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"毒親"と呼ばれる母。

戦後 貧しい時代。

私の両親が育った時代私は経験したわけではないから親がどんな時代に育ったかなんて説明は出来ない。
ただ、聞いたりみたりした情報から推測するしかない。

毒親 をテーマに自分の経験や思いの丈をぶつけていると自分の意見や経験を語るには "毒親"の子供目線で被害者として語るしかできない。

それもなにか腑に落ちない。と思っていた。自分が母について語るのも何か不思議な気分だが、自分ノートに綴る価値は十分にあると思った。
こうすることでもっと母を理解できるような気がしたから。

ただ自分の親を毒親と呼ぶには、少し悲しい気がしていた。これが正しいのかわからないけど思った事を綴って行こうと思う。

母は時々、自分の母親について語る。
そう、私のおばあちゃんについて。

母: 私の母はすごく働きもので、朝から晩まで働いていた。私はそんな母の背中を見て育った。私はまだまだ母親には追いつけない。もっともっと頑張って働かないと。 お父さんは私が2歳の時に亡くなって、あまり記憶にはない。母はひとりで6人の子供を養っていた。私は6人兄弟の末っ子。ただ一人の女の子だった。とても貧しかった。と。

あー。なるほどな、その男勝りな性格は男兄弟のなかで育ってみについたものなんだと。知る事が出来た。だからってなんてことはないが。

母にとってはそれが当たり前で高度成長期、親になり子育てをし。

誰かが成功した道をたどれば、だいたい成功できた時代。記されたレールの上をただひたすらがむしゃらに進めば成長できた。
学校→就職→結婚→子育て→定年退職→老後年金暮らしこんなところだろうか。

達成 と 快楽 目標を達成しておいしいものを食べる。 いい車を買う。

「ご褒美はおいしいご飯よ。」よく母が私にいっていた。「これが出来たらおいしいご飯食べに行こうね」って。 この謎が解けた。

快楽を満たす手段が達成なのだ。と

仕事が全て。働かざる者食うべからず!

今は何でもてにはいる時代。私たちは生まれた時から何かがたりなくて我慢するということをしらない。
そんな世代にこれが正しいんだ。と自分の昔の定義を押し付ける。知らずに。気づかずに。それが厄介だ。

そして実力主義に代わりつつある現代でもまだまだのこる年行序列主義思考。

親はお前達より長く生きてるんだぞ。経験豊富なんだぞ。

それがなんだってんだ。

時代は日々めまぐるしく変化していて新しい時代がきているっていうのにまだそんな事を言っている。

経験の量でいえばたしかに年齢が高い方が経験は多いでしょうね。
でもその多くの経験は、この新しい時代には残念ながら役に立たないものも多くある。

この変化して行く時代にそんなこと言ってたら取り残されていくだけ。

経験は量じゃない質をもとめられる時代になってる。どれだけ、柔軟にこの時代の変化についていけるかが重要な今それを肌で感じこの矛盾にいち早く気づけるのは若い世代なのに
それを否定する上の世代 柔軟に対応出来ない頑固な大人達。

"毒親"はそれを上手く表している言葉ともとれる。

昔のしきたり、常識、ルールを子供に押し付ける。その矛盾に戸惑う子どもたちが増えている。

子どもはすでにこの時代に自然に順応しているのに、昔はこうだった。こうしないといけない。これが正しい常識なんだ。これを身につけないと大人にはなれない。そんな風にこの新しい時代についていけない昔の大人達が正義はこれだと。毒をまき散らす。

そんな正義を押し付けられた子どもたちがこの新しい時代で 気づかないうちに 毒親 として育っていってしまう。

毒親 という言葉のおかげで その事に気づくチャンス をもらえた。母を知る事でその世代の当たり前を知る事で、毒親に育てられたと憎むのではなく自分が変わるチャンスだと最近そう思えるようになった。

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