絶望するということ

自分の叶えたいことを、自分なりにベスト尽くしても、結果が出ないことがある。つい最近も風土改革に関して会社の中でそれを体験した。

同じような体験をしたことが無い人は、すぐに大抵の場合こうアドバイスしてくる。そこまで絶望する必要はないんじゃないか? それがだめでもやれることを小さく始めてチャンスをうかがえばいいのでは?

それは確かに正しいのかもしれない。だけどそんなことはクソの思考の言葉だ。感情が無い。分かってないんだ。分かりようが無いんだ。お前は情熱的に女性をとことん愛したことがあるのか?と言いたい。ロジックだけで物事が動いて何でも進んでいくのは人生なんかじゃない。お前はそれで人生を満足できるのか知らんけどおれはそんなの嫌いだ。

「変容の逆説的理論」というものがある。「人は、自分でない者になろうとする時ではなく、ありのままの自分になる時に変容が起こる」ということである。つまり、変容は自分あるいは他者がその人を変えようとする強制的な試みによって起こるのではなく、ありままの自分でいることに時間と努力を費やす時──自分自身の現在のありように完全にひたる時──に変容は起きるのである。

変容したくて絶望しているわけではないけど、絶望するしかないんだ。それが自分である。まずは絶望させてくれ。そしてお前の絶望も聞かせてくれ。その上で一緒に笑っていこう。

それでもそんな反応をするだけでも、もっと言えば、こういう話を聞いてくれるだけでもすごくいいほうだ。ほとんどの人はそんなことにも全く関心がない。ましてや自分がその動きにひとつ乗ろうという意識の表出は皆無だ。恐いからね。でも心の奥にはほのかに隠れているのは知ってるよ。人間だもの。それを出していこうよ。感情を表現しようよ。人間性を取り戻そうよ。それが風土を変えていく。しかし今は風土を変えたい思いも絶望の沼に沈みかけている。

自分は会社の中で行なわれる表面的な付き合いは苦手だ。飲み会は最悪だ。あのどうでもいい浅い世間話に付き合わなくてはならない雰囲気は嫌だ。叶えたいことを子供のように語り合ったり子供のように泣きあったり喜んだりする人とつながりたい。本当のあなたと出会いたい。

自分は叶えたいことをなかったことにはしたくない。絶望感をなかったことにはしたくない。




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