仕事と進路

2019年12月19日㈭

 今日は仕事の日だった。クリニックで歯科医師として非常勤で勤務しつつ、ほかの日は大学院にも行く生活をしている。とくに特別な意志もなく得た仕事をしながら、これまでの進路をとくに大きな後悔もなく過ごせているのはラッキーだった。ただ個人的に、進路をえらんだり後悔しないためのコツみたいなものはあると思っている。

 何で歯医者さんになろうと思ったの?とつきかれたら、とくになろうと思ったことはない。(笑) お父さんが内科医なのでなんとなく医学部にいけたらいいなと思ったこともあったが、うちは兄姉私の三人兄弟で私立の医学部にいける余裕はちょっと、という雰囲気で、だからといって難易度からして国立の医学部は無理だろう、と正直あまり期待はしていなかった。それよりもお母さんの影響が大きい。専業主婦のお母さんは娘を外でばりばり働ける自立した女性に育てたい、という願望が強く、小さいころから『手に職よ!』と耳にタコができるまで言われ続けて育った。それに加えてお母さんは歯科助手をしていたことがあり、歯科医師の仕事はアポイントがおわれば基本帰れるし、ハードな内科医のお父さんと比べると歯科医師は女の子に良い仕事、という話も何度となくしていた。

 私は高校を卒業して1年間、駿台大宮校で浪人した。浪人はお兄ちゃんもしていたし、とくにお願いすることもなく自然ななりゆきでいくことになったのは両親に本当に感謝している。仲間に恵まれたこともあり、予備校では集中して勉強できたし、やる気をもって勉強していたことをお母さんも関心してくれた。

 志望校をはっきり決めたのは、センター試験が終わってからだった。センター試験でぎりぎり8割いかず、自分の実力を思い知った。それ以降の受験は、どこの大学に行きたいとかよりももう大学生になりたい、という気持ちで、いけるならもうどこでも良くなっていた。その後はお母さんの『新潟の歯学部とかいいんじゃない?』という言葉のとおりに受験して合格し、いくことになった。

 第一志望でもなかった新潟大学歯学部を卒業して、一生大切にしたい友達ができて、なってみたら案外メリットのある歯科医師の仕事を手にすることもできた。でも私が全然後悔しないのは、自分の勉強量に見合ったところに合格できたと納得しているからでもある。高校生のときは色々と事情があって勉強に集中できなかったが、集中力も取り戻せた予備校時代は『自分的にはまあまあ頑張った思い出』になった。それに全国順位1桁とかの優秀な友達がたくさんいたので、上には上がいることを十分に理解できていた。客観的な自己評価と自分なりに精一杯やった記憶があれば、どんな道に進もうとも過去の自分に苛まれるような後悔をせずに生きられるんじゃないかと今では思っている。

ただ、センター試験の会場だった大学の大学院に入学して、センター試験の帰り道、泣きながら歩いた通りにあるクリニックに今勤務しているのを思うと、自分の進路に縁を感じてしまうこともある。

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