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美しさとその反対

 「美」の概念は、「善」や「真実」などと言った価値に比べて簡単には定義できないことで知られています。一つの対象が「美しい」ように感じられるのには、いくつかの主観的な条件と客観的な条件が満たさなければなりません。

 完全に主観的な美しさは一人の個人の体験で、「その対象がどうして美しいか」を周りの人に説明しないと、共感が得られません。共感する人がいるなら、その主観がある程度共有されているわけで、「完全に主観」ではなく、「ある程度客観」だということになります。また、完全に客観的な美は人間ならだれでも共感できる「基準」のようなもののはずですが、例外なく本当にだれでもが「美しい」と思う対象はこの世には存在しないと断言してもいいと思います。

 人間それぞれの経験、理解、趣味、知識などが違うかぎり、美の体験も違います。これは実はとても幸せなことです。個人と個人が「違う」からこそ、互いに与え合えるものがあるということです。

 このnote記事は、紀元前から現代まで多くの哲学者を悩ませた「美の定義」をめぐる謎を解決できるわけではないが、読んでくれているみなさんも「自分にとって美しさとは何か」を考えるきっかけになれたら嬉しいです。「何が美しいか」という切り口で考えてもいいですし、「何が美しくないか」というテーマから考えてもいいと思います。現に人によっては「何が美しくないか」が違ってきます。 

 例えば、「美しさの反対は何か」と聞かれたら、多くの人は率直に「醜さだ」と答えるでしょう。「醜い」ものは、ある種の不快を与えるもの。「快感」や「不快」は感覚なので、この場合は美しさと醜さの体験は個人の主観に根付いていると言えます。

 しかし、別の人から見れば「醜さ」の意味の範囲が広すぎるから、もっと的確な言葉が必要になります。そこで例えば「下品さ」が思い浮かびます。この言葉自体は、特定の時代の特定の社会の中で一般的に認められている「基準」の存在を暗示しています。対象がその基準に比べて「上」なのか「下」なのかで判断されます。このような基準は教育などによって伝達しやすいです。

 また、別の人にとっては、美しさの反対は「腐敗」だったりします。生命を持つものはすべていつしか腐敗の段階を迎えることになります。だからこそ、腐敗はむしろ「滅びゆくものの美しさ」へと目を向かせてくれます。

 そして、ある人にとっては美しさの反対は「現実」自体かもしれません。この場合、「美しさ」は「理想」あるいは「幻想」だったりします。理想の美は、理性が認めるような美しさ。例としては、自然界の原理をきれいに捉える方程式の完璧さが思い浮かびます。一方で、「幻想」は無意識の産物で、記憶の断片や夢をもとに人間の心が作っているものです。

 「美しさの反対は何か」という話から、美しさには色々な種類があることが分かります。一種類の美しさしか認めないと、生きづらいかもしれません。自分の価値観が許すかぎり、色々な美しさに対して心を開けば、生きることもより楽しくなるのではないかと思います。

 それはどうしてかと言えば、美しさは私たちに色々な形で働きかけているからです。刺激になって心を動かしてくれたり、力を与えてくれたりします。美しい風景や美しいものに触れることで私たちは元気になります。
逆に、美しくないものには力を吸い取られ、心を悩まされます。病気などから快復中の人に、美しい風景や物を見せますよね? 人間は美しいものから力をもらっているから、回復の支えになるのではないかという願いがその行為に込められています。

 どこを見ても美しいものが見出せる人と、何を見ても美しくないと感じる人がいます。どちらが幸せで調子がいいと思いますか? 美しさに対する感覚によって、人の「元気度」が判断できるのではないかと思います。

 話が少し変わりますが、人間は人生に一度か二度、この上ない美しさに出会える機会があります。「永遠」を感じさせてくれるような美しさです。

 対象が物理的なモノであれ、目に見えないモノであれ、その美の体験自体は精神的なものです。これはつまり、その対象を見ている人間の心がその「美の体験」の成立に参加しているのです。だからある意味で自分だけのものです。他の人には直接は見せられないものなので、このような美の体験をした人は、死ぬまで大切なものとして心にしまうのです。

 強力な美の体験によって、人格が変わることもあります。強烈な光に視力を奪われるように、このような体験を経て同じ人間ではいられません。その偉大なる美しさの面影を周りに、どこを見ても見つけられるようになります。まるで永遠の断片が辺り一面にちりばめられているように、世界中にある美しいものはすべて、あの美の体験を思い出させくれます。

 これはなかなか他の人に共有できない感覚ですが、人間はみんな人生の宝物になるような美の体験を探しているのではないでしょうか? このような希望があるからこそ人生を最後まで生きようと思っているのではないでしょうか?
 この記事を読んでくれたみなさんも、人生を変えてくれるような美しさに出会えますように。


写真:[Van Nhan Ngo/花の美しい蝶の写真のネガ] © 123RF.com

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