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やめようと思ってた/野村蒼 Vol.1

アスリートには現役を引退する時が、
いつか必ずやってきます。
でも、踏みとどまる時だって、
きっと何回かあるはずです。

軽く「しんどくてやめたい」と思う時もあれば、
固く「40歳でやめよう」と決意する時もある。
逆に「ボロボロになっても続けたい」と思えば、
「優勝するまで続けよう」とも思う。
どんな決定を下しても、それは個人の自由。

でも、その心変わりの裏側には、
何かしら心境の変化があるはずです

怪我して1年半、満足に走れず
「やめようと思っていた」野村蒼選手は、
明確な目標を持つことでレースに復帰。
クイーンズ駅伝6区を走り、
過去最高順位の2位獲得に貢献しました。

これは、そこに至るまでの物語です。

1年半にわたるトンネル

積水化学女子陸上部としては、
実りの多かった2020年。
その1年は、野村選手にとっても、
"最終的に""良い一年"になりました。

2018年4月に入社した野村選手は、
2年目の2019年2月、ジョグをしている時に転倒。
それから約1年半にわたって、
怪我に苦しむことになりました。

「最初は骨挫傷と診断されて2~3ヶ月で治ると言われたんです。でも、その後も痛みがとれなくて、”ジョグしては痛めて”の繰り返しでした。ポイント練習も全然できず、約1年半は自分で走るか、ジムでのトレーニングでした」

MRIでも骨に異常がなく、病院も複数まわるなど、
治療を進めていた野村選手。
しかし、状況は改善されません。

怪我から「1年はとりあえず頑張ろう」と
考えていた彼女。
確かに1年後、転倒した当初からすれば
良くなったものの、
強度の高い練習には耐えられない。
そんな状況の中、「走れないのに、このチームに
いていいのかな」という想いが生まれます。

そして、気持ちは
「めっちゃ落ちてました」という中、
現役引退を考えるようになったのです。

野口監督と言葉

しかし、去年の2020年5月。
野口監督に引退の意向を伝えた時でした。
監督から、「このまま辞めて悔いはないのか」と
聞かれたのでした。

「野口監督も怪我で引退したらしくて、最後にレースは走ったけどやっぱり悔いが残ったと話してもらいました。それを聞いて、”足が痛いから引退した”と言って終わるのは、イヤだなと思ったんです。最後に一本、どんなかたちでもいいから走って終わろうと、その時に話しました」

「それで、痛くても走り出して、ジョグしてみんなと練習したら、意外と走れた。練習はうまくできないこともありましたが、全然走れなかった状態から走れるようになって、”走るだけで喜びを感じた”んです。”こんなに楽しかったんだ”と、すごく感じましたね」

「そうしたら、気持ちが前向きになり、夏からは少しずつ練習ができてきた。そのまま少しずつやっていたら、クイーンズ駅伝のメンバーに選んでもらえて、走れたという1年でした」

最後に1本だけ走る。
タイムは遅くても、ボロボロでもいい。
その明確な目標が、
彼女にとってひとつの光となったのです。

その光は最初は弱かったものかもしれません。
しかし、結果的には彼女を現役続行に導き、そして”走る喜び”を再確認させてくれたのです。

「やめようと思ってた」時期を乗り越えて、
彼女は語ります。

長い怪我の期間、誰か支えてくれた人はいますか。
「もう、いっぱいいます。本当にたくさんです」

昨年一年は、どんな1年でしたか。
「最終的には良い1年だったと思います」

その答えが、今の全てです。

Vol.2に続く➡

文:守本和宏/ナノ・アソシエーション
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