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定期的に、もがく。

海外暮らし歴も、もうすぐ20年。 インターネットのおかげで昔とは日本と繋がることも比べ物にならないくらい簡単になったせいか、ホームシックになることはもうほぼなくなりました。 そもそも自称しているほど日本がもう「ホーム」ではないので、家族や友達に会いたいという思いがSkypeやSNSで満たされていると、どうしても日本に帰らなくてはならない理由もなくなってきたようです。(四谷の、神楽坂の、銀座のあの店で飲みたい、という欲はいつまでも尽きずそのためには一時帰国が必須ですが。)

それでも、海外在勤中には、定期的な気持ちのアップダウンがつきものです。

異なる文化
母国語で話せない環境
限られた対人関係
厳しい治安・安全管理
食べられないもの・入手できない酒への物欲
仕事の環境外での人間関係の不在または薄さ
本音で語れる人との越えられない時差、などなど。

普段は「いつもどおり」とかルーティンな仕事や生活が嫌いで、いろんな刺激を求めて海外での仕事を楽しんでいるはずなのに、それがふと疲れたとき、こういうものが幾つも重なって何よりもキツイ環境になることも。 任地の言葉、人、食べ物、匂い、果ては空気の乾燥具合まで、見るもの聞くもの全部が嫌。 そういう精神的に「もがく時期」が私の場合は3カ月に一度ぐらいやってきます。 そんなときには、昔は気分転換に出かけてみたり、まだとても親しいとまでは言えないけど物理的に近くにいる人達にも愚痴を聞いてもらってみたり、色々な趣味に挑戦したりしていました。 でも最近は、あーまた来たな、と諦めてとにかくその気持ちの落ち込みをやり過ごして、静かに気分がまた上がり始める日を待つことが多くなりました。 無いものは無いし、求めたところで叶わない願いは持たないほうが失望しない。 なんだかそういうことに慣れてきた20年なのかもしれません。

そんな落ち込みの真っ最中の今、実は今回は久しぶりに来た(個人比で)大きな落ち込みなのですが、ふと、昔よく行ったダイビングで圧倒的な数の魚の群れに行く手をふさがれた時のように、ただただ浮上するタイミングを「いつかはくるさ」と遠くにある浮上点を見上げながらのんびり待とうと思いました。 ただこれ、背負っているタンクに酸素が十分にあることがわかっているからできることなのです。 普段の生活で、まだこの国やこの国の人たちに対する期待とか愛情とか一緒に何かをしたいと思う気持ちを、タンクの中の酸素のように沢山貯めておいて良かった。 そんなことを考える絶不調期の私です。