、昨日に鳥取駅に到着した時に書きかけた、日本の自然豊かさについて少し述べたいと思います。日本は夏は灼熱地獄、冬は冷凍庫という季節豊な列島であることは皆さん承知のことだと思います。さらに、夏から秋口に掛けては台風や豪雨災害、冬季には積雪があり、そして季節関係なしに地震だって日常のように起こるわけです。太古その昔の時代はこれらの災害を神の怒りと表現したわけですが、こういった未知の力を感じさせる自然現象に対して畏怖の念を抱くというのは日本に定住した人類としてはごく当たり前のことなんだと思います。今でこそ大半の自然現象は原理が解明されているものの、その頃の感覚は現代を生きる人間にも残っている気がします。私はここ出雲で、思いがけず遭遇した忙しなく変わりゆく天候に自然の驚異さを覚えました。

    またこれは地形に対しても同じことが言えると思うんです。自然が生み出した「ジオい」という感覚も、こういう理由で生まれるのでしょう。昨日、京都の貴船神社にいた時、私は何度も訪れているにも関わらず山間の光景に神秘さを覚えたのと似た感覚がまさにこれでしょう。また私が今いる出雲の国ですが、場所は山陰地方、ここ島根県は該当されてはいませんが近隣にはユネスコにも指定されている山陰海岸ジオパークがあります。因幡の白兎伝説もここ山陰ですし、自然現象やジオい地形が相まって人々はこの地に畏れを抱いたのでしょう。ここ出雲の地は切り立った岸壁と砂浜と一緒にサンセットを楽しめるというのも売りの一つとしてるそうですが、周辺の地形を見るにそんな地形は多分ここだけな気がしました。ここ出雲には地形だけでなく先述の通り天気も神秘的だと感じました。市内で"日本の神話はここから始まった"という看板を見かけましたが、とても納得が行くなぁと思いました。

    そんなことをもやもやと物思いにふけりながら、毎年10月に神々が集う様を想像しながら先ほど来た道を出雲大社方面へと引き帰します。それにしても昔ながらの建築が数多く残る、まるで令和であることを忘れさせる街並みでした(下図)。こんなエモいのにこういった路地には観光客の姿はありません。旅行プランに縛られることなく、見知らぬ地で街並みを散策し歴史に思いを巡らすのも乙といったところではないかと私は思います。皆さんはどう楽しまれるのが好きでしょうか?

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    そんな、非常に充実した濃厚な時間を3時間程過ごし、そろそろ出雲市駅に戻ります。一畑電車で戻っても良かったのですが、たまたま来るらしいバスの方が運賃がわずかに安いとのことでバスで戻りました。

    途中、昨日雷雨の中来たゲーセンを通過(下図)。ここバスでも来れるところだったんだな

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    さて出雲市駅に帰ってきました。発車時刻まで5時間程の猶予時間がありますので、ゆっくりと市内散策へと行きます。

3. 出雲市内散策 謎の壺の正体は一体

    とりあえず、昨晩見かけた時代劇のセットのような場所に行き、その正体を知ろうと思い、向かいました。昨日その場所をGoogleMapで確かめていた訳ではないので野生の勘が頼りです。

    散策すること10分程度、無事到着(下図)。明るい時間帯で辺りを見渡すと案の定石碑がありました。曰く、ここが用水路ではないかという読みは当たっており、貞享年間(1684~1688年)に築かれた新田開発に必要な灌漑用水とのことです。名を"高瀬川"と呼び、大梶七兵衛が私財を投じたインフラとのことです。近くでは氏の銅像が一帯を見守っておりました。

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    ここでふと、先ほど出雲そばを食べた記憶が蘇り、その起源を調べました。なぜなら蕎麦は二毛作で米の相手としても育てられる通り、痩せた土地や水分が少ない土地でも育つために古くから広く栽培されているからです。すると、寛永15年(1638年)頃がその発祥ということが分かりました。…あーれ思ったより最近だわ。ただまぁその50年間は蕎麦で食いつないでいたのではないかな~となんとなく歴史に思いを馳せ、なんとなく事物の繋がりに感動していました。

    市街地を進むとこんな光景が広がりました(下図)。このとき、瞬時に私の脳内に電流が走り、ある都市の光景がフラッシュバックしました。この光景、長野県上田市の光景じゃないですか?旅に行ったときに見たことあるんですよこの光景。遠くに見える山地に開けた交差点、右手の電波塔、埋設された電線……しかし上田市内のストリートビューでこれっぽい場所が見当たらなかったので記憶違いかもしれません、すみません。いやーもやもやする

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    そしてついに昨日発見したあの謎の壺に行きつきました。恐る恐る蓋を開けるも何も入っておらず。壺とはいえ底面が切り取られていたらしく、土壌が覗かせていました。なんでここに置いた?また少し遠くに目をやると、なんか植木鉢の仕事をしているではありませんか(下図)。そんな謎なこの一帯、付近には醤油屋や酒屋ではなく日本料理店さんと旅館がありました。なので持ち主はここの施設でしょう。多分なんかのタレを入れてたのでしょうか。今思えば戸を叩いて由来を聞いた方が面白かったでしょうが、建物の厳かな雰囲気に尻込みしてしまいました。まぁ聞いたところで「ホームセンターで買ったものだったんですよ」とか聞かされたら泣く自信あったので、正体は謎のままの方がロマンがあっていいでしょう。そう思うことにします。

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    謎のままの壺を後にし、路上に散見される日本神話にまつわるモニュメントを横目に市内散策を終え再び出雲市駅に戻ると時刻は15時頃。ゆったり過ごしたつもりですがまだ発車まで4時間弱あります。なのでベタに駅直結のショッピングモールに行きました。

4. 出雲市駅ショッピングモール散策 ツッコミが足りん

    改札目の前の細い通路を行くと、高架下に建てられたショッピングセンターにアクセスできます。入口の案内を見ましたが、地方都市の駅ビル(?)としては店舗はかなり充実しており、学校帰りのような高校生たちの姿があり市民の生活に根付いたエリアなんだなと思いました。入口に入って目に飛び込んでくるのは、このなんともバブル感満載の人工池(下図)。令和やぞ今。大抵こういうのって水は枯れておりゴミが散乱しているまでがテンプレなんですが、なんと水は流れており建物の奥まで続いているようでした。それに意外と綺麗。まじか。せっかくなので行ってみましょう。

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    なんてこった。水槽があるしそれも生きている…(下図)。上流(?)の方にあった水槽は非常に手入れが届いており、小学生3~6年の時に生き物係長をやってた頃の記憶が蘇りました。右上に写ってる水槽に浮かぶ袋なんですけど、これたぶんペットショップで買ってきたばかりの魚たちです。こうやって水温に慣らすんですよ、懐かしい…。手入れされてる職員さんと色々とお話したいなぁとか思いながら眺めてました。

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    この水槽のすぐ右側がこのショッピングセンター内の川の水源でした。その横には日本神話に書かれている日本列島造成のはなしのモニュメントがありました。しかしそのすぐ横にコーヒーの木の観葉植物があったことに対しては流石にツッコませて(下図)。本当に謎。縦長写真を上手くトリミングできなかったものの、あまりのシュールさでマスク越しでしばらく笑ってたくらい紹介したいのでそのまま貼ります。

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    さてお土産売り場を見ておきましょう。すると真っ先に目に入ったのはなぜかこの瓦せんべい。これまーじで旅行の先々でほぼ毎回見る準レギュラー級なんですけど、温泉街のかりんとう饅頭よろしくなんかのテンプレですか???

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    その後、乗り込む寝台特急で食べる駅弁を買い、とりあえず改札前へ。まだ全然時間が潰せてなかったので改札付近をいろいろ見ることにしました。なんとなくそこにあった観光案内所でスタバがあるか聞いたら近くには無いとのことでした。とても優しく丁寧な接客でしたが、自動ドアが開くたびに赤い糸が切れて離れるデザインについては再考の余地ありといったところでしょうか(下図)。開くたびに妙な面持ちになっていました。

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    意外とこういうところでJRが出してる旅行商品の行先を眺めるのも、この地域の方々はどこに行く需要があるのかが見れて面白いです。ここ出雲市駅には東京と横浜の早割往復切符がありました。ぜひ横浜観光したい人々には横浜駅西口で降りてもらい絶望の顔をしてほしいものです(悪魔)。

5. 出雲市駅出発まで 旅程崩壊の兆しが見える

    時刻は16時。とりあえずチェックアウトしてからずっと預けていた荷物を受け取りました。また軽かった出雲そばの昼食から4時間が経ったので改札前の食堂で腹ごしらえ。ショーケースを眺めていたらこの食品サンプルのエビフライのつぶらな瞳が心にグッと来てしまいとても食べられないと思ったので普通のカレーを頼みました(下図)。

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    店内は私以外いませんでしたが、しばらくすると地域の方と思われるお客さんが入店。店員さんと談笑していてとても温かみを感じてホカホカしていたら、その店員さんからお茶をサービスで頂きました。店員さんが「ご旅行ですか?」といろいろ尋ねてきたので、仙台から日本海を回ってやってきて、この後寝台特急で東に進みそのまま北海道の小樽に行くと話すと目を回されていました。そりゃそうだ。

    店内にはこれから乗る寝台特急の広告が貼ってあり、市民の間でもその認知度は非常に高いそうでシンボル的存在だそうです。やはり夜行の寝台特急という存在はだれしも惹かれますよね。まぁ寝台特急に関することは乗り込んでから書きましょうか。

    夕刻の出雲市駅。日本神話の始まりの地とされるここ出雲の海岸から差し込む夕陽を浴びる駅舎(下図)。あと2時間弱でこの地を後にしなければいけないと切符を見た瞬間、一抹の寂しさがこみ上げてきました。事前調査無しでもいろいろ散策して堪能したつもりではありますが、見落としている見どころは必ず存在しているはずです。今度はこの山陰地方を最終目的地に設定した旅を絶対にしようと、そう決心させた光景でした。

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    さて改札に戻ると、これから進む方向とは逆の方面で線路支障が発生して運休との案内がされていました(下図)。まぁ反対方向です。旅程には響かないはずです。この時はそう思っていました。

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    ホームに行くと岡山行の特急"やくも"が停まっていました(下図)。この列車をわざわざ撮った理由は、メチャ酔うことで有名で車内にもエチケット袋が備え付けられているネタ列車だからです。JR西日本は"ゆったりやくも"と謳ってるそうですが、界隈では"ぐったりはくも"と揶揄されるそうです。この語呂の良さには思わず草という感じです。

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    いつものアングルで切符を撮ります(下図)。はるばるやってきたなぁ。この切符はこの先相生駅で有効経路を終え、そこからは相生-青葉の切符の経路となります。

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    時刻は18時半過ぎ。西の空を赤く染め上げる夕陽も好きですが、日没後に空が徐々に闇に包まれていく、紅から藍のグラデーションが映えるこの時間帯の光景が切なく、でもちょっと安心するような、そんな複雑な気分に浸れてとてもお気に入りです(下図)。

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    夕陽を地平線の向こうへ見送ると程なくして寝台特急がやってきます(下図)。サンライズ出雲、東京行きです。

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    さてこの列車、18時51分発の列車ですが現在時刻は19時。なんと先ほどの運転見合わせ区間に、この列車に乗車予定のお客さんがいたそうで、代行バスで急いで向かっているためそれまで運転見合わせということでした。ところで運転再開見込みは案内されませんでしたが焦ってはいけません。案内表示器を見れば遅れ何分か書かれているはずです。

    あーダメだこりゃ(下図)。反対方面は調整中、これはしばらく列車は動きません。その後駅の構内放送にて、この停車時間で改札前のコンビニで食料買ってよいとの案内があり、駅弁も買っていたのにあろうことかいろいろ買いこんでしまいました。旅先テンションおそるべし。

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    列車が遅れてるとはいえ、このおかげで駅のコンビニをじっくり回れたのでむしろ好都合でした。こういう、観光地の駅の売店ってお土産や地ビールが売ってるんです。寄れて本当に良かった。

6. 出雲市駅出発 寝台特急車内について少しご紹介

    寝台特急と聞いてどんなことを想像されますか?飛行機や新幹線が発達した今、目的地に急ぐなら寝台特急なんて要りませんよね。そこを敢えてゆったり行き、そして列車で横になって寝るという非日常を味わえる、そんな空間だと私は思います。お値段も無難な個室だと約1万円と、宿1泊分を考慮するとそれほど高くない金額です。種類はというと、我々庶民の手に届く金額ですと現在日本にはここ出雲市駅からの便と香川県は高松駅からの便の2つしかありません。なのでここら辺に行かれる際は是非使ってみてはいかがでしょうか。ちなみに人気は非常に高く、時期によっては一ヵ月前の予約開始で空席が埋まるなんてこともあるらしいです。旅程に組み込む際はなるだけ早く買って、この過程を律速にした旅程設計にしましょう。

    と雑な紹介を終えまして、乗車されるときに一番気を付けるべき点について。それは人権の分かれ目シャワーカードの入手です。この寝台特急、シャワーはあるんですけど定員分の湯を確保できないらしく、330円のシャワーカードというものを購入してシャワー装置に挿入しないと使えません。なので、乗車したら真っ先に向かいましょう(下図)。以前大阪から乗ってそのまま研究室に行ったことがあるんですがその時は赤い売切れ表示でした。最悪だった。大阪からは乗らない方が良いでしょう。

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    そして室内の紹介です。この旅の時には撮ってなかったので、以前高松から乗ったときの写真で代用します(下図)。横長で撮ろうとしたんですがうまく撮れなかったので、縦長での紹介になりますすみません。

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    こんな感じ。今回泊ったのと同じシングルの部屋です。ベッドはそこまで低反発ではありませんがまぁ寝れます。スペースも、足元やベッド横の台のところには今回の6泊7日の旅のキャリーバッグを横にしておくことができるくらい十分の広さがあります。旅テンションってのもあるんでしょうけど、秘密基地みたいな安心感があります。

    また個室内での飲食も可能で、こんな感じで晩酌ができます(下図)。車内用に置いてある室内着を着ながらのんびり飲食する気分は宿と遜色ありません。しかしのんびりしていると車掌さんの車内改札が来るので、その時に酔い100%の顔で乗車券類を見せるのは仕事中の車掌さんに申し訳ない気がするので、それが終わってからにした方が車掌さんにやさしいです。きっと。さらにこの列車、車内販売はありませんから注意してください。ちっぽけな自販機が申し訳程度に置かれているだけ。私が乗車前にいろいろ買いすぎてしまうのは多分これも原因。

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    また、「もっと安く乗りたい!」って方、おススメの物件があります。なんと4000円程度で乗れるらしいです。それがこちら"のびのび座席"です(下図)(この写真も高松からの時の写真です)。

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    ハイ。見ての通り仕切りがありません。盗難とかそういうのは聞いたことはありませんが私は心配です。それに着替えるならお手洗いかシャワールームの脱衣所しかありません。枕元には仕切りがあるらしいですがこんなところで見ず知らずの人の横で寝るなんて不可能です。ネット上では割と好評らしいですけど私は…まぁ格安の選択肢もあるよという紹介です。ちなみになんと席の予約はここから埋まっていくんだとか。結構人気なのかも。

    またラウンジもあります。ただここは豪華な作りとかではなくのんびりと車窓を眺める空間。静粛に願いますという張り紙もあるのでわいわいはできません。ちなみにこの旅で私はここでサークルのネット清算書を作ってました。まぁ、鉄道に関する紹介はほかの方の記事の方が詳しいでしょうから仕事はそちらに任せます。ググったら玉石のごとくいろんな記事が出てきたんでそっち見てください。

    そんなわけで定刻から約1時間遅れた20時頃に列車はようやく出雲市駅を出発。この寝台特急に乗る時はこのアングルが好きなのですが、出発前にしっかりとれてよかったです(下図1)。ちなみに駅弁の中身はというと…(下図2)

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    カニ!そりゃ~昨日あんだけカニを全面に推されてたら潜在意識の中の私がカニの駅弁を選択するに決まってます。カニってこんなに美味しいんですね、ってくらい美味しかった。たかが駅弁されど駅弁、高いだけあって力が入っていて駅弁は特別に美味しく感じます。また駅弁だけでなく先ほどのフリー時間でコンビニで買ったおにぎり、こちらは"玉野市名物!"と書かれていました。どこやろ~思たら岡山県南部にあるらしいですね。えっ遠くない?その他ガトーショコラやカフェオレまで買ってました。買いすぎ。

    車内改札を終えたらシャワーに向かいました。浴びてる途中に分岐を通って本線から離れる感じがしたので、多分この時に列車は山陰本線から離れて伯備線へと入り、岡山に向かうことになります。その後着替えて車内着でラウンジに行きのんびりと清算書を書いてると、車窓はどっかの無人駅の雪景色(下図)。この伯備線という路線は中国山地を突っ切る路線で、標高が高いところもあるらしくこの有様。そういえば3月中旬って山間部ならまだ積雪が残ってる時期ですよね。

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    ホーム下までなまこ壁、蔵の模様があしらわれた倉敷駅を過ぎ…(下図)

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    相生駅を通過(下図)。高松からの時も眺めてました。

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    この列車、高松からの寝台特急と岡山駅にて連結して一路東京を目指すんですけど、相生通過時点でまだ遅れは1時間くらいでした。つまり高松からの列車をそのまま一時間どこかで待たせていたことになります。えぐいて。

    翌日予定なら7時8分到着でその後8時20分発の東北・北海道新幹線の新函館北斗行に乗ることになります。まぁこれ以上遅れなければ間に合うはずです。そう思い、列車の揺れに身を任せながら眠りに就きました。

5日目

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