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孤独実験

義務教育は中学まで。
当の中学生になればそんなことはいやでも知識として叩き込まれる。
だから私は、中学生になれば勉強から解放されると思っていたのだろう。
とにかく勉強が嫌いな人間だった。何がそんなにいやかと言われてもわからないが、強いて言うなら「面倒」の一言に尽きる。 
私は「面倒」の塊であるこの濁世(じょくせ)に飽いていた。
学校に行くのが苦痛だった。いじめもあるが、そんなことは私の関心事ではない。成績も人並み以上に良い。親しい友人も少ないがいる。
ただただ、私は飽いていた。

学校からの進路調査票を白紙で出したことで、教師がまず、私の異質さに気づいた。
親切にも偏差値別の高校の表を作って配り、私の偏差値で行ける高校を示してくれたりもした。教師が言うには、どうやら「君ならかなり良いところに行ける」とのことだ。
それでも私は動かず、
ただ濁世から逃れる日を漫然と待っていた。
つぎに母親が気付いた。娘が、まったく進学のために何もしていない、と教師からの伝達で聞き、焦って進路調査票をわが子と一緒に書こうと試みた。
教師の作成した高校の表を見ながら母親は娘をまず叱った。
「高校くらい出ておかないと将来就職できないでしょ!」
「それは高校いかない人に失礼じゃないか?」
ぼそりとツッコむ娘を、どうにかこうにか説得して、調査票を書かせようと躍起になった。
私は仕方なく高校進学を決めた。ただし、心の中で「高校は高卒資格を取るためだけの場所」と自分の中で区切りをつけた。
飽いた勉強とおさらばできるというぼんやりした思いを打ち砕かれ、自棄になっていたこともある。区切りをつけないと、心が保てない気がした。
母と作った進路調査票には、楽に高卒資格が取れるよう、私の偏差値より下の高校を3校、書いた。これなら楽が出来るだろう、という私の目論見と、合格確実な高校がいいという母の願いの妥協点だった。
こうしてできた進路調査票。翌朝教師に提出行くと、一つ指摘をされた。
「お前な、これ男子校だぞ」
高校の格付け表には、その高校が男女共学か別学かという情報がなかったのだ。
つまり、受験生としては知っていて当然の近隣高校の情報が私も母も入っていなかったことになる。
母親も不注意が目立つ方だった。
残った2校に、母親は車に私を押し込めて見学に行った。
2つの高校で応接室に通され、カリキュラムの説明を聞く母親。
私はもらった資料をぱらぱらとめくり、ぽいと机上に投げ置いた。
母親はそれを気にしつつも、高校の担当者(教師?)の話をうなづいて聞いていたようだ。
2校から帰って、「どっちに行くの」と聞かれ、
ああもう高校行く前提で話が進んでいるんだなと観念した私は、
「…A高でいいよ」とふてくされて答えた。「だけど、」
私は続けた。「これっきりだからね」
私は勉強のことのつもりで言ったが、母には伝わっていたのだろうか。それはわからない。
私は高卒の資格を取るために、いやいやながら学校へ行くことが決まった。
受験勉強はほとんどやった覚えはない。
かといって部活や遊びなど他に入れ込んでいたことがあるかというと、そうでもない。
私はただ本の世界にダイブしていたかった。
本を開くと、ちょうど海に飛び込んだような、あの感覚。
本の世界は私を息もできないほど包み、私は愉悦に浸った。
ここにずっと溺れていたかった。
中学が終われば毎日溺れる生活が出来る、とどこかで思っていたのかもしれない。
それが、学校図書館の蔵書のほとんどを読みつくした娘の考え方だった。

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