期待を感じなくなった日のこと
のりこです。
数十年近く他人軸で生きてきたナチュラルボーン他人軸の私が、私は他人軸だと知った日の事は置いておいて←え。
私が自分軸を取り戻したんだと気づいた日のことを書きたいと思う。
私自身がとても興味があるから、自分軸を取り戻すまでの過程はまたきちんと振り返って残すことにする。
「あなたの長所はなんですか?」
と聞かれたら、自信を持って
「相手の期待以上の成果を出すことです」
と応えてきた私。
それくらい、私は生まれてからずっと誰かの期待に応えてきた。
親だったり、親戚だったり、上司だったり、同僚だったり
それなら関わる人だからまだ良いとして(良くないけど)
時には
友達のお母さんとか
母の体操仲間の知らないおばさん
の期待(=母にとってのまぁまぁ自慢の娘でいる)にまで応えようと思っていた。
360度全方位に
「気が利いて、なんでも卒なくこなして、常に合格点」
であろうとしていたのだ。
とんでもない在り方だと今ならわかる。
そんながんじがらめの生活を送っていた私なのだけど、あれやこれやして自分軸を取り戻してからある日ふと気がついた。
「あ、今、私、誰の期待も感じてない」
そう、誰かの期待に応えるためにやっている行動がほぼ無くなっていたのである。
あの人の為にはこれをしなくちゃ…
これをしたら喜ぶ人がいるかもしれない…
こんな事を私にあの人たちは求めてる…
私は今これを求められてるからやらなくちゃ…
そんな事が日々の行動の判断基準の多くを占めていた私にとって、誰の期待も感じないと言うだけでこんなに身が軽くなるのか…と思った。
誰にも期待されなくなったら、私の存在価値がなくなるのではないだろうか…
期待に応え続けないと、私は不必要な人間になってしまうのではないだろうか…
そんな怯えをずっと抱えて生きてきていたんだな…と思った。
期待に応えるのをやめたけど、私は存在している。
なんなら、以前よりも生き生きと軽やかに。
今くらいの軽やかさなら、私が期待に応えたいと心から思う人の期待には喜んで応えられる。
なぜなら、期待に応えなくちゃ…とやるのではなくて私がやりたい事だからやると選択してるから。
私に期待してもらっても構わない。
でも、応えるかどうかは私が決めます。
そんな気持ち。
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