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こい瀬伊音『うみせん、やません』

久しぶりですね。小説を読んで感想を書くのは。調べてみたら前回やったのは11カ月前でマリオ・バルガス=リョサの『都会と犬ども』だった。それからも色々と素晴らしい小説との出会いはあったんですけどね、ジェスミン・ウォードとか、ゼーターラーとか。なかなかエネルギーを使うので、気合を入れないとできないところがあります。そのうち書きたいなと思ってますが。

今回はこい瀬伊音という小説家を取り上げます。こい瀬伊音さんとはツイッター上の知り合いなのですが、この度RANGAI文庫賞を受賞されまして、『こい瀬すーぷ』という本になりました(パチパチパチ)。めでたい。めでたいですね。自分も頑張らねばと思います。このこい瀬伊音さん、その特徴はといえば、この本に収録されている小説を読んでもらえばわかるのですが、文章から溢れんばかりに伝わってくる詩情です。僕は詩には疎いのですが、ただ者でない感がびんびんです。そう、小説なのに詩情があるのです。詩なの? 小説なの? という箇所が随所に散りばめられた短い(本当に短い原稿用紙6枚以内とか)掌編が、この本には13編も入っています。

さて、今回紹介する小説『うみせん、やません』は『こい瀬すーぷ』の最後に収録されています。この小説だけ掌編といえない長さです(多分30枚くらいあるでしょう)。その長さを知ったとき、僕は好奇心がわきました。上にも書いたようにこい瀬伊音さんの魅力は詩が小説と混じり合って生じるマジックにあると、僕は思ってきたので、今回のように小説が長くなると、その良さが持続できないのではないか、持続するとすればどうやって? と思ったのです。20枚も30枚もある詩ってあんま想像ができないですよね? 単純にいうとそういうことです。

小説を読みだしてすぐ、カズオイシグロの『わたしを離さないで』を思い出しました。あの作品の印象は強烈で、ですます調でかつ女性が回想する形式で出来事が語られる小説を読む度、自然と頭に浮かんできます。あれはクローン人間が物のように扱われる世界を描いたディストピア小説でした。SFですね。じゃあ、これもかな、とちょっと思ったのですが、この『うみせん、やません』、SFではありません。現実の、現在の日本を舞台にしたリアリズム小説です。にも拘らず、読んでいるとまるでディストピア小説みたいに思えてくるから不思議です。いまの日本がディストピアだから? 多分半分はそういうことです。もう半分は後ほど。

まずはあらすじ紹介。この小説の主人公は証券会社で派遣社員として働きながら、結実という女の子を育てている女性です。お辞儀がマリー・アントワネットのようだと支店長からほめられ、周囲から冷たい目を向けられながらも、嬉々として毎朝朝礼の最後にお辞儀の見本をします。あまり心地よいとはいえない職場ですが、私生活では楽しみが待ってます。恋人の修平とのデート。嫌なこともあるけどいいこともある。主人公はそうやってこれまで働いてきたのでしょう。ですが、ある出来事がきっかけで主人公は契約打ち切りを言い渡されます。女の子一人抱えて無職になってしまうのです。大ピンチ! でも大丈夫。修平がプロポーズしてくれました。三人は修平の田舎で暮らすことになります。冷たい都会なんか捨ててしまって、これからは温かい人に囲まれてのんびりと暮らせてよかったね、めでたし、めでたし。なんてことにはならないわけです。田舎は監視社会です。毎晩やってる? まだ子供ができないの? 人権もクソもあったものではありません。夫、修平も頼りにならない。もともと支配欲が強いタイプの男性で、養ってやってるんだからありがたく思え的な態度で接してきます。都会もだめ、田舎もだめ、じゃあ主人公はどこに向かうのか? その答えはイオン! 巨大スーパーは行き場を失った人々みんなを包み込んでくれる。そこには自分の過去を尋ねてくる人はいません。どの人も漂白され、新しい場所で新しい人生を歩むことができるのです。ラストにはまたマリー・アントワネット式のお辞儀。見事なエンド。これまでの世界におさらばするのです。が、世の中そんなに甘くはない。過去はどこまで追いかけてくるにちがいないし、どこに行っても主人公の居場所はないでしょう(カフカの『失踪者』で、主人公が延々放浪し続けるように)。でも主人公はきっとへこたれません。結実と二人、いやお腹の子を含めて三人できっと、このディストピア・ジャパンを生き延びていってくれる、いや、生き延びて欲しい。そう切に願うのです。以上、自分の思いも交えたあらすじでした。

次は語り口について。読みながら時々、この主人公はなんてお人好しなんだろうと思いました。なんでこんな酷いことされてるのに平気でいられるのか、喚き散らしたくならないのか、と疑問に思ったのです。改めて考えると、その答えは語りにあるような気がします。この主人公は実際、職場の同僚や夫になった修平に不平不満をぶちまけていたのかもしれない。そうやって負の感情を吐き出して、どうにか正気を保っていたのかもしれません。だけどそれはこの小説では表現されないわけです。回想形式で、主人公が語ることしかこちらは知ることができない上に、語りにとても抑制が効いているから(最後、主人公がイオンに行くという決断を下すのにちょっと唐突感があったが、それまで語りが抑制されていて、主人公の思いが読者には伝わらなかったからだろう、と今は思う。最初っからこの主人公はああいう行動を起こす人だったのだろう、と)、実際にどんなことが起こったのか、本当のところが多々曖昧になっています(それは全ての小説がそうですが、こういう形式の小説は特にそう)。語るべきものを語り、落とすところはバッサリ落とす。その結果普遍的なものが浮き彫りにされる。見事だなと思いました。

最後に僕の興味から。こい瀬伊音の詩情はこの小説で炸裂しているのか否か? 炸裂してました。よくこの語り口にたどり着いたと思います。語り口とこい瀬伊音の特性、その相性はばっちりでした。こい瀬伊音がこの小説の主人公に見事に憑依していて、随所に散りばめられた詩的な表現が全く浮いていない(本当はもっともっと書きたかったのかもしれないけど、この抑えは正解)。お見事。とってもよかった。新しいこい瀬伊音ワールドが体験できて、僕は満足です。一か所だけ引用します。p122。

今わたしに見えるのは、永遠にライトアップされる日が来ないイルミネーションの墓標だけです。通り道全部にLEDライトをつけて、チカチカと点滅させて、道の両側にお店や家を、顔も名前も知らない、あたたかな他人をたくさん、たくさんください。

ここまで読んでくれた人いるかな? 『こい瀬すーぷ』おススメです。アマゾンのリンク貼っときますね。


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