記憶巡りの旅2

ボビーはあれだけ薬中だったのに、なんでこんなに言葉を残せるのか、薬物の問題でなく常に詩を書く人間は言葉や記憶という体験を身体で覚えているからなんじゃないか。今風に言えばアウトプットが健常にできている習慣だからか。。

俺は日本のT県K市で産まれた。
4人兄弟の1番下。全て雄。
両親は多分3番目あたりから女の子を期待していたのに男だったから、4人目の期待度はまあ想像通り。妊婦健診で男とわかった日には両親はどんな表情をしたのだろう。父はなんというか男4人が誇らしいみたい人だったけど、母はホントにショックだったんじゃないかと。母の口癖は「猫になりたい」で。居間で猫を抱き、馬鹿笑いしながらテレビをみているようなひと。料理や手芸も好きでドーナツやケーキもよく作ってくれた。
俺には今女の子が産まれて、母の近くでは住んでいないけど、一緒に住んでケーキ作りや色々と教えて欲しいもんだなと感じる。

もちろんだか産まれて間もない記憶はない。
ただ、寂しい思いってのは感じていなかったように身体が覚えている。それは単純に兄弟の数、祖父母、父母見てくれる人数の多さだと思う。人を育てることは家族単位で支える、旧態型の方がヒトとしてベストなんじゃないかと思っている。
今は家族単位というよりはシェアハウスなどの緩いつながりの共同体みたいな生活も良しとされるが、他人と暮らすことの難易度ってやっぱ高いから根付きづらいんじゃないかと思ってる。暮らさないけどネット空間や近場で助け合う。それもそれであり。でもイエは血の繋がる人たちの暮らし。これが濃すぎると逃げ出したくなるもんで、そこにセーフティネットがあるといい、それは遊び場だったり、学校だったり。
まとまんないけど、血の意識みたいなのは動物である以上、潜在的に求めてるんじゃないかーと。
なんだか、書き出すと他の思考にどんどん持ってかれる。
これを調整してまとめられるのが作家や編集者。
わたしにはいないので、気の向くままに書く。

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