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なぜ、そこに生きるのか。

出張でパキスタン北東部、ヒマラヤ山脈の西端に連なる標高2400~2700m辺りの地に行ってきました。 電気も水道もなければ、携帯もつながらない山の中にも小さな集落が点在していて、雪で閉ざされていない4月~10月だけ人々がこの地で生活しています。 最寄りの学校も簡易医療施設も40㎞ほど先で、車を持つごく少数の家を除き、住民は公的サービスからほぼ切り離されていると言っても過言ではない「果て」の地。

この地に住む人々は、雪に閉ざされる冬の間は「季節移民」となって山を降りて、車で1~2時間かかる近隣の街に家畜ともに移住しています。その冬の間には電気も水道も携帯も電化製品も病院も、いわゆる近代の便利さを(ある程度)享受して生活しているそうですが、毎年春~秋までは再び山に帰り、酪農と畑仕事です。子どもたちのほぼ全員が学校には通っていません。 

水道や電気がある半年と、湧き水と焚火の生活の半年。 
情報や学校や就業機会がある半年と、家族で農作業をする半年。

どう考えても後者の方が不便なのに、それでも人々は雪が溶ければ山に戻るのです。先祖代々の土地があるから、という理由で、街での便利かつ選択肢のある生活を一度知ってしまった後にも、また「地元」である山の中の集落に戻る。近くに病院が無いから命を落とす子どもや妊婦も稀でない地。便利な他の生活を知らないから、ではなくて自分たちの選択として電気や水道や情報や公的サービスのない生活を選ぶ彼らには、やはり「なぜこの厳しい地で生きようとするのですか?」と聞いてみたくなりました。

「だって、ここが私たちの生きる場所(Place to live)だから。」

その返答には迷いもなく、そして家から遠く離れて外国で暮らす私の方が理解できないと言われているように感じました。

私は開発ワーカーという仕事をしていて、2~3年刻みに居住国を変える生活を続けています。日本の実家も地元も大好きではあるけれど、既に「訪れる」地であって居住する場所ではなくなりました。一所に留まれない私と、どんな厳しく不便な環境でも、一年の半分しか住めない所でも、自分たちの土地に帰ることが大前提の彼女たち。人は何を基準に、どうやって己の生きる場所を決めるのだろう、と考え込んでしまいました。

あなたは、どうして今の居住地に「居付く」ことを決めましたか? 
何があなたの「生きる場所」を決めていますか?