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社会人4ヶ月目で、人生初の救急車に乗った話

「見えなかったですか?」
全身の痛みに気づく前に、僕の口からそう溢れた。自転車に乗っていた僕に車で体当たりしてきた運転手は、慌ててドアを開けるなり「全く見えなかった」と魂の抜けた声で呟いた。その顔が余りにも情けなくて、無情にも口角が上がった。

まっすぐ自転車を漕いでいた。そこへ僕から見て左手のコンビニへ入ろうとした車が、僕に気づかずに、正面から自転車の右側へ突っ込んだ。深夜22時の出来事だ。

大きく息を吸って、吐き捨てるかのようにため息を吐いた。辺りを見渡せば、跨っていた自転車を飛び越え、道路に跪いていた。膝が熱い。意識を向ければ、暗くても体の至る所から流血しているのが分かった。

流石に救急車か…。頭に浮かんだ言葉をかき消すかのように、僕を轢いたおじさんが口を開く。
「警察は呼ばないで欲しい」
聞こえたような聞こえなかったような小さな声は一旦無視して、僕は歯を食いしばって立ち上がった。その時、体の痛さよりも、歯が痛いことに気づいてしまった。舌で前歯をさわれば、前歯が欠けていることはすぐに分かった。

一瞬にして、人生が終わったと感じた。事故の衝撃よりも前歯が欠けたことに絶望感を感じた。だからこそ、なんだかワクワクもしてきて、一刻も早く自分の残念な顔を見たくなった。鏡の前に立つや否や、小学生の時の喧嘩でボコボコにされた自分の顔を思い出した。前歯が欠けて、唇からも流血した自分の顔は、まさに喧嘩終わりの少年の様だった。

テレビで見たことがあった。欠けた歯は、口に入れるか牛乳に入れるかして歯科に持っていくと、くっ付けられる可能性があると。僕は現場に戻って、僕を轢いたおじさんの携帯を奪い取りライトを照らした。が、照らした瞬間に諦めた。1億ピースのパズルを散らしたような道路の中から、数ミリの歯の破片なんて見つけられる訳がなかった。目の前で電車の扉が閉まるかの様に、また絶望した。

「できれば大事にはしたくない」
相変わらずセキセイインコの様に喋るソレを横目に、腰を下ろした。頭がガンガンする。ふと、腕から警報が鳴っているのに気づいた。Apple Watchが心配してくれていた。

【衝撃を検知しました。通報しますか?】

ああ、通報してくれと、通報ボタンを押した。更なる大きな警報と共にカウントダウンが始まり、「通報中です」の文字に変わった。しかし、しばらく待ってもその文字から変わることはなかった。iPhoneの充電は、切れていた。おまけに僕のApple Watchは、GPSモデルだ。ハッピーセットを頼まないと、おもちゃが貰えないかのように、元のiPhoneが死んでたらダメらしい。この時ばかりは使い物にならなかった。

「最近、違反して点数ついたばっかなんだ」
「人身事故って5点くらい付きますよね」
「お金は払います」

相変わらずセキセイインコの様に喋る男。

事故を目撃して、絆創膏、消毒液や水を購入してくれた男性が仲介に入ってくれた。「警察は呼んだ方が良い」「救急車も呼んだ方が良い」この時は、僕も自転車から弾き飛ばされて正しい判断ができなかった。もしも、鬼滅の刃の鱗滝左近次が居たら、間違いなく「お前は判断が遅い」と罵られていただろう。

「携帯借りてもいいですか」
半ば奪い取るかの様に、僕を轢いた人から携帯を借りた。ため息が出る様な検索履歴をよそに、あることを調べた。

【救急車が必要か判断する番号#7119だ。】

番号が分からなかったから調べさせていただいた。頭を打った記憶は無く、意識もあるが救急車に乗るべきが迷ったのだ。直ちに命の危険があるかと言われればそうでも無い気がしたのだ。

もはや許可も取らずに電話した。あまり会話の内容は覚えていないが、状況を伝え「救急車は呼んだ方がいいんですか?」と尋ねた。結果、頭を打っていたり、冷や汗が出たりするなら呼んでくださいとのことだった。考える領域を失った僕の脳では、もう理解ができなかった。頭打ったかな?と事故の瞬間を思い出しても、壊れたブラウン管テレビの様に、再生されなかった。

「めんどくいんで、とりあえず警察と救急車呼んでくれません?」
そう言った。

そうして僕は、僕を轢いた人がしぶしぶ呼んだ救急車に乗せられ、人生初めての救急車の旅に出た。良いもんじゃなかった。僕は意識があって救急車に乗っているが、意識がなかったり、命の危機が迫る人が今まで幾度となく乗ってきたであろう救急車だ。僕なんかが乗っていいのだろうか?今この瞬間も僕よりも救急車を必要としている人がいるのではないか?と思っていた。近頃、救急じゃない救急搬送が問題視されているからだ。しかし、事故に遭った僕がこう考えはのちに間違いだったと気づいた。

病院に着くと、救急隊から病院の先生に引き継がれた。ドラマでよく見る救急車から病院の裏口に入るシーンを体験した。異様に感じたのは、救急隊も看護師も先生も全員落ち着いていたことだ。違う世界だと感じた。

病院の先生は僕の体を優しく叩きながら、「内臓とかは今時点では破裂したり出血とかもなさそうですね」と言った。それを聞いて、ハッとした。頭を打った気はしないし、出血も正直なんとかなるだろうと思っていたが、体の中は分からない。事故に遭ったら、救急車に乗らなきゃいけない。もちろん程度はあるんだろうけど、あの一瞬で内臓に何かあるかもしれない。頭だって本当は打っていたかもしれない。分からない。だから跳ね飛ばされる様な事故に遭ったら、必ず救急車を呼ばなきゃいけない。そう感じた。

【終】

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