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【高校生向けエッセイ】 いったん、しおりを挟みます ~神保町 街歩き~ 

知の骨董街

 東京都千代田区神保町は古書の街。東西、南北、ともに600mほどの通り沿いに200以上の古書店が軒を連ねている。
それぞれの店舗は狭い。狭い中で、歴史、日本文学、英・米・仏・独・露文学、哲学・思想、宗教、漫画、趣味、美術、演劇、映画、雑誌…店ごとに得意分野を持っている。古書といっても、古文書、古絵画の類も含み、各分野を求める客でいつも込み合っている。
 書道を学んできた先輩から、「高齢になり身辺を整理したいので、買い貯めてきた本をタダでいいので引き取ってくれるところはないか」と相談されたことがあった。拝見したところタダではもったいないのでと神保町の書道本専門書店を紹介したら、10万円余となり感謝されたことがある。
 神保町の古書から歴史的価値のある資料が見つかり、ニュースとなることもある。
 こうした意味で神保町は、「知の骨董街」ともいえる。

神保町 古書街

 国語辞典の出版社として知られる三省堂もここに書店を構えている。地上8階、地下1階の大規模書店で、古書の街にあるが新書を中心に扱っている。大規模書店が珍しくなくなった現在だが、このような書店は昭和の時代には少なかった。三省堂創業100周年にあたる昭和56年に建てられたこのビルは41年を経て、他の大規模書店に比べるとだいぶ疲れた様子を見せていた。
 壁面に掲げられた「いったん、しおりを挟みます。」という看板がSNS上で話題となった。
老朽化したビルの建て替えに伴い、5月8日をもってこの店をいったん閉じることを示す看板である。「しおりを挟んで」しばらく休むとは、粋な台詞である。
 5月6日、久しぶりに神保町へ行った。三省堂が目的でなかったが、三省堂へ立ち寄った。
 入口で、エスカレーターで、周りにいる人たちの会話が聞こえた。「しばらく寂しくなるね」「行き場がなくなっちゃう」… 本好きが集まる雰囲気は心地よい。
 平日でも店内は混んでいた。本は在庫一掃にはならないが、文具売場は在庫処分だったらしい。値引きの札はあるが商品はほぼなかった。万年筆のケースにある「50%引き」の札に、この機に来られなかったことが惜しまれた。
 古書のフロアで、100円均一のワゴンがあった。眺めていると久世光彦の小説(文庫本)があった。久世光彦は、昭和後期に向田邦子などとともにテレビドラマ界を席巻した作家である。
 骨董好きが、物色するなかで気に入ったものと出会うことを「目と目が合った」というが、それだった。ピンときた。新書でもまだ廃版となっていないようだが、久世光彦は新書では見かけない。そもそも向田邦子が好きなので、彼女とともに仕事をした久世の作品に触れてみたいという気持ちはかねてからあった。『卑弥呼』…内容はソフトで面白そう。しかも100円!迷うことなく買い物かごに入れた。100円ワゴンではないが、隣のワゴンには江戸川乱歩、横溝正史、シャーロック・ホームズが多く並んでいた。江戸川乱歩は好きなので何冊も手に取ったが、買うまでに気持ちが高ぶらなかった。
 本との出会いとは、そういうものと思う。「一期一会」に似ている。
 何かを探そうと出かけてもそれが見つからないことがあるし、目的なく出かけたときにとっておきのものを見つることがある。気になる本があっても、その時に買わなければ買わないでしまう。後になれば、何が気になっていたかすら忘れてしまう。何気なく気になったけれど、その時に声をかけないでしまった誰かに似ている。
 かごに入れた本を持って1階のレジに行った。有人レジ5つとセルフレジが4つあるが、たくさんのレジ待ち客が並んでいた。
 神保町からJR水道橋駅までの白山通約700mには焼き肉店も多い。グルメ雑誌に取り上げられることがしばしばあるが、焼き肉を食べに来たことはない。本を眺めて4時間ほど、来た時にはランチ目当ての会社員が列を作っていたが、帰りは“残り香”となっていた。その並びに誠心堂書店がある。書道関係古書の店である。店頭に『墨』という書道雑誌が数冊あり、その中の1冊の特集が「王鐸」(中国明末清初の書家)だった。300円。
 買った。
 
 本との出会いは楽しい。

(2022年 5月)

三省堂 フロア案内


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