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欲望と嘘

西麻布でみんなで飲むからよかったらきて、と友達を誘った。その人は「西麻布はあんまり好きじゃない」と言った。私も好きではない、と返すと「なんかあそこにいる人たちってかなりの確率で没落していくし、なんかあの辺一帯邪気が漂ってるかんじがする」と言った。分からないでもない。西麻布の飲み会帰り、あの六本木の交差点から渋谷に向かう坂の谷に欲望が渦巻いていて人間を吸い込もうとしているのだろうか、と考えたことがある。
東京では夢と欲が交差している。おそらく薄黒い欲望もはじまりは純真な夢だったんじゃないかと思う。有名になりたい、ブランドのバッグを持ちたい、何者かになりたい、そういう気持ちは自分一人で抱いているときはただの立派な目標でしかない。それが他人の邪気と混ざった瞬間に自分を見失う方向に進ませる魔物に変わるだけだ。
欲望を満たすものを目の前にするとたいてい人は嘘をつくはなぜだろう。私はすべての嘘が悪いものだとは思っていない。優しい嘘と冷たい本音だってある。本当は違うと思っていてもイエスバットでまず肯定してあげるから聞く耳をもつ人もいるんだよ、と保険レディの友達も言ってたしそうだと思う。自分を没落させるのは他人につく嘘ではなく、本当に不本意であることすら気づけない本人の自分につく嘘ではないだろうか。
他人の欲望に呑まれる人と、欲望がとりまいているにも関わらず平常心を保つ人。この差は自分をもっているかに尽きる。人に何と言われようが自分はこうする、信念や自分の軸みたいなものをもっている人は孤独に強い。むしろ絶望に近い状況で孤独を乗り越えらざるを得なかった人たちだと想像してしまう。世の中全般からみたら全く大したことじゃないのは承知で、私は高校生くらいのとき当時の自分としては暗黒の時代があったしこの頃から孤独があまり嫌いじゃない。
もう一つ他人の欲をスルーできる人の特徴として圧倒的な趣味を持っている。西麻布があまり好きではないと言った人は宇宙と恐竜が好きでNewtonを毎月読んでいると言っていた。音楽やお酒に詳しい人たちにも出会った。いわゆるオタクが多い。インスタでフォロワーに負けじと自分が本当に好きかどうかも分からない高級な外食やら旅行の写真をアップする人たちではなく、夢中になって雑音を消して自分の世界に浸っているオタクこそが真の東京サバイバーのような気がする。
仲の良い友達に誘われていった西麻布のミュージックバー、そういえば吹き抜けの地下にあったのを思い出した。

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