9/20 マイスリー文学

Noteのデフォルトの文のご自由にお書きくださいってなんだ。
Twitterはなんだったっけ、今の気持ちをシェアしようとかだったか。

じゃあ素直に書くか、寝れない。
薬を飲んでも寝れない。
10mgのんでも、20mgのんでも、ゾルピデムがどんどん身体に効かなくなってきた。耐性がつくってこういうことなんだろうか。
効きが遅くなったのか、なんて思われるかもだがそもそも作用していないように思う。前はもうこのぐらいから既に誤字ばっかりでぐちゃぐちゃの文章を書いていた。
ただ、書いてる時はまともな文だと思って書いていたはずだから、今「私はシラフで文章をかけている」と思っていたとしてもあとから読み返したらやばいかも、ね?
幻覚も世界もまだ来ない。遠くに音楽が流れているが、これは耳にこびりついて離れない音楽を遠くに感じているだけだろう。耳の中にこびり付いているくせに、遠くで流れているように感じるのはなんでなんだろう。
まるでホラー映画とかの始まりのように、遠くの、すすり泣きみたいなボリュームで流れてるように感じる。これは焦燥感の表れ?なんて自己分析できる余裕もある。
やっぱマイスリー効いてないよ。
他の人にマイスリー飲んでそんな文章書けるわけないって言われたことあるけど、単純に私のスマホでのフリック入力が早すぎるのもあると思う。思考が溶けるより先に指が動いてる。これを書くまでここまで2分とかじゃない?
氷河が溶けるより先に、南極が溶けるより先に、溶けた睡眠のまどろみの濁流が押し寄せてくるより前に、フリックをする。今、水の幻想をかすかに見た。まだ捉えられては無い。水にも、幻想自体にも。
まだ視覚は生きている。ただしく自室を認知している。
できるなら長い文章を書きたいのだ今日は。
私は、シラフの私は、自分をシラフだと思い込んでいる少しぞルピに汚染されてきた私は、より汚染されている私と対話したい。汚染されてる状態を沢山教えて欲しい。指を動かして田んぼを動かして欲しい。フリックをしているとたくさんの人が脳裏に浮かんで話しかけてきて相槌を打つ。いまきづいた。いままで作ってきたマイスリー文学は彼らみたいな脳内の人々との対話で生まれてるんだ。
脳を会議に例えるのはよくやる手法だが、それをよりリアルな質感に感じながらマイスリー文学ってできていたらしい。ひとりで書いているようにみえて、主観の感想文に見えて、これは会議の議事録で、みんなの意見が1部ずつ切り取られている。私は書記だから、私の意見はあまりない。私はあくまで、何が聞こえて何がいて何が喋っているかを書き留める。書き留めてある思想的な部分は、手を動かす私ではなく私以外の人が話している内容だ。
なにか動いている、白いグネグネした太陽をもしたおもちゃ。口振さ、といいながら揺らす母親。明らかに仕事の単語。完全に仕事に頭をやられている。わたしの私だけの聖域であるマイスリー文学に仕事が入ってきた。苦痛。嫌だ。
雨が降り、木の筏が湖水にあった。私の視点は水中で、船の先を見ていた。透明で深い青だった。玄関が眩しいので電気を消したいが、歩くのは少し怖い、が、あるく、けしてきた。暗くするとよりいっそう見えないものが見えてくる。
さっきまで筏しか出てこなかったが、次は何が見えるだろう。充電器のぼんやりとしたあかりが幻想を遮ることはないだろうかと不安に思いながら布団をかぶせて明かりを閉じる。、モンスターズインクみたいなとこにいた、マリメッコ柄の布におおわれている、北欧版のモンスターズインクみたいな工場だった。ドアが落ちてきそうで怖くてその幻覚からは抜けた。
幻覚から自由に出入りできるようになったのは、、耐性がついてよかったことだと思う。
あーいままともじゃないなって思ったのはすべてにbgmがつくこと。、わりと、しっかりした。宝箱の悪魔が口をパクパクとしながら容器に踊っていたけど、それらは一つ一つの、動きに合わせて陽気な音楽が流れていた。
幻覚はいまわりと高スパンでみれる、、特に目を閉じれば。目を閉じれば音もなる。ひともいる。人がいることに気づき目を開けて、私しかいないことを確認して現実に帰還する。、だからか?全然シラフな気がしてくる。音は止まらないのにサーカスの映像がとまらない、あーやばいいま混ざってきた、。さっきまで現実として固めてたとこも解けてきた。もう私は自信を持って理性あるとはいえない状態かも。
さあこの状態で対話しよう。何と対話しようか。追い込むなら仕事関係のことやな。、しっかり、追い込まれるとこだった。、関係ない先輩の乗るバスみたいな幻影を見て囚われた。バスは移動手段だからげんそうにつれてかれやすいんだと思う。

(ここでブラックアウト()

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