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もやもやの中に

エッセイを書くことで
しばらく休んでいたSNSを
少しずつ再開しています。

すると、そこからコメントや
ダイレクトメッセージを
いただくことがあるのですが、
いつも もやもやと
引っかかる人がいました。

私の経験に対して、
「自分もそうだった」というもの。
一見、共感に見えるけれど
「わかってほしい」が透けてみえるもの。

嫌だな、と感じる部分とは
私が自分に対して
許せていないことです。

まずは、私こそが
相手に対して
「ただ、わかってほしい」と
思っている。

そして、私が私に対して
「ただ、わかってほしい」と
思っている。

そんな本音に気付くと
傲慢で恥ずかしい!と思う反面
本当の私が
見つけてくれてありがとう、と
言ってくれた気がするのです。

私の中で長らく
「ただ、話を聞いてほしい」
そう求めることは
自分本位な人間だ、という
思い込みがありました。

それは、話を聞いてもらうことは
「人に迷惑、心配をかけることに繋がる」という
考え方を持っていたからです。

その考え方がいつ生まれたのか
紐解いていくと
幼稚園時代に遡ります。

私は年中さんの入園時点で
トイレトレーニングが
出来ておらず、
お昼ごはんを食べた後に
間に合わなくて粗相をする、ということを
繰り返していました。

その度に先生が着替えをしてくれるのですが、
ある時
「これ以上、先生に迷惑をかけられない」と
思ったらしく、
翌日から粗相をしても
先生に言わなくなったのです。

昼休みの時間は
帰りのバスに乗るまでに
濡れた肌着とスカートを乾かそうと
園内を1人で
ウロウロ歩き回っていました。

それがいつまで続いたかは
覚えていないのですが、

大人になってから母に
その話をした所、
母は全く知らずに
びっくりしていました。

私は3人兄弟の長女なのですが、
当時は
母が3人目の出産を控えており、
加えて真ん中の妹は身体が弱く
手がかかっていたことから
とても私の面倒までみる
余裕がなかったのかもしれません。

その為、
私を幼稚園に預けられたことで
安心していたのだと思います。
大人になった今だからこそ
母の事情もわかります。

けれど、
あの時そんな母のことを想い、
1人我慢していた小さな私へ
意識を向けます。

「冷たかったね。寒かったね。」
「気づいてあげられなくて、ごめんね。」
「迷惑をかけてもいいんだよ」と
心の中で抱きしめながら
そう伝えてあげたいと思います。

現在のあらゆる思い込みは
この幼稚園時代の
粗相に関するエピソードから
繋がっていることが多く、
その根深さに
とても驚くことがあります。

今回のことで
自分をより深く理解するための
ヒントは
もやもやした出来事の中にこそあると
改めて納得することが出来ました。

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