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私の受験期①~僕が大学に行こうと思った訳~

台湾で日本料理店を経営している飲食店主兼生き方改革カウンセラーのせきさんです。

今の現状を変えたい、人生で新たなステップを踏み出したいと思っている方へ、私自身の経験を伝えながら皆さんの背中を後押し出来るような情報を発信しています。

さて、今回は受験シーズン真っただ中ということで私の受験期の話をご紹介します。今回は前編:高校生~現役大学受験までのお話です。

1.アルバイトにハマってしまった。

私は高校1年生の冬に生まれて初めてアルバイトをしました。
郵便局の年賀状配達だったのですが、生まれて初めて8万円の給料を手にすることに。この味が忘れられず、春からは地元の大手スーパーで土日のみの長期アルバイトとして働き始めました。

2.稼いだバイト代で遊び青春謳歌

部活動もやっていましたので、平日は稼いだアルバイト代を原資に部活仲間と学校帰りにファーストフードでたむろしたり、カラオケに行ったり、週末はアルバイト先の先輩に誘われ居酒屋に先輩の定期券を借りて年齢をごまかして入店したりしていました。今考えればどうしようもない高校生でしたし、人生初の自分崩壊だったようにも感じます。でも当時の自分としては社会の一員として必要とされてる感を実感していたこと、そして次々と自分の知らなかった世界が見えて行くことに快楽を覚えていました。

3.”お勉強の出来る人”の何がすごいのか分からなかった

一方勉強はそっちのけ。成績順位はどんどん下がり、下から3番目が定位置に。下にいるのは練習と試合で殆ど授業にいなかった野球部員とラグビー部員だけでした。得意だったはずの英語も暗記中心の受験英語に嫌気がさし、国語の古文や数学の複雑な方程式も学んで将来の何に役立つのかと全く向き合う気にもなれませんでした。

私は大学の付属高校に通い、付属推薦とそうでない人を合わせて8割くらいの人が大学に進む進学率だけは高い高校でしたが、学問には全く興味が持てなかったので、より実践的な勉強が出来るであろう専門学校への進学を希望していました。

4.先輩からのひと言が僕の人生を変えた

高校2年生の冬。普段通りアルバイト作業をしていた時、同じ部署の専門学校生の先輩から進路について聞かれました。そこで「専門(学校)にいくつもりです」と話すと、その先輩から「関本くん、ど~んな大学でも良いから”大学”と名の付くところに行った方が良いよ!」と強烈にアドバイスされました。
大学生の先輩から「遊べるよ」とか「楽だよ」と言われてもあまりピンと来ていませんでしたが、この先輩の一言にハッとさせられました。

この日から大学受験のチャレンジが始まったのです。
といっても、時はすでに高校2年生の終わり。そこで一旦アルバイトを辞め、出遅れながらも受験勉強を開始しました。しかしながら、これまで興味のない勉強を避け続けて来た自分にとっての勉強は苦痛そのものでした。

5.勉強してこなかったツケが回って来た感じ

高校3年生の秋には付属推薦や指定校推薦で進路を決めたクラスメイト達が遊んでいる中、その空気に流されて一緒にカラオケに行ってしまったりもしてしまいました。

その結果、現役で受けた大学受験の結果は全敗。
「やはりダメだったのか…」
最後の受験校の不合格が分かり、その日の午後に以前から気になっていた専門学校の願書を貰いに出かけることに。願書を受け取り家路に付こうと帰りの電車に乗り込みました。

6.やはり諦めきれない思いから再スタート

しかしその時、自分の心の内から叫びが聞こえて来たのです。
「やっぱり大学に行きたい…」と。
急に諦めきれない思いが沸き上がって来たのです。そこで急きょ再び家路と逆方向の電車に乗り直し、高校時代に通ったことのある予備校に向かい、願書を受け取って帰りました。あれが今の自分なりには人生最大級の転機でした。

これが私の”偏差値40からの大学受験”浪人生活のスタートです。

今回はここまでです。次回・後編は誘惑や苦難を乗り越え、1年後に合格を手に入れるまでの軌跡をお伝えしたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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