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【かごしま選手名鑑】#001京都で空きビル、工場など500室以上をリノベーションし街を変えた人が、何故人口2万人の漁師町に移住して「まちおこし会社」の代表になったのか。

書き手:下園正博
1939年創業の丸干し屋、下園薩男商店の3代目鹿児島の阿久根市で生まれ育ち、東京のIT会社、水産商社を経て2010年に帰郷。

鹿児島県阿久根市という人口2万人の漁業が盛んな町。
観光地でもなく、夏場になると海水浴を楽しむお客さんが日帰りで来るくらいの地域だった。
そこに地域おこし協力隊として京都から「石川秀和」さん「細原裕香」さんが着任された。

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阿久根市の地域おこし協力隊はこの2人が初めての採用で、地域おこし協力隊という制度はどんな事ができるのかというのを阿久根市も模索しながらの状態だった。

石川さんは現在「株式会社まちの灯台阿久根」の代表取締役。
そんな彼はリノベーションが専門で、京都で様々な事をやってきた人物だ。
今回は石川秀和さんいついて書いていこうと思う。

石川秀和という人物

石川さんは千葉県出身(中高は富山県)で、大学卒業から京都で働きだし、家具職人、不動産会社で働いた後、建築デザイン事務所、リノベーション会社を設立してきた。
そしてつくるビルというアーティストが集まるビルの運営や、建物と道路の間にある余白スペースを上手く使った「のきさき市」等を手掛け、空き家の多かった京都の五条という地域を人が集まる場所に変えてきた人物だ。色んなメディアにも紹介されている。

つくるビル
京都五条にある、いろんな「つくる」が集まるビル。
現在は石川さんの手を離れ、その当時からお世話になっていた会社が運営している。


この「のきさき市」は現在鹿児島の騎射場でも「騎射場のきさき市」として開催されている。これは石川さんの手法を騎射場でもやりたい!と株式会社KISYABAREEの須部さんが京都にいた石川さんを訪ねてきたことから始まっている。

今まで手掛けた物件は500室以上!
無印良品のサイトにも紹介されていたり、建築関係で有名なホテルや案件にも多々関わっていて、知り合って数年してから「えっ!?そんなこともやってたの!?」と驚くこともしばしば。

何故京都から阿久根に来たのか

10年ほど前から京都はインバウンドによる好景気(平成24年から5年間で300万人の増加)によって町並みが大きく変わっていった。海外から多くの観光客が押し寄せ、ホテルのニーズが高まり、観光資源である昔ながらな物件、町並みを壊され新しいホテルやゲストハウスが乱立するなど、加速度的に街並みが変わっていった。(一方通行の通り100mの間に4,5件の宿泊施設に関する建築確認看板が並ぶ。土地値が半年で坪100万円から150万円にあがるなどが日常に。)

見捨てられた古ビル、場所に価値を見つけ、育てる。人の流れを作り、街への印象を変えていく。そんな丁寧な時間をかけて価値を作る仕事は、中々難しくなっていった。ただ建築に関する仕事は好景気ということもあり、そこそこあった。仕事が多くなるたびに社員を増やし、その社員を養うためにも、やりたくない仕事でも受けるようになっていた。街にあるもの大切に引継ぎ、価値を育てたいと思って始めたはずが、気づけばその価値を壊す側になっていた。そんな思いが募り、京都を離れることを決心する。
そして尊敬する方が「地域おこし協力隊」になっていた事もあり、これまでの経験を活かせる別のフィールドを探してみようと思ったのだった。

阿久根を選んだのは偶然だった。
東京ビッグサイトで開催された地域おこし協力隊の合同相談会に参加し、行き先を探した。
派手に勧誘しているところもあったが、そういったのには目もくれず、なんとなく行き先は九州で海が近い所もいいなぁと思っていたそうだ。

そんなときに阿久根のブースがちょこんとしており、採用担当の市職員の対応もガツガツくるわけでもなく、にこやかな雰囲気。そして縛られることなく、自分自身で仕事を見つけ出してよいということで阿久根市に決まった。

阿久根行きが決まると、石川さんは京都の会社や物件を社員に渡したり、信頼できる人に託し、数年かけて徐々に整理して阿久根に完全移住してきたのだった。

阿久根に来てすぐに私は石川さんと知り合った。
隣町が地域おこし協力隊を常に十数人雇用しており、様々な取り組みを見ていたので、うちの町にはいつくるんだと待ちに待っていたのだ。
そこから石川さんは阿久根の人達と様々な事を手掛けている。

*三九 HARVEST お肉の直売所

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*佐賀屋醸造 直売所

佐賀屋醸造01
佐賀屋醸造02

*イワシビル 1Fショップ・カフェ 2F工場 3F簡易宿泊所

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他にも北薩カレーフェスというイベントや、阿久根と鎌倉というイベント、snowpeakとのキャンプイベント等々数えたらきりがない。

そして石川さんをよく表していると思うのがこのMOTOという焼酎だ。

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「阿久根と鎌倉」というイベントに参加していた阿久根の学生の実家がジャガイモ農家で、ジャガイモが売れなくて困っていると相談を受けた。
そこで石川さんは9トンものジャガイモを個人で仕入れ、それを大石酒造という阿久根の焼酎蔵に持ち込み、ジャヤガイモ焼酎を作ってしまったのだ。
そのジャガイモ焼酎も石川さん個人で販売しなければならない。

ジャガイモを購入した話を私にしてくれた時の石川さんの顔は忘れもしない。
本当に嬉しい事があったようにニコニコして、「まさひろさん!聞いてください・・・・・ジャガイモ9トン買いました!」とこれから起こる事が楽しくてたまらないという表情で話してくれたのだった。

お酒を売る免許も無いため、相方の細原さんがネット販売免許を取得し、ネットでのみ販売を開始している。そして販売開始前から、2年目のジャガイモ焼酎も仕込んだのだ。(細原さんはいつも大変そうだ・・・・)
*2021年蒸留酒のコンペティションTWSCで銅賞をいただきました。

MOTO
じゃがいも焼酎MOTO
「MOTO」という 名前には、始まりや根という意味が込められています。ウォッカやアクアビットなど、じゃがいもを原料とした蒸留酒は世界中で愛されおり、「MOTO」は新しい焼酎として、日本国内だけでなく世界の蒸留酒ファンとの出会いを創造していきます。

熊本の水害があった時もすぐに「○○が必要らしい、ありますか?」と連絡があり、私達の物資をまとめて翌日には車で届けに行っていた。
困っている仲間がいたら、何とかしてあげたいと思うのが石川さんだろう。

まちの灯台阿久根の設立

石川さんが地域おこし協力隊として市役所にいた頃から、観光連盟協会をどのようにしていくかという話があった。
これから人口減少や高齢化で財政が厳しくなる中で、観光連盟も市の補助金ではなく、自分達で稼げる団体にしていかなければならないという事で株式会社化することになったのだ。
だが株式会社となると責任も出てくる。その代表を誰がやるか、その会社のビジョンを誰が作るかという事でもめた。
会社の方針を作る人が誰もいなかったので石川さんがまとめ、「株式会社まちの灯台阿久根」が出来がった。
最初は絶対嫌だと言っていた石川さんだが、石川さんがまとめた方針を他の人が達成できるわけがないという事で周りの意見があり石川さんが代表になったのだった。

縁もゆかりもない阿久根で「まちの灯台阿久根」の代表になる

石川さんが阿久根を離れるかもしれないタイミングは何度かあった。
地域おこし協力隊をやめるとき、色んな他の地域からうちに来てくれと誘いがあった。
観光連盟が解体され株式会社になるという時にも、石川さんのお父さんが阿久根に来られて、実家に帰って来いという話もあった。

石川さんの実家は会社経営をしていて、そこの長男なのだ。
石川さんの過去の経歴も知らず、お金を稼ぐために阿久根で色んな事業に関わっているんだろうとか、そんな憶測を持つ人もいるかもしれないが、お金のためだったら実家に帰って後を継いだ方がよっぽど不自由なく過ごせるはず。

なのに石川さんは「今更実家には帰れない」と言って断り、阿久根という町をなんとかしようと考えてくれている。

元々阿久根とは何の関わりもない石川さんが、この町のために動いてくれている。
だからこそ地元の人間が協力しないわけにはいかない。
市役所から話しもあり、私も株式会社まちの灯台阿久根の取締役を受けることにした。

まちの灯台阿久根とは

株式会社まちの灯台阿久根は、そこで稼いだお金を町に再投資するという目的で作られた。
阿久根市役所が300万円、民間団体の有志から1200万円の1500万円の資本金で出来上がった会社だ。

まちの灯台阿久根

観光連盟協会から株式会社化する際にもめにもめて、石川さんは阿久根市内の各地で経緯の説明を何度もしてまわった。本来なら石川さんがする話でもないはずなのだが・・・
説明をするたびに観光連盟協会解体の反対という声が多く上がった。石川さんにも、もう止めた方がいいのではないか、やるなら観光連盟協会とは別に町おこし会社を作った方が自由にできるしいいだろうという話もした。でもそうなると観光連盟協会とまた別の団体ができることになり、市と何も関わりが無いまちおこし会社ができても意味がないと諦めなかった。
過去に阿久根市は3つの町づくり関係の団体が一つにまとまったのが「観光連盟協会」だったからだ。

なんとか株式会社化が決まり、そして道の駅阿久根の運営の団体としても選んでもらえた事で、一定の収入を上げる目途もたった。

しかし道の駅の運営の際も苦労した。
2019年3月に運営する事が決まり、2019年4月1日から移譲して2019年4月15日からOPENしなければならない。
色んな噂も流されたようで、運営のため社員を集めるも、旧道の駅の運営メンバーは1人しか残ってくれず、ほとんど人が集まらなかった。
阿久根の道の駅が一番忙しいのは5月のGW。毎年開催される阿久根うに丼祭りとGWが重なり、いつもの何倍ものお客様が来られるのだ。
私も石川さんもGWは厨房やホールに毎日入り、なんとか最初の山場を切り抜けた。

道の駅うに丼

そこから聞いていた話と違ったと言って、以前道の駅で働いていたスタッフで戻ってきてくれた人もいる。今ではなんとか安定して運営できているし、コーヒースタンドやドーナツスタンドも出来上がった。

*Sunset&Coffee 道の駅阿久根に新たに作ったお店
(写真はコロナ前のもの)

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これからのまちづくり

今阿久根という町は何か起きそうな予感がしてならない。
石川さんや自分達の考え方が世間に通用するのは何歳までだろうね、みたいな話をよくしている。そろそろこの辺で変えていかなければならない。

まちの灯台阿久根を作った時に、阿久根出身の子達が帰ってきたいと思うような町にするための会社というビジョンがあった。
すると今年、阿久根の高校を出て大学に行っていた子が、阿久根でまちお越しに関わるような仕事がしたいと石川さんに連絡があったそうだ。
その子達は高校生時代に、石川さんの阿久根と鎌倉のプロジェクトで一緒に関わっていた子達。まさにまちの灯台阿久根が目指そうとしていた事が、今起きようとしている。

今度はその子達が活躍して働ける場を作らなければならない。それができれば更にこの町に帰ってこようという子達が増えてくるはずだ。小さな町で、あそこはどうだこうだといがみ合うのではなく、皆で協力できる体制ができれば、もっと多くのことが出来てくる。
今は田舎にいても世界中のものが手に入る時代。隣町とか隣の県なんかと比べている時代ではない。

阿久根はなんか色々やってるよね。なんかすごいよね。という話を周りから聞くようになってきた。石川さんの提案により「まちの灯台阿久根」が「地域おこし協力隊」の受け皿になり、現在も数名の隊員が様々な取り組みをしている。そして移住したいという人の声も聞こえてきた。
これから5年でどのようになっていくのか楽しみだ。

人はなぜその地域に住むのか

働く場所、生まれ故郷、色んな理由でその地域に住んでいる。
では居心地の良い場所とはどういったところなのだろうか。
もちろん大自然があるとか、適度に欲しいものが買えるとか、色々あるだろうけど、私はそこが自分のいてよい場所だと思える事ではないかと思う。

自分はこの場所に認められている。そう思えることが居心地に関係してくると思う。
お店に行くと「よく来たね!」と迎えてくれる。
まちを歩くと「おぉー久しぶり」と言って気の合う仲間がいる。
そして何かあったら「相談にのってくれ」と話がくる。
そういった仲間が多ければ多いほど、ここが自分の場所なんだなと思えるのではないだろうか。

私は子供達を色んな行事にも連れ出す。そうすると色んな人が下園さんとこの子供だねと認識してくれて、「大きくなったね。」とか話しかけてくれる。
そうする事で、子供達がここは自分達の事を知ってくれている人が多い、自分達のいてよい場所なんだと思えるのではないかと思う。

石川さんもそうなのだと思う。
阿久根に来て、色んな人に頼られ、石川さんがいたからこそできたという事も多い。この町には石川さんを必要としている人がたくさんいる。
だからこそ、阿久根に残る決心をしてくれたのだろう。
これから先、こういった仲間がどんどん増えてくるはずだ。

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