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失われた神社の役割

皆さんは戦前の「神社の役割」を知っていますか?

神社は神聖なものであり、年末年始に訪れる場所という認識をする方が多いと思います。

ですが、戦前の日本では神社はもっと身近な存在であったという事実があります。

そんなことある?と思う方をいると思います。

今回は「戦前の神社の歴史」と
「戦後の神社の代替」についてお話します。

戦前の神社

戦前の神社では地域の憩いの場でした。

地域の人々で集まり、話し合いをしたりなど、

神社は地域社会のコミュニティ活動の中心であったのです。

ですが、戦後になるとGHQにより、
神道指令が行われ、国家神道を解体し、宗教と国家を分離する政策が行われました。

具体的には以下の3つの措置が取られました。

1.神道を国家から分離し、天皇崇拝や戦前の国家的な儀式を支える役割を終わらせる。

2.公教育や公共機関での神道の教義や儀式を禁止にする。

3.神社を「宗教法人」として扱い、国家の支援を断つ。

この政策により、神社が国家の政策に従う「国家の道具」としての役割を終わらせ、

宗教的行事や地域の伝統的な行事の場としての機能だけが残されました。

これにより、神社が戦前のような国家のシンボルとしての役割を果たすことはなくなり、戦後の民主主義的な社会に適応する形に変わりました。

戦後に現れた公民館

戦後、GHQの占領政策の一環として、公民館が設立されました。

戦後の民主主義的な価値観を広め、地域社会での市民活動や教育を支援するために、

地域社会が従来の神社を中心としたコミュニティ活動から公民館を中心とする新しい形態の市民活動へと変化しました。

その背景には日本が二度と軍国主義や天皇中心の国家体制に戻らないようにするという意図がありました。

このため、国家神道を解体し、神社を公的な機関から切り離すことが重要でした。

これからの私達にできること

失われてしまった神社の役割。
そして地域社会の繋がりの弱体化。

それらを改善するにはどうしたら良いでしょうか。

私が現在思い描いていることは神社を中心とするイベントの開催です。

神社は神聖な場所としてのイメージが強調され、

子供や大人が集まり、コミュニティを形成する場所としてのイメージは損なわれました。

私が住む近くには静岡県清水町に
「柿田川公園」があります。

そこは広々とした自然豊かな公園と、

湧水広場、展望台なども併設しており、

「貴船神社」も存在しています。

京都が本社の貴船神社の分社として清水町にもありますが、

その貴船神社は公園入口から入り組んだ場所にあり、

実際に夏祭りなどは公園では行われるものの、

神社はテントや椅子などの荷物を置く場所になってしまっています。


柿田川公園での湧水祭り

柿田川公園付近の住民は柿田川公園の歴史、そして貴船神社の歴史についてほとんど知りません。

そこで、公園の歴史や神社の歴史を中心としたイベントを行うことで、

楽しく昔の柿田川公園、貴船神社に触れることが出来ます。

このように、失われた神社の役割を取り戻す為にできることを

気づいた人から出来ることを模索し、動き出すことが重要なのではないかと思います。

皆さんも神社に
「何も無い日」こそ訪れてはどうでしょうか。

きっと普段味わえない神秘的ななにかがあるはずです。

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