シチリアにしひがし         シチリアの遺跡を訪ねて一人旅


#創作大賞2024

マトリーチェ教会入口階段での子どもたちとの出会い エリチェ

「出会い」
 なぜシチリア旅行を文章にしようかと思ったというと、昨年(2019年)シチリア東部のシラクサから西部のパレルモまでの約3時間半の旅で出会った老先生(アテネの会議の帰りマイレージを使いシチリアによった、アメリカの大学を卒業して30年間アメリカで投資銀行に勤め、日本に帰ってきて大学で教えて、今年退職した。同窓生であるT大の学長に意見を言える人)とずっと政治、経済、シチリアや北海道のことを話しました。日本の政治家、経済人が劣化していると断じ、日本の良いところが失われてきていると。私も思うところを述べ、意見が一致したことも多く、楽しい時間をもらいました。
 私が北海道で教師をしでいることを話すと、北海道を旅行したことがありそのスケールはアメリカ西部と似ていると教えてくれ、両方とも開拓者が切り拓いた土地ですよねと応じました。
 昔から比べると教育現場への圧力が強くなってきたことを話した時に、そんなに圧力が強くなっているのかいと言い、小学生の孫の教育が心配だ、日本の教育は異質のものをはじくと。 
 社会的に活躍している老先生も孫の教育については心配しているのだと思いました。そばに、人生の「こつ」を知っているお手本がいるのではと伝えました。
 初めて訪れたシチリアについては、世界のどことも違いスケールの大きさには驚いたと話していました。私が5回訪れていると話すと、そのこだわりを本にまとめてみては、と言ってくれました。4年で5回訪問の記録をまとめてみようかなという思いが心の片隅にあったので、とりあえずは旅行案内書で投稿を受け付けている出版社に向け、投稿する?文書に取り掛かっています。                      (2020年1月)
 ある団体の広報誌に連載していただいている「シチリア通信」をもとに記述の追加修正をしました。博物館、美術館の作品の写真は、許可を得ていないために掲載する事が出来ませんが、その雰囲気が感じられる写真をにしています。
 ぜひ、実際に現地に出かけて、当時住んでいた人々の息吹、雰囲気を感じていただきたいと願うとともに、一人旅のドタバタを笑っていただければ。             
                          (2024年1月)

「いよいよシチリアへ~ホットする空港でのエピソード」
 キャセイパシフィック千歳発16:00発→香港20:35 香港00:20→ローマ06:30 ローマ09:10→カターニャ10:15は往きのスケジュールです。
 香港空港ではぜひ本場の中華料理を食べようと考えました。往きは手元に子どもが見学旅行で持ち帰った元が少しあったので、料理の看板を見ながらカウンターに並びましたが、元を見せると手を振って断られました。次の店も同じ。仕方なく休憩場所の前で喫茶店の店員がサンドイッチとコーラを売っていたので、元で買える聞いたところOKということでやっと口に入れるものを手にしました。お腹がすいていたので一安心。
 あとは飛行機に乗るだけ。搭乗口の案内表示を見ながらターミナルの端まで結構な距離を歩きました。待合室に行くとすでにたくさんの人でいっぱい。札幌→香港便のガラガラと違いびっくり。やっと空いている席を見つけて、隣の人に「OK?」と確認し座ることができました。 
 あとは飛行機に乗るだけ、いつの間にかウトウト。トントンと肩を叩かれてハッと顔を上げました。隣に座っていた男の人が「ロンドン?」と。「ローマ」と答えると、私の顔を見てうなずいて搭乗口に向かいました。とっさに「サンキュー」の言葉を伝えられなかった自分にガッカリ。旅先でも周りの人を気遣う人がいることに一瞬、心が「ホット」しました。 
 私もそんな人になろう。
 帰りの香港空港では、何軒もの両替所を見ながらレストランコーナーへ。
 行きと違い、たくさんの円がサイフに入っていたのでした。 
 急いで両替所まで引き返し、1000円を香港ドルに換金しました。
 フードコートのカウンターで、持っているお金と料理の写真、料金を見比べて海鮮スープの麺にしました。カウンターで受け取り空いている席を見つけて、先客に「OK?」と聞いて座り、口に入れた瞬間に「美味しい」と一言。心も体も「ホット」した瞬間でした。前に座った人は、おいしそうな具たっぷりの海鮮麺。
この経験を次に活かそう。

「いよいよシチリアへ~アレレの瞬間」
 話は、新千歳空港のキャセイパシフィックのカウンターに戻ります。
 航空会社のカウンターを見て、千歳に飛ばしている航空会社が結構あるなと思いながら歩いていると、奥のほうに見つけました。
 Eチケットを見せて搭乗券と荷物の預け入れの手続きが始まりました。いつもなら数分で終わるはずが、キーボードを何回も打ち続けています。
 係員が、「お客様、ここではローマまでのチケットしか発行できません」。私は、「ほかの航空会社ではすべて発券されました」と伝えると、さらにキーボードをたたいた後に、「ローマに着いたらお客様自身でアリタリアのカウンターでチケットを発行してもらってください。
 お荷物の手続きはシチリアのカターニャまで取り扱いはできましたと。 
 「アレレ」の瞬間でした。
 そんなこんなでやっとローマにつきました。乗換の案内表示を見ながら進むと、乗換の手荷物検査場の前にアリタリア航空のカウンターを発見。
 Eチケットを見せてローマ→カターニャまでのチケットを発券してもらいました。
 手荷物検査場を抜けると出発ゲートを電光案内板で確認しました。時々変更があるので要確認です。毎年見慣れた免税店、搭乗口案内の標識を見ながら15分くらいでゲートに着きました。
 間違いがないか搭乗口の電光掲示板で行き先と出発時間を確認し一安心。     
 あとは、飛行機に乗るだけと思うとお腹がすいてきました。近くのBARでカプチーノ、水、ボルケッタのパニーノを注文し、€10.4を支払いました。約1500円と空港価格、でもパニーノのボリュウムはありました。
 搭乗して約1時間ほどでカターニャ空港へ。
 さて、シラクサ行のバス停はどこかなと。近くにインフォメーションの看板を見つけ、「バス停はどこですか?」と聞いたのですが、受付の女性は片手を振ってそんなのは知らないという素振り。
 もう一度聞いても手を振って、奥に座っている女性は教えてあげたら、という感じでした。インフォメーションの表示があるのに、「アレレ」の瞬間でした。
 外に出てタクシー運転手を見つけ、インテルバス(シラクサ行を運航している会社)のバス停はどこか聞くと、優しく指をさして教えてくれました。   
 チケット売り場の小屋を見つけチケットを買い、バス停のほうを見ると入ってくるバスが見えました。思わずラッキーと。 
 予定していた時間の前のバスに乗ることができました。
 あとは終点までという思いと安心感からひと眠り。ちょうど町に入る前に起きました。もう少しで着くかなと思ったところ、緑に囲まれた広場に停車。他の人はどんどん降りていき、最後になりました。
 運転手に、「ターミナル?」と聞くと、「そう、ターミナル」と一言。いつもの場所と違う。ここはどこ?「アレレ」の瞬間でした。
 
さて、この先はどうなったでしょうか。

「晴れはごちそう、大風、大雨、雷は旅のスパイス?」
 2018年のシラクサの滞在では、6日が快晴、2日が曇りでした。市内観光はもちろん、タクシーによる1日観光、ガイドブックを見て現地で決めた列車やバスでの1日観光など楽しい毎日を過ごすことができました。
 夜もB級グルメ(馬肉のパニーノ)を買いに行ったり、天窓から見える星空を眺めたり充実した日々を過ごすことができました。旅行中の「晴れ」をごちそうと言うそうですが、毎日ごちそう続きで大満足でした。
 しかし、2019年のシラクサでは、8日間中4日は晴れ、3日間は雨に降られました。
 タクシーの1日観光も2回ずらして7日目にようやく行くことができました。この年は駅前のタクシー運転手に1日観光について尋ねたところ、観光タクシーを紹介されました。 
 どこに泊まっているか聞かれ、ホテルに行き私とフロントスタッフ、ドライバーで確認し、晴れたら行く条件で予約しました。
 予報は雨ということで2回の変更をフロントスタッフから連絡してもらい、3回目に行くことができました。ハラハラドキドキ、大風、大雨、雷は旅のスパイス?と名付けましたが、まさに胃にくるスパイスでした。
 トラパ二への移動前日となったパンタリカの観光は、前日までの大雨で通行止めや橋が通れなくなるなどの影響がありましたが、晴のごちそう。
 昼も前年、帰りの飛行機の中でカターニャ在住の日本人に紹介されたレストランでの美味しいパスタで大満足でした。
 実は、シチリア旅行で4年間同じ場所を訪れ、晴れ、曇り、雨によって遺跡の表情、雰囲気が変わったことを感じたのです。そのたびに新たな発見やまた訪れたいと強く思うのでした。2500年前に生活していた人々も同じ天気の下でこの景色を見ていたのだと思えてしまうのです。まるでタイムスリップです(妄想?かも)。
 大風、大雨、雷に会いましたが、これらをスパイスとしたとき食欲が(旅の楽しみが)増したりお腹をこわしたり。そんな時、あなたにはどちらに働くのでしょうか。
 スマホを持っていると天気の情報は、知ることができるかもしれませんが、私の携帯はガラ携。でもシチリアではテレビの5チャンネルが早朝から天気予報を流していました。

シチリアの天気予報

 旅の予定を立てても読めないのは天気です。雨に当たろうものならガッカリを通り越し悪者探しをしてしまいます。泣く子と地頭にはかなわないと観念するのは年齢を重ねるしかないのかもしれません。
 そんな意味では、まだ私は若いと思えるのです。

「アグリジェント(古代名アクラガス)」 
 紀元前690年ギリシャのロードス島、クレタ島の植民者が建設したジェラが、西に70㎞離れた場所に紀元前582年に建設したドーリア人の植民都市です。
 当時のシチリアの争いには、セジェスタ、セリヌンテ、ジェラ、シラクサなどの有力都市の一つとしてアグリジェント(アクラガス)の名前が出てきますが、ネットでその歴史がセリヌンテほど詳しく取り上げられてないのは不思議です。

アグリジェントへの道のり
 2000年に父を誘って家族で南イタリア旅行のツアーに参加する時に購入したガイドブックのシチリア島案内写真、青空下のコンコルディア神殿にはため息しかありませんでした。 
 参加したツアーは、シラクサとタオルミーナしか見学しませんでしたので、いつかは行きたい場所としてずっと頭の片隅に残っていました。
 2016年の12月のシチリア訪問は、セリヌンテ遺跡を列車、バスで移動することとアグリジェントをタクシーで見学することを目標にしていました。
 この年は、1月にシチリアを訪問し、セリヌンテをタクシーで訪れていたので、今回は新たなチャレンジでした。
 1月にトラパニの本屋で買った地図で存在を知ることになったエラクレアミノア(以前に取り上げた)もタクシーで尋ねることにしました。
 アグリジェントは、シチリアのギリシャ遺跡の中でも有名な「神殿の谷」に、初期キリスト教時代に教会に転用され保存状態の良い「コンコルディア神殿」があります。
 神殿を仰ぎ見た時の震え。2000年の時、いつかは見てみたい思いがかなったと感じた瞬間でした。
 しかし、遺跡にたどり着くまでにはちょっとした苦労があったのです。
 タクシードライバーのアンドレアと最初に博物館に行き、神殿の谷と博物館の共通券を買いました。
 見学してから連れていかれたのは小さな広場。向かいには柵と遺跡から降りてくる観光客、警察官がいました。アンドレアとは、2時間後に待ち合わせることで出発。
 道路を渡り、観光客が下りてくる先に車止めフェンス。そこに警察官が立っていました。
 チケットを見せると、「NO、ここは入り口でないと」。「え~」というしか言葉は出ませんでした。
 アンドレアのもとへ。でも、アンドレアも知らないと。
 警察官に聞きに行くと、道路を降りて行くように指をさしました。
 歩道のない道路を行きかう車に注意しながら歩いても入り口を示す建物もなく、ただ道路の上に見える陸橋を観光客が歩いている姿だけ。
 陸橋の看板には、アグリジェントの文字が見えるだけ。10分ぐらい歩くとロータリーがあり、向かい側に看板が。矢印で入り口400mと。
 アンドレアのところに戻り、メモで1時間?と聞くと、それは無理という表情。メモに14:30と書いてくれ、これから2時間OKと。 
 途中、道路に立っている警官に遺跡の入り口を確認すると、指差しで教えてくれました。
 看板を見ながら道路を渡ると広場があり、土産物売店の女性に聞くと奥の建物を指さしてくれました。感謝、感謝です。

神殿の丘に至る登り口

 やっと遺跡の入り口にたどり着きました。なんということでしょうか、ここまで30分かかりましたが、多くの人に感謝しかありませんでした。
 とにかく神殿の谷を眼に、記憶に焼き付けようとガイドブックを手に気合を入れてスタートしました。
 後で知ったことですが、神殿の谷の入り口は9か所ですが、シーズンや曜日によって、減ったり出口になることがあるそうです。要注意です。

神殿の谷
 やっとたどり着いた神殿の谷。初めに目にしたのは、双子神カストルとボルクスの神殿。
 近くによると、想像するだけでも当時の大きさに圧倒されてしまいます。 
 日本で言う神社・お寺なのですが、こんな大きなものをたくさんの費用と労力をかけて次々に建てるなんてと思わずつぶやいてしまいますが、古代の人にとって大地の恵みを得る、植民、戦争の勝利、人生の様々なことに神託を受け、結果に感謝することは必要不可欠なことだったと思いなおしました。
 今でこそネットでリアルに戦争の情報、天気予報や災害の原因を知り地球が生きていることも理解できますが、当時は神が世界を動かしているのですからそのことへの感謝は現代を生きる私には想像のつかないような半面うらやましい感じもします。
 不思議な感じです。でも、自分は今となっては廃墟となった古代の人々の聖地にいるのですから。
 神の恵みも永遠ではなかった、そのような文化や時代があったのだと納得しました。
 でも、「苦しい時の神頼み」は、便利な言葉として使っていますが、神様からすれば勝手な言葉ですよね。

柱の構造がわかるよう

 双子神のカストルとポルクス神殿やヘラクレス神殿、ゼウス神殿、ヘラ神殿の建設にあたって、ギリシャ人は身近に手に入る石灰質の砂岩で建築した後、白い漆喰を塗りました。今も彩色した白い漆喰の色が柱に残っています。
 カルタゴにより破壊されたヘラクレス神殿は、イギリス人のハードキャッスル卿がここに屋敷を建て、発掘と遺跡整備を行ったことで姿を見ることができるようになりました。    

コンコルディア神殿への道

 ここに載せてはいませんが、双子神殿はイタリア人の旅行者、テラモンは台湾からの旅行者の方に写真を撮ってもらい訪問の証にしました。
 コンコルディアは、「和解」「平和」「調和」を象徴するローマの女神の名前で、近くで発見されたラテン語の石碑断片に由来して名付けられましたが、誰にささげられた神殿なのかわかっていません。
 しかし、このように名付けられて神託が下る神殿が世界各地にあって、為政者に神罰を下してほしいと望むのは、私だけでしょうか。苦しいときの神頼みです。
 ここまでの保存状態にあるのは、初期キリスト教時代に聖ペテロ・パウロ教会に転用され、1784年の修復で、古代の原型に復元されたからです。
 この神殿を目にすると、「美しい」という言葉とため息しか出てきませんでした。

青空の下のコンコルディア神殿

「シラクサからの小旅行 ノート近郊」
・遺跡探索のロングドライブ
 2018年は、タクシーを利用して2回遺跡巡りをしました。(1回目は前回のメガラ、レンティーニで報告)
 2回目、朝一番にシラクサ郊外の城塞跡カステルエウリアロへ。
 バスでは行けないので車で行くしかありません。
 紀元前5世紀にデオィニュシオスが海陸を見渡せるエピポリの丘に築いた城塞と壁は陸側からの攻撃を防ぎました。
 ローマ軍との戦いで攻略されシラクサは陥落しました。
 現在残っているものはビザンチン時代に再建されて物ですが、道路から見上げた規模はとても大きいものでした。
 ここからシラクサを望む景色は、その当時と街並みは変わっていても、当時アルキメデスが考えた道具でローマ軍と闘ったことを想像させてくれる場所ではないかと思いました。
 さて、時間を戻します。この時は、城塞跡カステルエウリアロ、ノートアンティカ、ギリシャ神殿、ヴェンディカリ、テンピオ・ディ・ジオーベに行くことで、タクシーを予約しました。
 今日の天気は晴れということで、ドライバーと行先を確認して出発しました。
 道路も混んでいなくてスムーズに目的地に着きました。
 あれ、入口のゲートが閉まっている。さらにチケット売り場も閉まっていたのです。
 ドライバーが何か所かに電話をかけたのですが、今日はクローズ、明日は朝から開いていると。
 残念!すでにメガラ、レンティーと今回で2回タクシーを利用しており、3回目に使うお金がなく諦めました。
 ドライバーは、「ソーリー」と言って慰めてくれました。
 その後、城塞跡が見える丘の周りに車を走らせてくれたのです。
 開いていると思い込んでいた自分の頭の中にシーズンオフという言葉が響きました。
 次に楽しみを残した、今日はあと4か所回るのだと気持ちを切り替えました。
 車は、青空のもと石灰岩の白っぽい岩肌が飛ぶように流れていきました。 
 ドライバーから、こんな景色日本にあるかとの問いに、「ノー」と答えたのを聞いてドライバーはうれしそうでした。

・ノートアンティカへ

ノートアンティカ入口

 この遺跡は青銅器時代にさかのぼる生活の歴史があります。その後、ギリシャ時代の遺跡が残るこの場所は、ローマ人も住居を構え、イスラムに征服され、ノルマン人が支配した時代には強固な要塞化がなされました。
 古代名はネトウムと言われていました。
 しかし、1693年の大地震によって倒壊し、12キロ離れた現在のノートの町に再建されました。
 この地震では、この地域で6万人が亡くなったとされています。戦争で都市が落ちることはなかったが、この地震によって落とされたと伝えられています。
 さて、こんな奥地の谷に挟まれた丘陵地帯によく町を築いたものだと感心してしまいました。着くまでがとにかく大変でした。
 だいたいが1車線という狭い道路にアップダウンとヘアピンカーブの連続は迫力満点でした。

案内板はかなり傷んでいる

 遺跡はガイド付きで1時間コースと1時間以上のコースがあるそうです。 
 歩いてみると、どこに何があるのかもわからず、荒れはてた状態、廃棄された町そのままでした。
 この遺跡にはギリシャ時代から地震前までのネクロポリ、カタコンベ、教会跡が残っています。
 あちこち歩きまわり建物の跡を見て回りましたが、見学コースが整備されているわけではありません。限られた時間、ガイドなしで残念‼ 
 廃墟好きの方にはお勧めですが、次は遺跡の地図を手にしてじっくりと回りたいと思いました。事前の準備が足りなかったと大反省でした。
 ノートアンティカの町を回った後に城塞へ。小さな規模でしたが、近くで見るとなかなか迫力がありました。難攻不落の象徴だったかも。
 時間がなく大急ぎでしたが、日本のお城を思わせてくれ胸に熱い思いが、満足、満足!
 城塞を見た後、ギリシャ神殿跡に向かうことに。
 グーグルの地図をドライバーに提供しましたが、道路を行ったり来たりと大変、そしてまた城塞に戻ってきました。
 ドライバーが城塞のところにいた人に確認したところ、城塞を抜けていく道をまっすぐだと教えられました。
 車は通行禁止なのでここで待っていると言われ出発!でも、初めての場所、グーグルの地図だけで不安が。  
 こちらに来るカップルに、ギリシャ神殿はどこ?と聞くと、この道をまっすぐ行くと聞いて一安心。でも、倒れた柱しかないと教えられました。
 案内表示に勇気もらって進みましたが、途中に教会跡の表示、何かの記念碑、トレッキングの道路標示のほかはなし。
 どんどん進むと突き当りに家と鍵のかかったフェンスが。フェンスの向こうかなと近づくと大きな犬が2匹、私に吠え掛かり、恐ろしくて脇道へ。
 仕事をしていた羊飼いに神殿の入り口は?と聞きましたが、ないと。
 力なく帰り道を歩いていると、羊飼いが入口まで車に乗せてくれ、感謝、感謝でした。ギリシャ神殿は見つからず。
 実は、この記録をまとめるためにネットの地図で遺跡を再確認。新しい地図には、教会跡の隣に神殿跡がはっきり。少しのぞいただけで終わったのを知り、残念‼がっかりの瞬間でした。木と草が邪魔したから見つからなかったのは仕方ないと自分を慰めました。
 撮ってきた写真を確認してがっかり。教会の案内表示に倒れた神殿の柱があったのに気がついてさらに落ち込みました。
 ギリシャ神殿はもっと大きなものと思い込んでいたのでした。シチリア西部のセリヌンテ遺跡で大きな神殿から小さな神殿まで見てきたのに。
 以前のグーグルの地図では、今回の遺跡までの距離や大きさが想像できなかったのでした。
 しかし、新しい地図にはしっかりと遺跡案内がされていました。
 地図も進歩したのでした。もう一度挑戦です!

「シラクサからの小旅行 はじめてのラグーザ」
 
2018年、シラクサの8泊9日の計画では、大まかな行先+予備日を設けていました。
 タクシーを2回使って、メガラ、レンティーニとノートアンティカに行ったので、3回目でエウリアロやパンタリカに行くのは無理。サイフにやさしい計画にチェンジすることにしました。
 ガイドブックを見て鉄道で行けるラグーサに決定。
 早速、フロントで時刻表をプリントアウトしてもらいました。
 行きは10時30分発、ラグーザ到着が12時32分。帰りは16時26分発、シラクサ到着が18時36分でした。
 その日の早朝、ドーモに行くとフリーと言われラッキー。ギリシャ神殿の柱に触れながら、その当時に思いをはせました。朝市を見学した後、ホテルでトイレを済ませて駅へ向かいました。
 駅の窓口に行くと、女性職員から券売機で買うように言われてチャレンジ。実は、前の日に券売機でチケットが買えるように練習したのでした。

指定された場所にお金を投入

 前の日は、お金を投入するところまで行き、いつかは訪れたいと思っていたジェラ(古代の有力都市)までの時刻表も調べたのでした。
 ところが、今日はなかなかチケット購入には進めませんでした。
 出発時刻も迫りうまく買えなかったので、窓口に伝えると仕方なさそうに往復切符を発券してくれました。ラッキー!
 イタリアの列車は、乗る直前に刻印をしなければならないので、買えるときに買っておいても問題はないので、前日に買っておけばと反省しました。
 ちなみに、券売機で購入に成功したこともあったのですが、奇跡だったのかもと思わされました。
 乗り場に向かうと列車が入ってきたので、近くの人にラグーサ行きか聞くと、違うと教えてくれました。
 ホームに入ってきた列車は、なんとローマテルミニと表示。 
 いつかは乗ってみたいと後日運賃を調べると、1万円以上。飛行機のほうが安いという結果に。
 先ほどの人が、行先が同じなのか乗り場まで案内してくれました。
 さて、乗り場に入ってきた列車に急いで乗り込みました。
 ところが、前から車掌が来て「フィニッシュ、ラグーザ行きは2番ホーム」と言われて降り、次にホームに入ってきた列車に乗り込みました。

入線してきた列車

 ラグーサまでの2時間、シチリアの地図を見ながら停車駅を確認し、旅行ガイドブックのラグーサ案内と市内の地図を開きました。
 初めて訪れる期待と不安を飲み込みながらも列車は、何事もなく時計の針が到着時間を追いかけながら走りました。
 車窓からラグーサイブラを目にしたとき、一瞬中世の町を思わせる景観に胸が震えが来ました。

車窓からのイブラ

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