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土着への処方箋——ルチャ・リブロの司書席から⑧

誰にも言えないけれど、誰かに聞いてほしい。そんな心の刺をこっそり打ち明けてみませんか。

この相談室ではあなたのお悩みにぴったりな本を、奈良県東吉野村で「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を開く本のプロ、司書・青木海青子さんとキュレーター・青木真兵さんが処方してくれます。さて、今月のお悩みは……?

〈今月のお悩み〉「趣味」と言われて
「趣味」って何なのでしょうか?
夫婦で、週末だけの小さなお店を運営しています。
ときどき、お客さんから「趣味でやっているんですね」と言われることがあり、そのたびにモヤモヤしています。
生計は平日に行っている別の仕事で立てているので、このお店の売り上げで食べているわけではないことは確かです。それでも「趣味でやっている」というのとはちょっと違う気がするのです。この気持ち、どう整理したらいいでしょうか?                  (E・N/30代女性)

◉処方書その1 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

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『趣味で腹いっぱい』

山崎ナオコーラ著 河出書房新社

趣味と仕事の境目を考える

これは、銀行員の小太郎と主婦の鞠子という夫婦の暮らしを通じて、趣味とは何か、仕事とは何か、趣味と仕事はどういう関係なのかを考えさせてくれる小説です。
鞠子が常識に囚われないタイプであるのに対し、小太郎は固定観念が強いタイプのため、2人の間では常に議論が巻き起こります。

小太郎は「働かざる者食うべからず」という父親のもとで育てられたせいか、大学で勉強するのは、就職後に必要なマナーや技能を習得するためと思っているような人。鞠子が大学で平安文学を専攻していたことを知ると、「何それ!?」となったりする。それに対して鞠子は、「私は学ぶこと自体に楽しみを見いだしていたから」と言うんです。価値観の全く違う2人が夫婦として生活を共にし、話し合っていく中で起きる化学反応がとてもおもしろい。

仕事とは生活にとっての必要条件で、趣味は十分条件。一般的にはそう考えられていますよね。
でも2人の議論や実践を読んでいると、それが実際には一元的な見方に過ぎず、「仕事」「趣味」という言葉そのものの境目さえも曖昧になってくる気がするのです。

「趣味でやっているんでしょう?」と言われたとき、「趣味ではありません」と宣言してぴったりな言葉を探すことも、一つの方法です。でもせっかく「趣味」というキーワードに引っかかったのなら、そのキーワードをいったん鉤括弧に入れ、自分なりの「趣味」や「仕事」の定義をじっくり考えてみてはいかがでしょうか。

◉処方箋その2 青木真兵/人文系私設図書館ルチャ・リブロキュレーター

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『すばらしい新世界』

オルダス・ハクスリー著 黒原敏行訳 光文社古典新訳文庫

標準化社会への抵抗としての「趣味」

ジョージ・オーウェルの『1984年』と並び、ディストピア小説の金字塔と呼ばれている作品です。
刊行は1932年。第一次大戦と第二次大戦のいわゆる戦間期に書かれた、一言で言うと、お金にならないもの、合理化の邪魔になるものを徹底的に排除したらこんな社会になるよ、ということを描いた小説です。

26世紀ロンドンでは、資本主義と科学によって輝かしい発展を遂げた人類が、幾度かの激しい紛争を経て、安定した社会を築き上げていました。そこは、できる限りコストを下げた大量生産方式で生産性をとことん向上させることが進歩とされる社会。その始祖「フォード様」は、自動車の大量生産を可能にしたベルトコンベアー方式のフォードシステムを象徴しています。

これは、規格化や標準化に違和感を抱かない人にとってはとても居心地がよく、ハッピーな社会です。でも、その社会に疑問を抱く人物が現れる。それが未開社会から来た野蛮人、ジョンです。このジョンの存在が重要なんです。
未開社会とは、規格化されていない社会です。人間はそもそも規格化できない存在ですが、規格化して標準化したほうが社会は表面上安定するし、不安もなくなる。そう考える人にとっては、「フォード様」が支配する社会はユートピアです。でも、ジョンのように規格化を拒み、自然や土地とともに土着的に生きたいと思う人にとっては、ディストピアでしかない。

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象徴的なのが、研究所の所長の次のセリフです。
「サクラソウや自然の景色には重大な欠陥がひとつある。それは、無料(ただ)で愉しめる点だ。自然の愛好は工場に需要をもたらさない」

お金にならない活動を「趣味」という言葉で括って脇にどけていると、いつの間にかこの小説で描かれているような社会になってしまうし、そうなっていることにも気づけなくなってしまうのではないでしょうか。
社会には、お金にならない活動を、何のためにしているんだろうというところに耳をすますような繊細さが必要で、そうした細やかさをみんなが失えば、一気にディストピアが訪れてしまうのです。
この世界をベルトコンベアー型の標準化社会にしないためには、「趣味でしょう」と言われてしまうような活動こそが大事なのだ——本書を読むと、その思いがいっそう強くなると思います。

◉処方箋その3 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

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『死の棘』

島尾敏雄著 新潮文庫

心身死なずに生きていくために必要なもの

日本文学大賞はじめ、さまざまな賞に輝いた島尾敏雄の代表的な私小説です。
優しかった妻・ミホが夫・敏雄の浮気の記録を日記の中に見出してしまったことにより狂乱し、壮絶な追求が始まるというこの私小説。私がこの作品でとくに好きなのが、敏雄がどうしても愛人との手紙を捨てられない、というところです。

勘のいいミホは、夫が愛人からの手紙や写真を隠し持っていることをすぐに見抜き、今すぐ出せと迫ります。すると敏雄は、バレバレのお芝居で「おや、これはなんだったっけな。何か突っ込んでいたことを思い出したから……(中略)こんなのがあった」と言ったりする。私はどうしてもここに、人間が人間たる所以を見てしまうんです。

愛人からもらった手紙なんて、生活には不必要だし、むしろ持っていることで新たな諍いの種になることは明らかですよね。正直、まだ捨ててなかったの! という感じです。敏雄はそれまで狂乱するミホに対し、すべて自分が悪いんだ、ごめんなさいと何度も謝り、怒りを鎮めようとしてきましたが、それでも手紙を保管し続けていたのです。
こんなに責められているのに捨てられないというのは、どういうことなのか。それはきっと、敏雄が心身死なずに生きていくために、必要なものだったからだと思うんです。
人が心身をどうにか保ち、死なずに生きていくためにはどうしても必要なものがあり、それは人によって千差万別です。敏雄にとっての愛人からの手紙は、その極端な例だという気がしてなりません。

島尾敏雄はかなりの記録魔で、どんなことでも書き残さずにはいられない性質だったようです。愛人のことだって、そもそも日記に書かなければ浮気がミホにバレることはなかったはずなのに、それを書いてしまったばかりか机の上に置きっぱなしにしておくなんて、ちょっと信じられません。しかし彼にとってはその「記録する」ことも、生きていくためにとても切実で、重要なことだったのだと思います。
他人からすれば、無意味だとか道楽、悪癖にさえ思えるようなことが、その人の根本を支えている場合もある。昨年からのコロナ禍で、「不要不急」という言葉がよく使われましたが、生きていくのに何が必要かは、人それぞれです。身体が病気にかからず健康でいれば生きていることになるのかといえば、そうではないのではないか。この作品を読むと、そんなことも考えてしまいます。

あなたが取り組んでいる小さなお店も、他人の目には趣味と映るものであっても、あなたが生きていくために必要な、あなたがあなたであることを支えるものとして、大事にしてほしい。この夫婦の狂乱の物語は、そのことを教えてくれている気がします。

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〈プロフィール〉
人文系私設図書館ルチャ・リブロ 
青木海青子(あおき・みあこ)
「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」司書。1985年兵庫県神戸市生まれ。約7年の大学図書館勤務を経て、夫・真兵とともにルチャ・リブロを開設。2016年より図書館を営むかたわら、「Aokimiako」の屋号での刺繍等によるアクセサリーや雑貨製作、イラスト制作も行っている。本連載の写真も担当。奈良県東吉野村在住。
青木真兵(あおき・しんぺい)
「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーター。1983年生まれ。埼玉県浦和市に育つ。古代地中海史(フェニキア・カルタゴ)研究者。関西大学大学院博士課程後期課程修了。博士(文学)。2014年より実験的ネットラジオ「オムライスラヂオ」の配信がライフワーク。障害者の就労支援を行いながら、大学等で講師を務める。著書に妻・海青子との共著『彼岸の図書館—ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』(エイチアンドエスカンパニー)がある。奈良県東吉野村在住。

◉本連載は、毎月1回、10日頃更新予定です。

◉ルチャ・リブロのお2人の「本による処方箋」がほしい方は、お悩みをメールで info@sekishobo.com までどうぞお気軽にお送りください! お待ちしております。

◉奈良県大和郡山市の書店「とほん」とのコラボ企画「ルチャとほん往復書簡—手紙のお返事を、3冊の本で。」も実施中。あなたからのお手紙へのお返事として、ルチャ・リブロが選んだ本3冊が届きます。ぜひご利用ください。

◉ルチャ・リブロのことがよくわかる以下の書籍もぜひ。『彼岸の図書館』をお求めの方には青木夫妻がコロナ禍におすすめする本について語る対談を収録した「夕書房通信」が、『山學ノオト』には青木真兵さんの連載が掲載された「H.A.Bノ冊子」が無料でついてきますよ!


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