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兄の話をしよう。

私には一人兄がいた。

過去形で言うのはもう兄ではないから。

不幸なADHDの子どもの話をしよう。

彼は幼いころから、人を殴ることに何のためらいも感じない子どもだった。
むしろ殴られて泣く子を見てはどこか手柄顔をしているような子だった。
彼が何を考えて人を殴り、虫を焼き殺していたのかは後年わかってくる。

衝動性が抑えられない子だった。
気が向けば面白半分で妹を布団でくるんで窒息させようとした。兄はそれを楽しんで笑顔で行っていた。
怒りを抑える気もなかった。怒ればためらいもなく母を殴り、妹の首を絞めた。
兄が家にいる間、家庭では何が起こるか予想もできず、
単身赴任の父が帰ってきているとき以外は安心して暮らすことが出来る状態ではなかった。

そんな兄にもただ一つ打ち込める特技があった。水泳だ。
小学生にして全国大会の有力選手となり、母も付き添って水泳を支援していた。今思えば、彼の衝動性を昇華し、集中を向けるものとして最適な習い事だったのだろう。オリンピックも狙えるほどだった。

それは彼が、水泳中に発作を起こして搬送されるまでの栄華だった。

彼はてんかん発作を水泳中に起こし、意識を失って溺れたのだった。
その後彼は水泳教室に所属することはできなくなった。
てんかんの子どもは運動によって発作をコントロールする脳の機能がよくなったりもする。
そんな理解は当時なかった。また現在においても、ほかのスポーツはともかく、水泳に関しては、周囲の理解が得られないかもしれない。
学校の体育の授業としての水泳すら、教師たちは恐れ、プールサイドで親が付き添わない限り受けさせられないと言った。
彼が好きに泳げる時間は無くなった。

こうして、たった一つ、彼のADHDの特徴を活かせる場を、彼は小学校高学年で失った。

衝動性の抑えられなさはひどくなっていった。
まだADHDという言葉が生まれたばかりで、一般の人間は誰も知ることがなかった時代だ。
一度だけ両親が、ADHDの特集番組を録画したものを見ていたことがある。
母が取り寄せてきたのだろう。
父は一言、「わがままを抑えられないってことだな」としか言っていなかった。その程度の理解しか、一般の人間はできなかったのだろう。

彼はその後もひとたび怒れば家の壁に殴って穴をあけ、だれかれ構わず気に入らない人間を殴り、壊した。

ある日の午後、私は中学校から帰宅した。
がらりと玄関の戸を開けると、2人の知らない男が立っていた。「2階がまだだ。二階の角部屋を探せ」
刑事たちは片端から我が家を捜索していった。

ひたすら泣いていた母を、どうにかなだめながら、何が起こっているのか聞いた。
兄は知能もあまりよくなかったので、地元の底辺校に通っていた。その高校や、アルバイト先の蕎麦屋で窃盗が起こり、その犯人が兄だという。
実際我が家から盗んだものが出てきていた。
どこに隠すか、ばれないためにはどうするかなど考える能力が稚拙だったのだろう。
私は、「ふーん」とだけ答え、家宅捜索の終わった自分の部屋に帰った。
日頃、「兄がいる」というだけで過敏になっていた私のストレス対応スキルは、小さいころから続く、兄から与えられる危機によって、ストレスに対しては「心身を麻痺させる」ことで対応するストレス反応が固まってしまったのだろう。

その一件で、兄は少年院に行くことが決まり、私たちはひと時の安息を得た。

兄は楽しんで行っていた。家族と楽しんで、仲良くやれているというゆがんだ認知を持っていた。
それに気づいたのは、少年院から届いた兄からの手紙だった。
私はそれを受け取らずその辺に放置していた。
気づいた父が中身を空け、激怒していた。

兄は愛する妹に対し、こんなことをしたためていた。
「蕎麦屋で自分が盗んだ金は、俺のバイト料より少ない額だ。だから、俺の代わりにバイト料をもらいに行ってくれ。お前のお小遣いにしていいよ」

なんらの反省もなかった。
それどころか善悪の区別がついていなかった。
これでは少年院でも矯正できまい。

盗みに入った蕎麦屋に対して金を要求するなど、できるわけがないということに、ひとかけらも彼は気づいていなかったのだ。

このころには「行為障害」に加えて、「ADHD」の診断名がついていた様子だ。

予想通り、彼は少年院を退院した後、また同じようなことをして少年院に逆戻りした。

その後、成人してからは「一人暮らしがしたい」と家を出ていった。
何をしているのかは、今はわからない。

ADHDの多動性や衝動性は、成人すると少し収まることもあるという。
私は、兄の場合いわゆるDBDマーチという最悪の形になっているのではないか、と予想している。
DBDマーチとは、ADHDに、行為障害や反抗挑戦性障害などが加わり、より症状を悪くして、反社会性人格障害へ発展していくパターンのことだ。

嫌な大人になって、人様に迷惑をかけ続けているのなら、
心理師としては失格だが、妹としては、半分はどこかでだれにも迷惑をかけずに、ひっそりと死んでいてほしいと考える。
半分は新たに衝動性や過集中の受け皿となるような良い仕事について、真人間になっていてくれればいいとは思う。
人を善悪で分けるのは間違っている。善悪は人によって違うからだ。
しかし兄の被害者としての私が、兄を絶対悪のカテゴリーから解き放てない。ダンゴムシの群れに灯油をかけて火をつけ、妹に「面白いだろう」と言っていたあの子が、まともに育つ未来が見えない。
成人してからも他人に迷惑をかけた事例ばかりが耳に届く。

もう、あの人を兄とは呼びたくない。

いまでも、ADHDの子どもには、善悪の分別をつけることを徹底して教えることにしている。
兄が描けなかった未来を、子どもたちが見せてくれることを信じたいと思う。


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