見出し画像

孤独実験5

高校に入学した私は、大嫌いな勉強が学校開始時から始まるので、説明会でその予習問題集を渡されたことで、大変腹を立てていた。
一緒に説明会に参列した母親に対してもイライラしっぱなしだった。

3年間の我慢我慢… 
それだけで学校に行っていた。

最低限のレポートや宿題を出し、できないものはできない、と教師に丸投げた。出席だけはしていた。
一人だけ、私のやる気のなさに気づいた教師がいた。
「君は何のために勉強しとるんだね?高校卒業の免状を取るためだけじゃないだろう」
老教師に「実はそうなんです」ということもできず、私は黙っていた。ただ、この老教師を尊敬することを止められなかった。

高校に行っても、中学と同じくグループに分かれて学習や行事をさせられることは多かったが、クラスには私と同じように集団からあぶれたものが2~3人いた。仕方なくそれらとグループを組んで学習をした。
そうしているうちに、いつもそれらと一緒にいることが多くなってしまった。
危ない危ない。
家に帰れば、一人。布団にもぐって本を読む時間が増えた。
1年、2年とたつごとに、どうしても尊敬してしまう教員や、なぜかいつも一緒にいる人間がどうしても出来てきてしまった。

私は困っていた。
こうしてグループで動かせるのは、日本の文化の特徴なのか?わからない。私は世界を知らない。
でもいやがうえにも、人と一緒に活動せずにはいられない状況に追い込まれてしまう。
難しい。

それと同時に、「濁世を離れたい」という念も相変わらず私の心に、どっしりと居座っていた。
高校からは電車通学になったが、ホームに立っているとふらりと線路に吸い込まれそうになった。
ハッとしては「痛いのやだな」と身震いしていた。

3年生ともなると、今度は母が「大学ぐらい出ていないと就職できない」と言い出した。前にもあるように、私は勉強にはモチベーションが持てない。しかし、就職難の時代も重なっていた。
受験勉強は強いモチベーションがないとできない。
私は、中学時代の友達が志望している大学を志望し、「彼女と一緒の学校に行こう」と、何とか無理くりモチベーションをあげて、何とか勉強に向けることが出来た。
また勉強を辞める機会を失った私は、絶望しながら、世界を恨みながら、勉強を続けてしまった。しかも友達と一緒に。

卒業の日、今まで私の関心の外にいたクラスメイト達が、急に「一緒に写真を撮って」と言ってきた。それもひっきりなしに。
「だってあなた、すごい人になりそうなんだもの。」そうみんな言っていた。交流がないと思っていた人たちも、ひそかに私に目を向けていたのだ。


実験結果
人間が孤独に過ごすことは不可能だ
なぜなら他者がそうさせてくれない
毎日会っているだけでも、人間は人間に好意を抱いてしまう

この実験結果を踏まえて、私は変わることにした。

出会えるすべての人と話をする
限界までやれることをやり切る
何もかもに手を出してかかわる


高校卒業の日、帰り道の花屋の外に、おそらくディスプレイ用と思われる梅の枝が、無造作に壺に突っ込んであった。
私の背丈ほどもあったが、素晴らしい香りを放っていた。
店の中に飛び込んで、店主に話しかけた。
「あの梅ください、いくらでもいいです」
店主はまさか、花屋的には売れ残りの時期の梅が売れるなどと思わなかったのだろう、目を見開いていたが、
少し頭の後ろを掻いて、
「あーあれね、1000、いや700円でいいや」

そうして私は、自分と同じ背丈の梅の枝を抱えて、電車に乗り込むことになった。
誰に見られようが気にならない。
梅を抱きしめて、家に帰った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?