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適応障害と診断されるまで ~その1~

2021年1月16日、適応障害と診断されました。
そこに至るまでの経緯をまとめたいと思います。

1. 適応障害とは

たぶん、ここにたどり着かれた方は適応障害がどういうものか御存知かと思いますが…。

適応障害は、強いストレスによって、日常生活を送ることが困難になるほどの"こころの不調"が現れる病気です。こころの症状には、憂うつな気分で落ち込む、不安感で神経質になる、焦る気持ちなどがあります。行動面に影響が出ることもあり、涙もろくなって泣く、わめくなどの行動がみられることもあります。これらの症状によって日常生活に支障が出て、仕事を続けられなくなったり、学校に行けなくなったりする場合もあります。特徴は、ストレスとなる出来事が明らかなことです。一般的には、その出来事があってから3か月以内に発症し、ストレスがなくなれば6か月以内に改善します。長引くと、うつ病や不安症につながる場合もあります。早めの対処が必要です。
  NHK健康チャンネル( https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_977.html )より抜粋

私の場合、自分に向いていない仕事による不安、そして直接の原因はボス(同僚の正規職員)に無視されるようになったことにあります。
原因がハッキリしているので、適応障害で間違いないと思います。

2.介護職を退職

通所介護施設(デイサービス)で介護職のパートを7年弱しておりました。
一応、介護福祉士の資格も持っています。
ただ、腰痛で入浴介助などが辛く、またパート(社会保険扶養内)ではなく夫の扶養から外れてもっと収入をUPさせたいとの思いから、次期更新の意思を確認された時に退職したい旨を伝え、2018年3月いっぱいで退職しました。
在職中に転職先を決めることが出来ず、退職後2ヶ月間無職となりました。

3.保育園調理員として入職

無職を心配した友人が、自身が働く保育園で給食調理員の欠員が出たのでバイトに来ないかと声をかけてくれました。
主婦歴はそれなりに長いですが、料理が苦手なので一度は断りました。
しかし、無収入による焦りから結局お世話になることにしました。
正直ずっと働くつもりはなく、次が決まるまでのバイトだと思っていましたが、保育園では本来嘱託職員が必要であり、面接を受けることを勧められます。
一度は不合格になりましたが、2回目の面接で合格し、2018年10月1日より嘱託職員となりました。
バイトと違い、嘱託になると仕事は正規並みに頑張らないといけなくなりました(ただし、給料面などバイトとは比べ物にならないくらい良くなりました)。

4.どうにも仕事が合わない…

ボス(正規職員)も嘱託の先輩も優しく、何とか頑張ってきましたが、やはり私はどうにも仕事が遅く他の方々に負担をかけてしまう日々でした。
初めのうちは仕方ないと自分でも割り切っていましたが、1年も過ぎた頃には申し訳なさでいっぱいでした。
最初の「仕事辞めたい病」は、この頃だったと思います。
それでも、出勤するのが辛いとまでは思っていなかったし、この年齢でもうこんなに条件の良い仕事には就けそうもないと頑張っていました。
ボス(正規職員)は2021年3月末で定年退職が決まっていました。
どんな人が来るのかわかりませんが、4月からは別の正規職員が来ます。
常々「二人(嘱託の先輩と私)がしっかりしていれば、どんな人が来ても大丈夫だと思うから…」と言っていました。
嘱託の先輩はとても有能な秘書タイプの方で、ボスと二人で仕事している時は阿吽の呼吸でした。
明らかに、私はお二人にフォローしてもらうことが多かったと思います。

5.腰椎椎間板ヘルニアで入院する

腰痛が悪化するのが怖くて介護職を辞めたのに、2020年5月2日に動けなくなり、4日に救急車で入院。
MRI検査の結果、腰椎椎間板ヘルニアと診断されました。
手術が必要なほどではありませんでしたが、結局5月いっぱい休職することになります。
思えばこの休職も、ますます私自身の肩身を狭くさせました。
どんな職場でもお休みすれば迷惑になりますが、ここは少人数(小規模園なので調理員は3人)なのでお二人にかかる負担は相当だったはずです。


何だか長くなってきましたので、今日はこの辺で…。
次回、その2として続きをまとめたいと思います。

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