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相生あおはの放浪旅行記 (part6/7)

相生あおは

この記事はオモゐデ漁船アドベントカレンダー2020 16日目の記事です。

内容は6泊7日の旅の6日目(2020/3/18) : 札幌→苫小牧(フェリー泊)です。

1. 行程6日目開始 札沼線廃線区間へ

    おはようございます。時刻は5時。当たり前のように時間通りに起きれてますが、旅モードになると本当に予定通りに体が動くってもんだから本当にビックリです。さて朝食は北海道産の米を使ったというおにぎり2つ。ふとテレビを点けると凍り付く大地が映し出されました(下図)。暖冬といわれるこの年の3月中旬だよな…そういえば北海道のどこかでその昔に氷点下約40度とかいうオイミャコンといい勝負の最低気温を観測したとか聞いたことあります。怖い。

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    さて5時に起きたはいいんですが冷静に予定を見ると早く起きすぎたことが分かったのでしばらくテレビを眺めることにしました。すると北海道内では猫も歩けばセイコーマートに当たるというくらいどこにでもあるセイコーマートのCMが!噂には聞いていたものの初めて見たので滅茶苦茶テンション上がりました(下図)。ちなみに右上に写ってる"豊富牛乳"ですが、牛乳を豊富に使ってるってわけではなく"とよとみ"という地名です。地元の食材を使った商品開発をしているんですね。地産地消で地元を応援、推せる。いやぁ秘境駅動画で勉強した甲斐がありました(?)

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    さてのんびりと身支度をして札幌駅に向かいましたが早速迷子。ただ迷子になっても良かったことがあり、これから乗る札沼線の特設コーナーを見ることができました(下図)。

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    さてなぜこの区間に乗りに行くかなんですが、それは始電にして終電の列車が午前10時出発という界隈では有名なネタ駅があるからです。TLで度々流れてくるので皆さん一度は聞いたことあるのではないでしょうか?折角廃線前に札幌まで来て時間ができたので乗っておきたいじゃないですか。

    さて、札幌から少し移動し、ここ石狩当別という駅で新十津川行きの始電兼終電に乗ります(下図)。あ、これ気動車だから終電とは言わないか。なんて呼ぶんやろ。

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    最終列車は7時45分に出発。終点の新十津川まで1時間半の旅です。ふと車窓に目をやると一面の雪景色でした。銀世界とはこのことを言うのでしょう(下図1)。また遠くに防風林みたいなのが道路沿いに植えられており、ところどころに道路境界を示すポールが立っている光景もとても北海道らしさが満載で、物珍しそうにまじまじと眺めていました(下図2)。

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    廃線になる路線なんだし駅は当然無人駅なんだろうと思って目の前に現れた駅舎がこれ(下図)。貨車とかを改造して作ったんだそうです。それにしてもすごい荒廃っぷりです。生で見る迫力はすさまじい。

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    しばらくすると列車行き違いのため停車するとのことでした。すると車内の乗客がたくさんホームに出ていきました。なんかみんなカメラ向けてるじゃないですか(下図)。よくわからないな~と思っていたら10分くらいしたら出発しました。これ、後から知ったんですけど、日本全国的にも非常に珍しいスタフ閉塞のタブレットの交換作業をしていたんだそうです。わぁマジか。下調べしなかったのが痛手に出た。仁和寺にある猫になってしまったとは。今"スタフ閉塞"とかいうオタク用語が出てきたと思うんで、気になった方は調べてみてください。一言でいえば鉄道の安全運行を支える一昔前の生ける鉄道遺産といったところでしょうか。

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2. 日本一早い最終列車が出る駅 新十津川駅到着

    さて列車は1時間半の時間を走り終着の新十津川に到着(下図)。ここが日本一最終列車が早く出る駅です。ところで日本の地理に詳しい方ならこの"新十津川"という地名でピンとくるでしょう。そうなんです、この土地は奈良県にある十津川村の村民の方々が開拓した地域なんです。きっと当時の開拓者はまるでマイクラの新ワールドをハードコアでプレイするような心境だったでしょう。そんな期待と希望を抱いて開拓した土地に初めて通った路線が消えゆくとは…。古の先人たちは空の上でやるせない思いで見届けているに違いありません。

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    「終電…なくなっちゃったね…///」の一言に添えられてTLで稀によく見かける光景がこちら(下図)。これはもはや公共交通機関としての機能は果たしていないと言っていいでしょう。

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    駅舎内は周辺住民の方が歓迎してくださったり付近は記念品販売等で賑わいを見せておりましたが、これは廃線決定からの客足や人数なのでしょう。駅舎内にはなんと観光案内所もあり、まるでこの路線を用いて町興しをしている様子でしたが、廃線後にはそれが不可能になります。この辺りの集落にある観光業の一つもこうして失われるわけです。こういった観光は単なる収入だけでなく人と人との繋がりを生みます。こういった貴重な機会も失われて行きます。全く、諸行無常と言ったものです…と言いかけたんですが、

    …GoogleMapを見るとすぐ横に高規格路線の函館本線がありました。最寄りの滝川駅から乗れば乗り換えなしで札幌まで所要時間半分です。それに鉄道だけでなく車窓にはほぼ常に道路があり、乗用車が列車を追い抜く光景が常に見られました。そりゃ~~廃線になるわな。ちょっとこのしみじみとした気持ちを返してくれませんかね。ただ、町興しの一つの手段が無くなるのは確か。この地域がこういった賑わいを見せるのは廃線までの短い期間なのは確実で、やはり物寂しい気持ちになりました。こうやって列車を見送る付近住民の方々の姿には、やはりどこか切ないものがあります(下図)。

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    またそれだけでなく廃線によってJR北海道の路線がどんどん縮小してゆき、鉄道というものの栄枯盛衰を感じそうになりました。が、南に目を向ければリニア新幹線建設や東北新幹線のスピードアップに向けた試験運転など、鉄道が発展する場所では目覚ましい発展を遂げています。これらを考えると鉄道の時代は終わったわけではないと私は思います。しかしながらここ北海道に限っては炭鉱産業で栄えていた時代が鉄道最盛期、いまや斜陽を越えて日没でしょう。日が昇ってくるときは果たして来るのでしょうか。当時の旅客輸送も炭鉱産業に携わる方々の輸送が多かったと聞いておりますし、やはり石炭一本だったということでしょうか。ここまで考えると、私はCEOでも何でもありませんが事業の一極化というのは極めて危険な賭博的行為なんだなぁとこの北海道の鉄道事情を眺め、そう感じました。まぁ当たり前か。ほかの鉄道会社、例えば不動産や警備等、沿線の街づくりまでも手掛ける某私鉄会社は他社程の赤字額ではないらしいですし、事業の多角化というのは鉄道に限らずこれからを生き抜くうえで大切だなと思いました。

    更にかなり話がそれますが、例えばこの新型ウイルス騒動で特に大打撃を受けている産業がこういった一極集中の企業・団体といった印象を受けます。ただその中でなんとか堪えて利益を出す企業・団体というのはオンラインの波に乗ったり物産品の郵送を始めるなどの事業転換をしている気がします。やはり何かを物事を船頭取って動かす人は柔軟な思考と鋭い洞察力が求められているのでしょう。あーマジで話が超逸れたわ。すみません。

    このJR北海道の鉄道事業に関する考察は本当に千差万別な意見があり、ネット上で眺めていても思わずハッとされることが多々あります。是非いろいろな記事を読んでみてください。いやまさか"廃線"の二文字からここまで話が発展するとは思ってもいませんでした。すみません。

3. 再び札幌駅へ 美味しいラメンメに舌鼓

    物思いにふけった新十津川駅からの帰路、とても内地では見られない光景が見られたので2枚紹介させてください。1枚目の光景(下図)。もはや説明不要でしょう。左の畝で羽を休ませているのはもしや白鳥?恥ずかしながら生まれて初めて生で見ました。釧路湿原にも飛来するらしいのできっとそうでしょう、少なくともタンチョウとかサギ系ではなさそう(適当)。

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    お次はこの光景(下図)。また出てきましたこの枯草。流石に気になったので植物に造詣が深い祖母に聞いてみました。その回答は、「あ~!これ蓼科とかの高地でよくみられる熊笹だねぇ、それにこの松はカラマツだよ。そうそうこの松ぼっくりは熊が好物でこの辺りはクマが出るよ。」とのこと。高地の植物がこの平地で見られるってことはやはり亜寒帯の北海道特有の植生、と言ってよいのではないでしょうか。私の勘も合ってた…?そういえば確かにこの辺りでクマ出没注意とか鳥獣保護区の看板があったのを思い出しました。この画像1枚からそこまでの情報を引き出せるとは…生き字引、恐るべしです。

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    そんな光景を眺めながらローカル線に揺られること3時間強(!)、札幌駅に戻ってきて向かうはラーメン屋、"かんてつ"さん。このお店、実は昨日ウニの称号を取ったゲーセンの隣にあるんです。そして近くには北大があります。大学生の皆さんなら北大生音ゲーマーのルーティーンがもうわかりましたね(北大生の方々、違ったらすみません)。ちなみにお味は家系風ラーメンに中華麺という感じでした(下図)。醤油ラーメンという名でしたが豚骨醤油といったところでしょうか。昨日も食べればよかったものの、小樽ビールで胃が膨れてたせいで食べなかったんですが勿体ないことをしました。ただ約1か月後の北海道秘境駅巡りでは札幌市内で休息する日を設けているので、その期間にじっくり堪能したいと思います。

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4. 駅周辺散策のち旅の結びの地、苫小牧へ

    北海道は開拓地だったということは知られています。交差点名にある通り、番地も規則正しく数字が降られていることもご存じの方は多いと思います(下図)。    

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    このように、平地に築かれた都市が碁盤の目状に広がるのは、物事を計画的に思考できる人間らしいことだと思うんですよね。なんでこんなことを突然喋ったかというと、「当たり前」と一蹴する前に一旦、粘菌のネットワーク構築実験を思い返して再度この事実に触れてほしいからです。

    ここでまた話を脱線させてください。先述したこのネットワーク構築実験は、関東平野の形に切り取った寒天培地上に人口規模に応じた餌を置き、放たれた粘菌の移動網がどのように構築されるかを見る実験でした。結果はというと今の関東平野の路線ネットワークと非常によく似た構造に構築されたんです。私はこの実験から特に2つのことが言えると思っています。一つ、それは現在の首都圏鉄道網の構造は非常に合理的なこと。二つ、それは人間はやはり人間だったということです。ここでは二つ目に焦点を当てます。

    まずパッと、碁盤の目状に路地が整備されている都市を思い出してください。私はというと東京駅周辺や仙台といった空襲に遭った街や京都、そして北海道の都市が思い浮かびます。あ、鎌倉や日本随所にある城下町は山がちなところに築かれがちなので今回は除外しましょう。キーは「平地部に自由に開墾」です。そうするとこれらの都市がどうやって築かれたかが大体わかってくると思います。そう、マインクラフトです。まず木を取って作業台を作り、それから頑張って施設をいろいろ作ったとしましょう。ではその施設間をどうやって通路で繋げますか?中には欧米のような、中心的な建物から放射状に延びる通路を築く方もいるかもしれませんが、東西南北の番地等で管理していく場合は恐らくこの曲座標系より正規直交系の方が好都合でしょう(決して欧米の町並みをdisってるわけではありません)。ミリ知らどころか無知で喋りますが、多分彼らは時計や方位磁石といった円形でメモリがあるツールに対して太古から親しみがあったから、何時の方向の何番目といった管理がしやすかったからあーいう街並みになったんじゃないですかね?緯度経度だって細かい単位はmin, secと呼んでますし彼ら。

    となると日本の場合は地形問題が無視できる平野部、つまりスーパーフラットバイオームで都市開発をする場合は路盤の目状に建物を築くようになったのではないかなと私は勝手に考えました。ただこれは人間の考え。粘菌は、まず主要な施設を結び、そこから枝分かれするように準主要な施設を結び…となったわけです。自然界に目をやれば粘菌だけでなくアリの巣だってハチの巣だって、碁盤の目ではありませんよね。まぁ彼らなりの考えがあるんでしょうけど、種の大半が数字という概念を持つ人間の場合は規則正しく住所を振り分けた方が戸籍などの管理がしやすいため、わざわざ直通経路で施設を結ばずに碁盤の目状の都市を築いたのでしょうか。これは曲座標系の欧米の町並みでもそうだと思います。そう考えると、ただ「合理的な街並みだな」という見方から「人間らしい町並みだな」という見方に変わってくるのではないでしょうか。まぁ単なる言葉の言い換えに遠回りしただけっちゃーそれでおしまいですけど。

    はいここで話を戻しましょう。先ほどの写真をよく見ると、同一の交差点なのに左手前側は"北7西5"である一方右手奥側は"北7西4"となっております。普通に考えたら「同音異義語の交差点作るな」となりますが、道路で区切られた領域毎に"条"と"丁目"が振られており、日本が左側通行であることを考えると、(本当はダメっぽいですけど)路肩に停車した時の番地名に交差点名称になってるのかな、という想像がつきます。こう考えてみると、街づくりの面白さに気づける気がしました。

    さてこんな長文章を書いた理由はこの日のトピックが少ないからです。すみません。話は戻り、色調補正するとアニメっぽくなるらしい札幌駅に向かい、苫小牧行きの普通列車に乗り、本日の宿である太平洋フェリーが停泊する苫小牧港へ向かいます(下図)。

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    普通列車で50分程でしたが、体感としてはあっという間でした。苫小牧駅の改札を降りるとなんですかこのぐうかわマスコットは(下図)。名をば"とまちょっぷ"となん言いける、そうな。え、待ってマジ可愛いマスコット欲しいんやが?なんでも2012年のゆるキャラグランプリは全道1位、全国だと14位だそう。あれトップちゃうんか。上位の13位はさぞめんこいマスコットなんやろなぁ…

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    ここで下車した理由は、隣の青葉駅まで某友人がたまたまいて一緒してくれるとのことだったためです。邂逅を果たし、苫小牧駅を後にします。

    青葉駅までの道端には巨大な煙突がつくしのようにそびえていました。(下図)。工場をこんな間近で見るのは工場見学以来なので新鮮でした。効率を極限までに追求した科学技術の結晶の姿は、大学時代の授業内容を思わず彷彿とさせ、存在しているだけでも威厳がありました。

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    そんなこんなで徒歩40分程。お隣の青葉駅までやってきました。これが撮りたかった(下図1)。地味に来たかった駅だったので感慨深い。そしてこの辺りの線路は定規で引いたかのような見事な直線(下図2)。なんでも、日本国内で最長の直線区間なんだそうですよ。いや~ここ運転する運転手さんはさぞかし気持ち良いだろうな~(制限速度ってのがあります)

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    フェリーの時間が近いと思い苫小牧駅に戻ったものの意外と時間があったので、駅前のゲーセンでさらにウニやって北海道勢になりました(下図)。

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    さて今いる場所は苫小牧駅。そしてここからフェリー乗り場までかなり距離があることが判明(下図)。あ、とまチョップが可愛い(唐突)。当初は歩いていく予定だったのでバスなんぞわかるはずもなく何も考えずにタクシー課金することに。某友人と「再び仙台の地で会おう」というエモい会話を交わし、苫小牧駅を後にしました。旅先で期せずして友人と会えるこのエモさ、多分読者の皆さんならわかってくれると思います。

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    タクシーに乗ると優しそうな運転手さんがいらっしゃいました。大荷物っぷりを見て聞かれるは旅行ルート。今回の長旅を伝えるとやっぱり目を回さずに目を回されていました。いや運転中に目を回したら危険だからね。改めて今回の旅はいい意味でぶっ飛んだ刺激的な、そして旅好きな私の骨休めに抜擢な旅だったなぁと思いました。旅行前はこんな長旅を完遂できる自信が無く不安だった節すらもあったのですが、今回の旅を実質計画通りに進められたことに対する達成感がとても大きかったのを記憶しています。

    仙台までの帰路の安全祈願(?)をしてくださった優しい運転手さんに別れを告げ、フェリーターミナルに降り立ったときには時刻は17時15分過ぎを指していました。乗船時間まではかなり余裕がありますが、搭乗開始時間を考えるとかなり良い時間の到着でした。ふと背後に目をやると夕陽に照らされたサイロが(下図)。なんと牧歌的で北海道らしい光景なんだ、と思いつつも、旅の終わりの気配を感じ一抹の寂寥感を覚えながら今までの思い出をふと振り返り、感慨に耽りながら眺めておりました。でもね、ここは吹きさらしの港なんだ。凪の時間帯は過ぎたらしく結構強い風が吹いており地味に寒かったので室内に入りました。新函館北斗駅到着時はごっつ寒いと感じていたのにこの時はそれほどでもありませんでした。慣れってすごい。

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    さて本日の宿、そしてこの旅行最後の宿となる太平洋フェリーです(下図)。初めて乗るからかもしれませんが、どうやら先祖に水軍がいたせいかどんな乗り物より海にまつわるものを見ると非常に気分が高揚します。湖のスワンボード然り。

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5. 初の太平洋フェリー搭乗 一路仙台を目指す

    船内案内をすると記事がパンクしますし、ほかの方の記事が絶対詳しいのでかいつまんで3つご紹介。まずは私の予約した部屋。縦長写真ですが許してください(下図)。なんとこの個室が早割で半額の6,800円です。最強。

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    お次。また、荒天時の大きな揺れ対策でしょうね、船内の物品が全て固定されていたのがとても印象的でした(下図1,2,3)。200kgくらいあるグランドピアノ(C3?)を、か細い三本の棒で固定できるかどうか、見ていてとても不安になりますが…

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    最後。可愛いので縦長画像許してください、とまチョップのマスコット(下図)。フェリーターミナルの売店で見つけたときには気づいたらレシートと共に手にしていました。もはやフェリーの紹介ですらありませんが、売店を見られる際には是非。

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    程なくすると、船は重い唸り声を上げ北の大地から離岸してゆきます(下図)。時間にして1日強の滞在時間でしたが、その短時間でもとてつもない魅力を持つ大地だなと実感できた旅でした。あ、ちなみに下の写真の夜空に写ってるUFOみたいな光はスマホレンズ内部の反射光です。撮ってた自分がビックリしてました。UFO映像って多分こうやって撮られるんでしょうね。

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    情勢に鑑み、バイキングは定食スタイルに変わってました。この日は一滴も汗かいてないですし、大浴場はとりあえず控えておきました。のんびりしていると船内にある現在位置案内モニタは北の大地からかなり離れている様子を映していました(下図)。現実に突き返される絶望に苛まれるかと思いきや、今までで一番大規模だったこの旅での思い出を振り返りながら感慨にずっと浸っておりました。

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    翌日は午前10時頃に仙台港到着見込みとのことで、旅の疲れを癒すべく少し早めに眠りに就きました。

7日目

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