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死ぬも「生きる」の選択肢

3泊4日のハイパー鬱合宿から帰還。
パジャマから着替えることを思い出し、食事と呼べる程度のものを摂取し、湯船に浸かって、健康で文化的な生活を取り戻しつつあるのでこれを書き始めることができた。拍手。

思い返せば、恐らく2月が軽躁ピークでそこから緩やかに落ちてたんだろうな。で、今回の激鬱が底辺。きっと季節的にここから先はしばらく平穏。であってほしい。マジで頼む。


会社の人に勧められて、障害年金のお話を聞いてきた。
傷病手当も大変だったけど、その十倍くらいのボリュームの書類があってなにがなんやらだった。とりあえず社労士さんにお願いしたらいい感じにしてくれることだけわかった。

その翌日がちょうど診察日だったので、障害年金いけますかね〜と先生に相談してみた。あまりいい反応ではなかった。
障害年金には1〜3級があって、3級がいちばん程度が軽い。日常生活や就労ちょっと困難があって、補助が必要な人向けって感じ。私はここにギリギリ引っ掛かるかどうかのところ。
職場では本来の仕事内容ではなく補助的な業務のみで、体調によって早退可能など最大限の配慮をしてもらっている。十分な就労はできていない。
けれど、生活面は概ね問題ない。鬱真っ最中はお風呂に入れないしロクな物を食べていない(or食べない)し、絵に書いたような廃人化する。が、そこを脱すれば普通に生活できる。

その見極めが、それはもう、めちゃくちゃに難しい。
モノは言い様、みたいな話になる。

病歴を知る先生から見れば、受給できなくもないけどかなり難しいかなってレベル。
勤怠・給与事情を知る会社の人から見れば、受給を勧められるレベル。
私自身は、そりゃ貰えたら有難いけど、一人暮らしが成り立ってる時点で諦めてる。
いろんな立場から見て、何が正解かわからなくなった。


私、すげえ中途半端なとこにいるな。
いっそ死ぬか。

久々に、的確に、死を意識した。
曖昧な自分が許せなくて、決着をつけてしまうのが楽なんじゃないかと思った。

けれど、無気力の極みにいた私は死ぬことすら面倒で、まだクリーニングに出せていない毛布に包まって一日が過ぎるのをひたすら待つしかなかった。
首を吊る何かの用意も、飛び降りるために高いところへ行く気力もなかった。


前に一度だけ、革製のバッグの持ち手を首に掛けてみたことがある。これは多分いけるな、と思った。でも勇気が出なかった。「死のうかな」という考えが頭を過るとき、窓から射し込んだ痛いほど鮮やかな夕陽を思い出す。勇気が出なかったことを思い出す。あの景色が消えないうちは、生きろってことなんだろうな。毛布の中で、夕陽に照らされて立ちすくんだ自分に言った。「お前、やめてといて正解だったよ。多分だけど」と。


死にたいときって、生きたいときなんだと思う。
「生」を意識しなければ死にたいなんて考え付かないはずだから。


生きるって、常に何かを選ぶこと。
今日の夜ご飯は何にしようかなとか、明日の靴下はグレーにするか黒にするかとか。些細なこともすべて自分で選んで、オーダーメイドの人生が出来ていく。
その中で「死」は、その先の枝分かれがない究極の選択肢。それを選ぶって、相当な極限状態で何も見えてないんだと思う。自殺する人は兆候もなくふっと日常から消えてしまうと聞くけれど、それは自分の人生に枝分かれがないことを決めているからなんだろうな。

私に向かって「死にたい」と溢す人が周りにたくさんいる。
それはまだ「誰かに気持ちを話す」という選択肢がある段階。よかった、まだ枝分かれがあったんだ。だから私はその先を必死に繋ぐ。正直、自分自身もめちゃくちゃ削られるけど、その人が私を選んだことに理由があるはずだから、どうにかして「死」という選択肢を遠ざけていく。

なんで私なのかわからないけども。
神様がいるなら、せめて私に健康な精神を与えた上でこの任務を背負わせてくれよと思うけど(笑)。


死にたいって思う日は数え切れないくらいある。毎日、大なり小なり死にたさを隠し持って生きてる。
死にたいくらい辛いときって何も楽しくないし何も響かないけど、ふとした拍子に意外なもので笑ったり泣いたりして「自分、生きてるな」と我に帰れることがある。生きるって超難しいけど、選択肢を増やしていった先に楽しいことがあって「悪くないな、もう少し生きるか」とか思えるんじゃないかな。



明日突然、隕石がぶっ込んでくるかもしれないし、そんな瞬間に立ち会えたらおもろくない?
そんな明日のために今日を繋いでこ。



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