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ひとかどの人物には、なれなかった

小学生か中学生の頃、「ひとかどの人物」になりたい、なるべき、という文章に触れた。
言葉の上昇志向的な何か、欲らしきものを感じて、そうなれたらいいなと思った時もあった。

なんだかカッコよく思えた。末は博士か大臣か的な感覚なのかもしれない。

人生を経験していく中で、その言葉は出たり消えたりしつつ、結局「ひとかどの人物」にはなれず、今に至っている。
なれなかったなあ、何かに、何者かにはなれなかったなあ。
秋空を見ながら、道脇の草を避けながら歩道を歩く。

・・・

何になりたかったのかな。自分の満足いくものになりたかったのかな。
なれたらどうだったのかな。
まあ、これで良いよね。

・・・

大学に行かせてもらえなかった事を、母に勇気を奮って訴えたら「恨んでるのか?」と睨まれて何も言えなかった、昔。
うん、行きたかったよ。お金に余裕がないって言ってたけど、本当は田舎根性で大学に行かせるなんて贅沢だと思っていた事も、知っているよ。
昔の考えだよね。
見栄は張らないよ。短大は楽しかったし。
「ひとかど」になるための根性もなかったし。
再び大きく空を見上げる。

・・・

コスモスは苦手だ。あ、かすみ草もね。
何で彩ろう。これからを。
誰かから花束を貰いたいなと思うけれど。
いじけているのか、と言われた後に抱きしめられて慰められる。そんな夢を見た。