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循環 x Transformation : 人は地球の敵か? 〜より良い世界に向けて、人類が果たしうる役割とは?~

Day3の「循環」セッションは、エコロジカルアーティストの井口奈保さん、ヤマサハウスの森勇清さん、エーゼロの牧大介さん、リ・パブリックの田村大さんの4名に登壇いただきました。
ファシリテーターは、田村さんです。

井口 奈保
エコロジカルアーティスト
Give Space(アーバンデザイン方法論) 創始者
ベルリン在住。働き方、住む土地、時間、お金、アイデンティティ、街との関係性、地球エコシステムとの連環。日々どう意思決定するか?都市生活のさまざまな面を一つ一つ取り上げ実験し、生き方そのものをアート作品にする。近年は南アフリカへ通い、「人間という動物」が地球で果たすべき役割は、他の生き物に土地を還すことだと発見し、「GIVE SPACEアーバンデザイン方法論」を作りながら実践する。映像作品「Journey to Lioness」ディレクター。

森 勇清
ヤマサハウス株式会社 代表取締役社長
鹿児島で地域密着企業として住まいと暮らしづくりの仕事をしております。コーポレートスローガンとして「絆を育み、豊かさを未来へ。」と掲げ、住まい・暮らしづくりを通して、絆を育み、絆の力で、鹿児島の持つ豊かさを未来に受け継いでいきたいと願い日々努力しております。個人的には鹿児島生まれの鹿児島育ち、県外就職歴もなく、鹿児島と共に55年間、鹿児島の豊かな自然と美味しい食べ物やお酒を浴びるほど飲ませてくれる素敵な嫁とチワワの「ひな」と楽しく暮らしております。

牧 大介
株式会社エーゼログループ 代表取締役CEO
1974年、京都府生まれ。京都大学大学院(森林生態学研究室)修了後、三和総合研究所(現在 三菱UFJリサーチ&コンサルティング)を経て2005年アミタ持続可能経済研究所を設立し所長に就任。2009年10月に(株)西粟倉・森の学校を設立し代表取締役就任、2015年10月にエーゼロ株式会社を設立し代表取締役就任。2023年4月に(株)西粟倉・森の学校とエーゼロ株式会社の合併により(株)エーゼログループを設立し代表取締役CEOに就任。主な著書に『ローカルベンチャー』(木楽舎)がある。

田村 大
株式会社リ・パブリック 共同代表
株式会社UNAラボラトリーズ 共同代表
東京大学文学部心理学科卒業、同大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。1994年博報堂に入社。以降、デジタルメディアの研究・事業開発等を経て、イノベーションラボに参加。2013年に退職、株式会社リ・パブリックを設立。2009年、イノベーションリーダーを育成する学際教育プログラム・東京大学i.school (アイ・スクール) を発足。現在、九州大学・北陸先端科学技術大学院大学にて客員教授を兼任する。2019年より薩摩川内市の「サーキュラーシティ」化に携わり、自社スタジオ・RE:STOREを2022年に開設、市民との共創を多面的に推進する。


このセッションのテーマについて

田村:このセッションのモデレータを務めます田村です。今日いただいたテーマは循環という話で、字面通りこの言葉を取ると、エレン・マッカーサー財団が唱えているように無機物と有機物がどういうふうに回って使われていくかをちゃんと考えて設計しましょうといった話が一つあります。(注:https://ellenmacarthurfoundation.org/circular-economy-diagram
もう一方で循環というのは、3R(Reduce、Reuse、Recycle)に代表される「物を大切にしよう」=「不必要な物を買わない」といった考え方もあります。こうしたモノの循環の話がこのテーマの中心だと思うのですが、今日のセッションでは敢えて、ヒトの話を中心に進めます。とりわけ、ヒトとヒト以外の生き物という、命の繋がりが実は今後循環ということを考える上で、とても大事なポイントになってくると思っています。

 環境系の話がされるときに循環というと、脱炭素の話と生物多様性の話は切り分けて話されちゃうことが多いです。でもそれって切り分けると、気持ち悪いことが常に起こるという状況になります。そこで今日はそこを切り離さずに循環の話をしていると結果的に生物多様性のことなんだよね、みたいなことを含めて皆さんの今の実践だったりとか、考え方、物の見方みたいなことを聞いていけたらいいかな、と思っています。

今日の議論を進めていく上で「境界」と「共生」という2つキーワードがあるかなと思っています。

 「境界」は、例えば初日の山極先生の話で「(人工林を含む)森というのは、地球上の中でいわゆる緑地といわれるものを含めて3割しかない」という話を伺いました。実は人間の手が入っていない場所は地球上にほとんど残されていないということです。「境界」という概念は、人間と自然という雑に分けて引かれる1本の線みたいな話になりがちですが、実はこの「境界」が「共生」の場所かもしれない、ということがあると思っています。その辺についていろいろ皆さんの知見をお聞きしていきたいと思っております。

共生の場所

田村:3つぐらいサブクエスチョンを用意しているんですけれど、1つ目の質問が「人と自然の境界について思うこと」で、牧さんはこれについて常に話されているんじゃないかと思うんですが、いかがでしょうか。

牧:そうですね。僕たちは無意識に境界ができてしまっている社会の中で暮らしている気がしています。西粟倉村のような山奥の村で暮らしていても、例えば田んぼは、お米を作ることに最適化されていて、蜂が死ぬとか、タガメや他の水生昆虫が死ぬことよりも、一反あたりどれだけお米がとれるかが大事になっている。

 でも、田んぼと川の間、いろんな生き物が行き来したことで、日本の川とか自然というのは非常に豊かに保たれてきた経緯もあります。残念ながら近代というのは山奥まで隅々まで入り込んでとても合理化されていく。

 特定の目的に対して最適化されていく中で、その場所にある多様な価値というのを失ってきているように感じます。実際にはパキッとここに人と自然の境界があるというよりは、いろんなものが入り乱れて混然一体となっている世界の中にわたしたちは元々居たし、そういう自然の中に居たからこそ育まれてきた世界観とか八百万の神みたいな感覚を持った民族でした。そこが失われていった時代の中に今居るのかな、という感じはしていますね。

 山も人工林ばかりになったというのもそうですね。人工林ばかりでいいのかなと思いながらも人工林ばかりになっちゃっているからこそ、まずちゃんと間伐をして人工林として良いコンディションを保っていくということが大切です。しっかり間伐をして森の中でも人工林の中でも草が生えるようにしてやると、いろんな生き物がまた住むことができたり、土壌が流れ出しにくくなります。

 我々の会社エーゼロの名前は森林の土壌のA層といういわゆる土の部分の上の腐葉土の層のことをA0と言っていて、土を守りながら育てている場所なんです。リアルに森とか畑とか含めた土を守って育てていきたいということと、地域の経済、文化社会を守り育てていくA0層のような会社でありたい。メタファーとしてのA0層という言葉が僕らの社名にはあります。

 人がもう一回自然の中に入っていかないと取り戻せない豊かさとか多様さというのがあって、そこには経済合理性を欠く部分が多いんですよね。

 林業は、ちゃんと間伐をすることで木が出てくるし森の状態も良くなります。まずはほったらかしにせず補助金も含めて手を入れることで経済的には何とかなるという状況を作ろうと。僕らはまずそこから着手して山から木が出てきて、それをそのまま外に出すんじゃなくて、製材をして森と建築、暮らしへと直接つなげていく。

 森と暮らしというものの境界についてはヤマサハウスの森さんと感覚が合うところじゃないか、と勝手に思っているんです。森があって家があるという当たり前のことをちゃんと思い出せるようにしたいし、つながっている感覚というのを取り戻したい。

 中規模の製材工場をわざわざ村の中に建てて、村から出てきた木を直接お施主さんに渡していけるような事業をまずやろうというのが、僕らの事業の最初のスタートです。知らないうちに無意識に境界ができてしまっているところをもう一回繋がり直すということを意識しながら僕自身が事業をやっているのかな、と改めて思ったところです。

森:理解と共感するところがあります。人と自然の境界という中で住まいというのは、それ(人と自然)の間に暮らす人がいて、いろんな自然からの恵みを家という形に作り上げていると思うんですよね。

 敷地そのものも昔はあまり整備されていないところに家ができていたんですが、今は綺麗に造成されたところに宅地を作り、そこに人と自然の融合的な有形の家を作るんです。だけど、敷地というある空間を一つの森じゃないですけど自然が共存する形にしていきたいと思っています。

 敷地の中に家があって、家の周りの敷地の合間に庭がある、木がある、いろんな植物がある。それによって小鳥が寄ってくる、蝶々が寄ってくる、そこに微生物が生える、微生物が成長する、子供がその中で季節感を感じながら、虫を触る。借景というか、出来上がっていく住まいとか庭とかによって、この街は素敵だねっていう街もあれば人工的な建物ばかり建って愛着感じないな、と感じる街もあると思います。

 個人的には経済的なことも大事ですけど、改めて人と自然っていうのを考えたときに、私たちの住まいとか暮らしに対して、建物と建物以外の空間にしっかり目を向けながら「小さい循環」をやっていく必要があるだろうなって思っています。

田村:なるほど自分の家が一つの生態系って感じですね。山とかヒト以外の生き物は野生って感じですが、住宅はどちらかというと活動領域が都市というところですよね。

人と野生の境界

田村:都市ってある意味で言うと、自然を排除したところという意味合いに思われることも多いと思いますが、そのあたりはどうですか?人と野生の境界みたいなところって。

井口:ギブスペースという(私の)活動の根幹が、人間がこれまで奪ってきてしまった地球上のスペースを、他の生き物たちに返していくことにあります。

 境界は、他の生き物を見ていると絶対にあるんですけれど、生き物っていうのはテリトリーを守りながら争い合うので、境界があるのは生き物として自然なことだと思っていて、私たち人間がそれに対して防御に入るのもある程度は自然なことだと私は思っています。ただ、私たちが自分の命を守るために境界を引いていないっていうのが問題なんですよね。

 経済の利益を得るためとか、もっと土地を広げて何かしらの権力を得るためなど、命を守るためじゃないのが人間の特徴だと思っているので。私は、本当に命を守るために大事なのかどうかを見極める力を養う必要があると思っています。何かを恐れたり線を引いたりすることが、命の危険を回避する感覚に繋がっているのか、少しずつ見直すためのワークをしたり、デザインプロセスの中にそういうことを入れたいと思います。

牧:僕は、先ほど無意識に境界を作ってしまって経済的な合理性の中で人と自然が離れてしまっているって話をしましたが、一方で、ちゃんと人間が人間のテリトリーを守っていかないといけないのに、それが崩れているところも田舎ではあると思っています。

 昔は田んぼを維持していくために、山で草を刈って芝を刈って牛に踏ませて肥料にして、山で蓄積した有機物を田んぼや畑に入れて農地を維持してきた伝統的な里山の循環があったのですが、それが不要になったからどんどん杉とか檜を植えた。

 経済的な価値があるから植えてきたんですけど、結果的にどうなったかというと、人里近くの田畑の際まで野生の動物が行けるというか、人工林という動物たちの隠れ家を提供したわけですよね。ほどほどの距離が保たれていたのに、人間に会うと殺されるかもしれないのに、すぐ際まで来てさっと行って作物を食べて帰るっていう。

 ちゃんと境界を作るということを考えないまま新しい景観を作ってしまって、それがまた境界的に被害があるとかという話になっているところもあるなと思いました。

田村:確かに。さっき手を入れるという話を牧さんがおっしゃっていて、人工林が良くない天然林が良いという話がある一方で、森の循環と伝統的な里山のあり方みたいな話とかもそこに関わっていると思います。

 例えば、鹿児島の一つの問題が実は竹林の放置で、獣害の問題とかもそうだし竹って他の植生というのに対して結構踏み込んでいっちゃうみたいなところがあるんです。竹林が広がっていくと、天然林や他の経済林をダメにしちゃうところがあります。自然に手を入れることはあまり良くないことだというふうに一見誤解してしまうんだけれど、手の入れ方は、実は境界というものを考える上でとても大事なことだと思います。

 だから、田舎に対して「手を入れ尽くしちゃったのが都市」みたいな考え方にも、ちょっと思うところがあるんですけど、例えばベルリンのような都市で、自然と人との共生だったり、そのあり方を考えて進めていこうといった動きはあるのですか。

自然と人の共生に対する意識が高いベルリン

井口:ベルリンは首都ですけれど、その割に緑がとても多いことで有名な街なんです。アーバンガーデニングやルーフトップガーデニングだったり、牧草地のような草原のようなエリアをただ残しておく措置を取るということを早くからやっています。市民がそういうことに対して自ら働きかけ、積極的にやっている場所だとすごく感じます。

 いたるところに近所の人たちでやっている共同のコミュニティーガーデンがあります。アパート住まいの人は庭がないので、外に庭を借りられるシステムがあって、そういうところでは必ず果樹を植えなきゃいけないとか、木の高さも決まりがあるんです。緑や景観は街のみんなで楽しみ、かつ育てるものだという認識があります。

 もう一つすごくアイコニックなのは、昔、飛行場で今は公園になっているところがあるんですけれど、ここが売りに出されるかもしれない、開発されるかもしれないとなった時に、市民のデモが起こって自分たちの手で守っているんです。

 そこでは羊を飼ってグレージングさせるという実験をやっていたり、カラスが住めるように人が入ってはいけないスペースを設けたり、でも別の公園内のエリアではジョギングもできるし、カイトサーフィンもできるし、ピクニックもできる。ビョークが来てコンサートもするし、何でもここでできるような市民の憩いの場があります。

田村:共に住む場所は、ある意味ちゃんとみんなが意識を持って作っていこう、守っていこうとしているというか。

井口:高いですね。意識が。

田村:僕の会社に以前、北欧からインターンが来たことがありました。彼は、福岡の市民菜園で農作業をしていて、日本は畑の中に虫がいっぱいいることにびっくりしていたんです。ヨーロッパはそういう意味でいうと、そもそも生物の多様性自体がそんなに高くないという感じはありますか?

井口:分からないですけど、北欧は寒すぎて同じような虫がいないというのはあるかもしれないですね。日本は、本当に気候が豊かなので、そういう違いもあるかなと思いました。

田村:なるほど。逆にヨーロッパは多様性がそもそも少ないから、それがどんどん減っていく危機感があるのかも知れないですね。鹿児島なんかすごいですよ。ちょっと草むらとか入ったら…もう色々います(笑)。

林業を超長期でとらえる

森:山って儲からないんですよね、今。

牧:木を植えて育てる、いわゆる林業自体は赤字なんですよね。ただ伐採業というか、採用を受け負う人たちは補助金もうまく活かしていくと給料も稼げるというのがあるので、一応山の手入れをする人たちのお仕事としては一定水準はある状態です。

森:鹿児島に限らずなんですけど、戦後に木が結構植えられて鹿児島は本当に杉が多いんです。70年を超えた杉山が出てきてるんですけど、儲からないから手を入れない。手を入れた後はもう植えない、植林しないという形の鹿児島の状態がありました。

ところがコロナが起こってウッドショックがあったじゃないですか。コロナの関係でコンテナが世界中に回らなくなった。日本にも木材が入らなくなった。そうすると業者は、国内のあらゆる生産地に木を買いに行く。鹿児島にも買いに来る。都会の建築のためにです。地元で地元の材を使ってしっかりやっていた人からすると大迷惑になるわけですよね。

別の角度から観察すると、昔だったら家を作る大工さんたちがもっと山に近かったんじゃないかと思います。でも今はちょっと遠くなってたんじゃないか。だから、昨年、木を管理する会社も作りました。やはり建築というか、住まいを作ってる人がもう少し川上、山のところまでしっかり考えて管理するとかしないと山は荒れ放題になる。実際、伐採したくてもなかなか伐採できず荒れてる状態が多いのです。他の県でもそうなんですかね。

牧:そうですね。木材って相場があるので結構変動するし、今、木を植えて、切るのが70年後とか80年後ぐらいだとすると、その時の相場でどれぐらいで売れるか分からないんですよね。

そういう意味ではなかなか経済的には計算しにくいのですが、例えば、昔の紀伊半島だと、短期的に変動の大きい漁業をやっている人たちで力のある人が、貯めたお金を長期の運用のために林業に投資したんですよ。

奈良の方だと、大阪を含めた商人による商業資本の蓄積があって、短期のお金の回し方だけじゃなくて、超長期での資産運用としての林業だったのです。ところが戦後、木材の価格が良くなって、50年ぐらいで十分利益を上げられると思ってみんなが一気に参入。そうして日本が人工林だらけになったっていう背景があります。

だから、もう一回長期投資の対象としての林業に立ち返らないと無理なんじゃないかな。みんな自然との付き合いっていうのはかなり超長期で考えていくべきものなんだけれども、なかなかそれができない。

林業における循環

牧:農業で土を耕すっていうことはどんどん土を痩せさせる行為ですよね。酸素を入れて分解を促進して一時的に養分の供給が上がるわけですけれども、でも何万年とかかけて蓄積して育ってきた土を一気に痩せさせながらやっていくので、世界中どんどん土壌が維持できなくなっている。

温暖化の文脈でも結局農地の炭素蓄積量っていうのが今かなり問題になってきて、最近のIPCCとかの報告でも農業土壌の炭素蓄積量ってすごく問題になってきていて、耕すのはいいけれども、それでどんどんどんどん土を痩せさせていく。

日本は山で蓄積した有機物を常に田んぼや畑に入れ続けるっていう宿命をもともと持っていたし、里山の研究を大学院の時にしている中で、山で蓄積した有機物を地上に下ろしていくのが林業なんだということに気が付きました。

製材って僕と森さんくらいしかわからないかもしれないんですけど歩留まりってそんなによくないですよね。1本の丸太から家のパーツとして製品になるのって体積ベースでいくと約20%。すると木材加工は、丸太を山で蓄積した有機物を下ろしてきて80%の木屑を作る作業ということになります。

経済的に成り立つようにするには、その木屑を改めてどう使っていくのかも重要です。せっかく山で蓄積した有機物を人に近いところに下ろしてきて、それをどう使うかということが、改めて今の時代重要になっています。

木材加工って、かつての里山のような循環を現代において作り直すための大事な基地だと思っています。だから僕は結果的に行きがかり上、借金を背負って製材工場の経営をしないといけなかったんですけれど、本当にそこがスタートでよかったと思っています。

今そこで出た木屑でイチゴの栽培をしたり、乾燥した端材をボイラーの燃料に使ってそれを熱源にしてうなぎの養殖をしたり、またそのうなぎの養殖で出てくる排水をイチゴの方に回して植物を育てたりしています。そういう循環というのを、命がつながりながら循環していくうえで、改めて今の林業の中で木材加工というのは循環基点になる一番の基盤でもあるというふうに思っています。

田村:木屑をどう使うのかというときに、単純にそれを例えばバイオマスとかで使って終りという話にしていないところがすごく面白いですね。僕らが扱っている竹でも、竹を取ってきてこれ何に使うんだろうというところで、やっぱり前に進まなくなってしまう。伐採してできた竹を使って何をやろうかというときに出てくる話が儲からないものばかりです。

例えば、竹のパルプにして紙を作ります、名刺作りますみたいな話とかなんですけれど、それで儲かるわけないよね。だから、結果的にアウトプットのクリエイティビティの高さが、持続可能性を担っているなと感じることも多いです。

共生型社会のためのクリエイティビティ

田村:ここから2個目の質問なんですが、共生型の社会とかビジネスをどう作っていくのかという話です。大事なのは、新しい里山や新しい境界を作っていくというときに、クリエイティビティの欠如を補完することが大事なんじゃないかなと思うんですけれど、どうでしょうか?

井口:クリエイティビティの欠如という点には賛成です。それに対して私が取り組んでいることがあるんですが、地球の生態系に合わせて循環させ再生させていくよう人間の暮らしやビジネスのシステムを作り変えていくときに、どうやっても経済的な理論が成り立たないということがあるじゃないですか。

そうするとビジネスってすごく具体の話なんですけれど、「そもそもお金を儲けなければならないのか」という問いを持ちながら、儲からないものも営みとしてやっていくという新しいパラダイムに入っていかないといけないので、ビジネスデザインをするときにすごく哲学的な話を同時にしないとダメなんだろうということをすごく感じます。

田村:要するに、さっきの最適化された田んぼで稲の生産量が上がればいいという話じゃないということですよね。

いろんなものを含めて、それがどういうふうに幅広い豊かさを生み出していくのか、そんな想像力が必要だという話ですよね。

井口:そうですね。想像力がすごく必要です。クリエイティビティということに関しては、クリエイティビティを受け入れること自体に、そもそもクリエイティビティやイマジネーションが必要なんですよね。

どうしてお金だけ儲けないといけないのか、それだけで社会が成り立つのか。でも、みんながお金を受け入れているのと同じで、みんながその価値を受け入れたらその経済は流通するはずなんですよね。でもそこには恐れがあって、これまで作り上げてきたものや、自分の持っているパワーといった虚像に対して人間というのは、死への恐れを直結させ、混ざってしまっている。

これまで作り上げたものや権力を失っても死なないというところを認識し、そういう恐れを解き放つことが、一個一個の会議の中でのクリエイティビティとかイマジネーションを発揮させることだと思っています。

森:それって、組織の中にも結構あって、家作りだったらこれまでの「新築神話」と私は呼ぶんですけれど、人が増えているときは新築をどんどん作る。

新築を作った方が経済的には儲かる。家を守ると意外と儲からない。でも新築が減っていくと、今度は家をリフォームする方に力をかけた方がいいということになる。

新築を作って75年とか90年持つ家をつくる一方で、家を守る方にもしっかり寄り添うことが大事だというマインドを組織の中でしっかり養成していかないと、会社の中でも分断が起こってしまう。「これからの経済では循環というものが大事だよ」ということを、組織の中で対話を積み重ねながらやらないといけない。

大きな経済的環境というのもありながら、会社の中でも異なる見方をいかに融合しながらやるか、というのが今後は多様性という意味では問われるんじゃないかと思っていて、そこに挑戦していきたいと思っています。

循環を考えたとき、反するものに対してどう寄り添うかがすごく大事なんじゃないかっていうファクトリーの問題がありましたけれど、井口さんどうですか?

リジェネラティブ・デザイン

井口:リジェネラティブ・デザインというテーマでは、最終的に他の生き物も住めるような建物や家に再生していく、本当に小さいところから建物全体を変えていきます。そのためには、設計よりも前段階のコンセプトデザインが大事で、施主の方が次に家を建てるよ、リノベをするよというときにリジェネレーションのコンセプトを持っていないとデザインに組み込めないんですよね。

それだけ早期にリジェネラティブ・デザインを提案するためには、結局、不動産会社や建築会社、工務店などの組織も一緒に変えていく組織変革とか組織開発を同時にやっていくことになります。

牧:多様性は大事にしたいと思っても、本当にビジネス的には難しいことだなと思っています。ほっておくと多様性っていうのはただバラバラであるってことだけになってしまうので、それを活かそうというスイッチをしっかり持てるときに、何か意味のある多様性として実感できることはあると思います。

西粟倉村で見ると、売上10億円を超える勢いで成長してきた自動車の部品工場があったんですよ。村で一番たくさん雇用を作っていた工場でした。その工場が10億円を超えた結果、どうなったかというと、西粟倉村は平地がほとんどないところなので工場が収まらなくなって隣町に出て行かざるを得なくなったんですよ。

西粟倉村は単一の広い敷地がないし、地形がそもそも複雑で多様です。その中で、近代工業的なビジネスは拡張に限界が来てしまうのですね。

それを見たときに、小さくても個性的なビジネスがいっぱいある状態として村の将来をどう描くかというのが一つ、さらにそれがローカルベンチャーという分野でそれなりの売上ができ、平均所得も上がるということを一つの社会実験としてやっていきたいと思ってます。

これと同じことを社内でやっていくのは、いろんな資源があっていろんな生き物がいるというのを繋ぎ合わせて多様性を強みにする、ということに意志を持ってやることだと考えています。

例えば、原木椎茸を作っている人たちがいて、酪農家もいるので牛糞があって、それを混ぜて置いておくと、とてつもなくカブトムシは寄ってくるんですよ。男の子はめちゃくちゃワクワクするやつです。

ただ、そのカブトムシを売るという話になると、大して儲からないんですよ。でも、カフェにご飯を食べに来てくれたり、ツアーとかで来てくれた小学生くらいの男の子がカブトムシを欲しいと言ったときに、あげられると嬉しいじゃないですか。

だからカブトムシを売ってはいないけれど、カブトムシがいることはちゃんとマーケティング上プラスになると思うんです。そういう物そのものの価値じゃないところに繋げていくということしかないなと思っています。

やっぱり体験的な価値だったりとか、実際、うちで田んぼをやっているんですけれど、そこでお米が採れました、タニシとかドジョウの佃煮も出せます、ハチミツもありますっていうのが定食ご飯としてプレートで出せたときに、ただのご飯とは違う、ちゃんと意味がしっかりあるものを出す、というところが一つ経済的な価値に繋がってきています。


循環としての境界のリデザイン

田村:3つ目の質問がそこに近い話かなと思っているんですけれど、例えば、生物多様性の話って、いろんな繋がりがあって繋がりの結果としてそれが何かしら意味のあることに結びついていくことになると思うのですが、地域が共生するという意味合いで言うと、例えば都市に比べたら多様性が高いんだけれども、逆に今まで繋がっていないものを繋いで新しい取り組みをしようというときに、そこに抵抗する価値観を持つ人が多いなと実感することがあります。そのあたり、牧さんはどうですか?

牧:やっぱり戦前までで言うと、農業も漁業も林業も生態系として繋がっているし、生業としても繋がっていました。それが森林組合とか農協とか漁協という組織で田舎の山奥の山奥までしっかり縦割りが行き届いている状態になっている今、どうやって横串を差し直すかということかと思います。

横串を差したときに、意外な価値が生まれてくる、それにお客さんの喜んでくれるという事実をどう積み重ねていけるかだと思っています。

このカンファレンスでは、田んぼで農薬を振るのは僕はやめたい、と大きい声で言っていますが、村の中では言えない。

それは僕らがリスク取ってやってみて、まあカメムシに食われるけど、それでもこんな風にお客さんが喜んでくれて、ちゃんと経済的にも回っていますよ、というところを見てもらって一緒にやりませんかという方法がある。

村の農家さんと一緒にやるには多分10年くらいかかると思っていて、一つの取り組みが地域の中で広がってちゃんと経済性を持ちながら広がっていくには、最低10年くらいかかるなと思いながら始めていけるかどうかが大事だと思います。

一個一個時間がかかりすぎるから、増資とかはしながら絶対配当も出さないし、エグジットもないですよって言いながら、資本の量を増やしたりする努力もするんですけれど、いわゆる資本の論理とか資本主義のスピードから離れた視座と全体感というものを持ちながらやっていくと勝ち目があるというか。

田村:この話は、ある意味森さんの経営の話にも近いなと思っています。例えば今までのように新築をバンバン建てれば儲かるみたいなやり方だとこの先ないから、リフォームの方に全部行きますみたいな話とかじゃなくて、いろんな繋がりというか、多様性というものを繋ぎ直すような新しい仕組みをヤマサハウスが作っていくんだという風に先程のビジョンを伺いました。一方でそれを全社員が腑に落ちて理解するのはなかなか難しいですよね。

森:地域は共生の最前線かという中で、住まいというのは地域密着産業だとよく言うんですよね。

昔、地域には大棟梁という人がいて、大棟梁が新築を作る親分で、そこには瓦屋さんとか左官屋さんとか畳屋さんとか建具屋さんとか、周りにいろんな産業があって、その産業がまた自然といろんな繋がりを持って新築を作った後も大棟梁さんに声をかけるとリフォームというか、壊れたところを直していくし、そこに大棟梁さんと共に地域の暮らしというのを守っている。

左官屋さんとかいろんな業種業態の人がいて、そういう人たちがそれぞれ使う材料というものをしっかり守っていく。畳を作るんだったらイグサも必要だし、左官屋さんが土とかも大事にするし…とかそういうものがあったと思うんですよね。

それがだんだんと分業になっていって、工業化していく中で縦割りになってくるので、元々の体系に戻していくというか、まさに役割のリジェネラティブ=再生かなと思っています。

田村:最後に、井口さんに伺って終わりにしたいと思いますが、今日話していることをやっていこうとするときに「知」っていうものがすごい大事で、それから新しいことに対する洞察力が大事になってくると思います。

例えばさっきのベルリンの話を聞いていて、ベルリンはそういうことを考え実践し、そこで得られた「知」を次の世代に活かすという都市の在り方を作ってきているんだと思うんです。それが回っている場所というと、一回断絶しちゃっている日本の地域みたいなところがある。日本の地域というものに対して少し諦めがあるんですよ。

井口さんから見てそういう一回断絶したところは再生可能だと思いますか?

井口:再生が可能か不可能かで言うと可能だとは思いますけれど、再生する必要がそもそもあるのかどうかということも考えなきゃいけないと思っています。
私は、日本の70~80%近くが山林で、しかも人口がものすごい減少しているというのは、ギブスペースをする絶好の場所だと思っていて。限界集落で、そこに今いらっしゃる方々はがそこで最高の人生を全うしていただきたい。一方で、どの行政も一律に流入を是として「呼び込もう」では限界があります。

他の生き物との共生という視点では、他の生き物の住める場所を残せば私たちのテリトリーに来ないようになると思うんです。境界線の引き方が下手になったと牧さんが指摘したように、他の生き物の領域に近いところへ私たちが行き過ぎているんです。

私たちがちょっと後退をすればいい部分もいっぱいあって、日本はその可能性があるので、再生といったときにどこでするのか、そこの地形がどういう状況で水がどうなっていて、どういう生き物がいて、だからここは人が住む方がいいのか悪いのか、地域、地勢、地理を見直して考えていく。

農業や牧畜をやっている近くで工場をどんどん開発したり道路を作ったりっていう話は、ベルリンの近くでもあって、でもそこの境界線っていうものをもう一回見つめ直す機会にもなっています。

他の生き物たちにその土地を返して、私たち人間がもう少し街に戻ってくれば、すごく素直に争いを起こさずに解決することもあるかもしれないですね。

田村:境界をどういう風に作り変えることができるのかということっていうのが、たぶん、今後これから人間と人間以外との共生というのを考えていくときに、結構大事なポイントになってくるところですね。
ありがとうございました。

サーキュラーデザインに向けて

田村:最後に私がこういうことやりたいなと思ってるっていうのをお伝えして終わりにしたいと思います。

サーキュラーデザイン」をやりたい、普及させたいと思っていまして、循環というと、どうしても例えばヨーロッパだったり、ベルリンなんかまさにその先端をいってるところだと思いますが、ヨーロッパのライフスタイルが先にいってて、日本の循環っていうのは、それはなんか真似るみたいな話が伝わってきます。

特に東京にいるインサイダーの方は、そういう話をいろんなところで聞かれるんじゃないかと思うんですけども、実は今の議論の中でもあったように、どういう風に境界ってものをデザインし直していくのかっていうときに、僕は地域でできることっていっぱいあると思っています。

特に鹿児島で今までに営まれてきたことの蓄積が沢山あるんだけれど、それがこの地域の中でもあんまり継承されていないし、ましてや鹿児島の取り組みが海外の人たちに全く伝わってないというところがあります。特に海外の研究者だったり、デザイナーだったり、アーティストだったりとかに伝えていく機会を積極的に作っていこうということを考えています。

できたら今年、「サーキュラーデザインウィーク」を鹿児島でやりたいと思っていますので、改めて皆さんにぜひご案内させていただけたらと思っております。

それでは、これで「循環」のセッションを終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

(ライター:青嵜 直樹  校正:SELF編集部)

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