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【かごしま選手名鑑】#006 hataori 代表 たかはしくうが さん

「学生の頃に思い描いていたキラキラした「まちづくり」と、今自分の考える「まちづくり」は違ってきている気がします。」
そう話すのは、鹿児島で学生と企業・地域をつないで様々な活動をしている合同会社hataori 代表の「たかはしくうが」さん。

今までの取り組みや考えをインタビューしました。
(インタビュー:下園薩男商店 下園正博)

鹿児島での活動

彼に出会ったのはいつの事だろうか、facebookのメッセンジャーをさかのぼると、思った以上にマウスをスクロールしないと最初が出てこない。結構色んなやりとりしてきたんだなぁ。
最初のメッセージは2016年の8月9日、「鹿児島の未来〜全国を駆け回った編集長が語る鹿児島の可能性〜」というイベントに私が興味ありを押したことで、そのイベントに参加しませんか?というお誘いのメッセージだった。

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このイベントはソトコト(地域社会や環境をテーマにした雑誌)の編集長の指出さんが鹿児島に来る、そしてそのイベントの主催者が大学生!?という事で興味をもっていた。「興味あり」ボタンを押した後にそんなお誘いのメッセージをくれる律儀な学生なら行ってみたいなという感じだったと思う。

見た目は爽やかに見えるけれど、実は心の中に情熱があり、それが見え隠れするからこそ彼に興味もつ。それが彼の魅力なのだろう。

「まちづくり」という言葉に出会った学生時代

高校まではサッカー少年で小学校3年生からサッカーを始め、キャプテンなどをしてきた。鹿児島で生まれ育ったが、地域に無関心だった彼が初めて「まちづくり」という言葉を聞いたのが高校2年生。
サッカー部の先輩が「俺はまちづくりがしたいんだ!」と熱く語るのを聞き、「まちづくり」と言うものに興味をもつ。それで選んだのが北九州市立大学の地域創生学群。

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大学1年生から実習で門司港の商店街の活性化などに関わり、タンガテーブルという北九州の情報発信もしている有名なゲストハウスでアルバイトもしながら、徐々に「まちづくり」に関して考え方が変わってきたという。

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写真:北九州のタンガテーブル

「最初の頃は、若い人達が集まって賑わいがつくれればそれでいい!そんな感じがありました。でも地域の人達はそれを求めている人もいるし、それを求めていない人たちもいる。色んな考えの人達がいるとわかってきたんです。」そこから「まちづくり」って何だろうと疑問を持ち始める。
大学3年生になり、実習も終わって考えてみると町の人の中に協力的じゃない人もいた理由もだんだんわかってきた。
「商店街の人も学生も平等だと最初は思っていたのですが、今までの事を思い返してみると、自分達の生活がかかってその商店街で事業をしている人と、何のリスクも負わずに動いている学生は根本的に違うなと思うようになりました。」

東京へのあこがれ

そんな彼も都会への憧れがあった。大学3年生の秋頃と早い時期に意欲を持って就活を始め、東京へ2泊3日等しながら、数か月間合計40~50社の企業を周り、色んな話を聞いてまわった。最初はワクワクした東京も、街を歩いているとつまらないと感じるようになってきた。

企業の人と話していても、その仕事は自分じゃなくても出来るなと感じたり、一つのコマとしてみられているだろうなと感じ、東京で働くことに意味を見いだせなくなっていた。

それに小さい頃見ていた風景も影響しているかもしれない。
「お母さんが天文館でアパレルの店長をやっていて、そこには天文館の人が立ち寄って話をしに来てくれたり、お店のスタッフの方が事務所の裏で自分と遊んでくれたり、小さい頃はそんな風景を見ていたんですよ。」と語ってくれた。そんな田舎ならではのような、温かみのあるものと都会の中心地は違うと感じたのかもしれない。

大学の先輩たちが「東京で2,3年してから地元に帰るんだ」と言っていたのにも違和感があった。どうせ帰るなら地元で修業すればいいんじゃないだろうか。
「東京じゃなくていいな・・・」そう思うようになってから一気に就活する意欲を失い、早くから就活していたのは噓のように、皆が大規模な合同企業説明会に参加している頃には彼女と温泉旅行に言ったりしていたそうだ。「大学生の頃は尖がっていたかもしれません。」

東京で周った会社の中で興味をもった会社が2社あった。地域の食材を使って商品開発したり、デザインの力で地域の困りごとを解決するという会社だった。その時に「あぁ自分はやっぱり地域の事が好きなんだなと気付きました。」

鹿児島で何かやるために休学

都会へのあこがれが消えたなか、「鹿児島で何かやってやろう!」そんな思いから悩んだあげく、大学を休学する事を決める。そこから学生団体を作り、数か月後には北九州のタンガテーブルで知り合ったソトコトの編集長、指出さんを呼ぶイベントを開催した。そこで鹿児島で面白い活動をしている人達とも知り合う事になる。

「自分はすごく恵まれているなと思います。帰ってすぐに色んな人達に出会うことが出来て、今ではすごいメンバーの中でSELFの理事にもしてもらって、なんて贅沢なんだろうなと思います。」

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様々な場面で鹿児島の面白い人達と知り合う。そしてその人達にかわいがられ、面白がられて自分自身が成長し、やれる事が増えていく。これも彼の表面には見せないけれども、心の中にある情熱があるからこそだろう。

それから「ココラカラカイギ」という大学生が自分自身と向き合い、在りたい自分を考える合宿イベントの第一回目を開催し、学生団体として「はたおり」を設立する事になる。

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「鹿児島でもできるんだというのを見せたいし、自分が成功する事で鹿児島の学生にも自信を持ってもらいたい。これからも学生と一緒に何かをやっていきたいし、起業してビジネスとしてやっていけることをしていきたい。」

就活イベントの開催

ココカラカイギをやった後に、自分達がビジネスとしてやっていくにはどうすればよいのか、自分達に出来ることは何があるか?を考えたという。

そんな中、学生が本来の自分ではない真っ黒の髪で、スーツに身をつつみ、「本当の自分じゃない姿を見せて就活するのは苦しい」と言っているのを聞き、就活イベントを開催する事になる。

それまでも大手の就活イベントはあったが、「自分達の方が今やっている合説よりも素晴らしいのが出来るという自信があった。」という。

今まで知り合った鹿児島の先輩たちが実施していたコミュニケーションを重視する場に参加したり、その手伝いをしたりしていた事で、学生達の思いと、それを企業とどのように結びつけるのかが頭の中にひらめいたのだろう。

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対話を重視した就活イベント。下園薩男商店も参加したが、学生とフレンドリーに会話し、とても楽しい就活イベントだった。実際にその就活イベントで採用した学生は大活躍している。

Ten-Lab( テンラボ )で自治体とケンカ

就活イベントを実施していた頃に鹿児島で地域と社会の課題解決をサポートする街の総合研究所Ten-Lab( テンラボ )に誘われる。

現在は日置市長になった当時のTen-Lab理事長、永山さん。

永山「くうが、学校卒業したらどうするの?」
くうが「まだ明確に決まってはいないです。」
永山「決まってないならTen-Labもありなの?」
くうが「・・・なしじゃあないです。」

すると永山さんはニヤッとした笑みを浮かべ去っていったそうだ。

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それから少しして話し合いのすえ、Ten-Labに加入する事が決まる。
色んな地域の場づくりに同行して勉強しながら、自分の立ち上げた「はたおり」で就活イベントや交流イベントを開催していた。

大学を卒業して2019年最初の仕事がTen-Labで、ある自治体の事業だった。社会人1年目から凄い仕事をやれることになったなと思っていたが・・・
「実はその事業の最初に自治体の人と僕がめちゃくちゃケンカしてしまったんです。とても熱い思いのある市役所の方で、話しているうちに白熱してしまい、お互いにワーーーってなってしまったんです。」
結局Ten-Labの理事長だった永山さんが間をとりもつということになってしまった。
「未熟な時でしたね。1年目からやらかしてしまいました。」
今では色んな仕事を受けている彼だが、最初はだれでも失敗するものだ。

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出会いからできる事が増えていく

学生団体として2018年に2名で始まった「はたおり」だが、徐々にメンバーが増えていき、2019年には10名程のチームになる。

3年後の2021年、新型コロナの影響もあって、就職・採用活動も様々なスタイルになっている。こういった時代の変化をより強く、より拡く推進していくために、個人事業主から合同会社hataoriとなった。

彼は現在はオンライン会議などの場のセッティング・機材の調整等もこなすが、元々機械とかそういったものは好きじゃなく会って話したいタイプ。
そんな時に騎射場にオンラインスタジオを作るのに一緒にやらないかと騎射場を軸に地域づくりの事業創出をしている須部さんに声をかけてもらう。

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学生とのミーティングの場所にも困っていたため、「これは良いミーティングの場所が見つかった。」と快く受けた。そこから他の町の若者とのオンラインを通したイベント等も企画に関わるなど、コロナの影響もありオンラインイベントが増えていった。

時代の流れにうまく乗り、そのタイミングごとに様々な人が現れている。
「色んな人と一緒にやるごとに自分のできることが増えているなと感じるようになりました。」
タイミング、機会というのは全ての人に訪れている。その機会は行動すればするほど数多く訪れるはずである。しかし、それが良い機会だと感じるかどうか、つかめるかどうかはその人自身にかかってくる。
ものすごいチャンスが転がっているのに、全く気付かずに逃している場合もあるのである。彼の場合は動き回るし、機会があれば前向きにとらえて、まずはやってみる。そういう姿勢が見えるからこそ、周りの人間も色んな事を打診してくるのだろう。

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合同会社hataoriの今後

これからhataoriをどのようにしていきたいですか?

「人を雇用できるように、ちゃんと自分自身もしていかないといけないなと思っています。就活イベントをやるようになって、雇用するってすごい事だなと改めて肌感覚で感じるようになったんです。

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地域がちゃんとあり続けるためには雇用するっていうのは一つの大切な事だと思うし、一回県外に出た人がhataoriで働きたいですと言われたときに、雇用できるような会社にしていきたいというのが今の目標です。

そしておこがましい話かもしれないけれど、hataoriをちゃんと稼ぐチームにしていきたいなと思います。会社にしたけど3年くらいでやっぱりできなかったから、hataoriはやめますって、”意地”でも言いたくないなと思っています。
考えすぎかもしれないですけど、もし僕がそうなってしまったら、これから出てくる鹿児島の大学生もこういったことをしたがらなくなってしまうんじゃないかなと。
なんでそんなに続けられるのですか?と聞かれるんですけど、”意地”でしかないなというところもあったりはしますね。」

何故そこまで意地になってでもやり続けるのだろうか。

「シンプルに鹿児島の事が好きだというのがあります。何故好きかと言われるとわからないんですけど、一回北九州に出たというのも大きいと思います。外から鹿児島の町を見ることができました。それに好き嫌いというか、生まれたことに対する「誇り」のような感じがあるのだと思います。」

大学生時代に北九州の商店街の人達と同じ目線に立てなかったのが、今では同じ目線で立てている。今ならもっと「まちづくり」という観点でも色んなことが出来るだろう。

合同会社hataori企画 イベントのご案内

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ジェンダー平等のかごしまの未来を、鹿児島で暮らす・働く若者で描いて、紡いでいく「#わたしはわたし」

□10月10日(日) 13:00-17:00 @霧島市
□10月17日(日) 13:00-17:00 @薩摩川内市
□10月30日(土) 13:00-17:00 @鹿児島市

お申し込み・詳細はこちらから「#わたしはわたし」


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