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卒業について

人生という限りある時間の中で、私たちは本心から感動し涙することが何回できるだろうか。


2024年3月1日
36名の生徒が広尾高校を卒業しました。
自らの力によって、またたくさんの方々のお力添えによって、この日この場所に辿り着いた36名は、参列した人々に感動を与え、多くの涙が流れる場面を演出し、立派に巣立って行きました。

感動し涙を流せるのは人間だけが持つ特性です。普遍的な価値があります。変化の激しい時代においてその価値は高まる一方です。

そんな卒業の日に立ち会い、考えたことを書かせていただきます。




卒業式で可視化されるもの

広尾高校の卒業式は毎年感動の涙が多く見られます。
広尾高校に限らず多くの卒業式は感動的です。
この理由を私なりに考えてみました。

たいていの場合、15歳から18歳の3年間は能力面でも機能面でも拡張し、できることが増えていくのが人間です。その反面、できることが増えた分だけ勘違いし、偉そうになったりマウンティングしたくなるのもまた人間であります。

自分を偉い人だと勘違いした、マウンティング大好き若者が卒業したところでだれも感動しませんが、広尾高校にはそんな卒業生は過去1人としていませんでした。私から見て感じたことは、卒業を前にした生徒は「特別なこと」ではなく日常の「何気ないこと」を振り返り、新しい気付きを得ているように見て取れるところです。

卒業生たちはこの日、自分なりの表現方法で感謝を表します。

例えば保護者に対して「反抗したり生意気言ったりしてごめん、それでも寄り添ってくれてありがとう」的な内容の言葉を放ち、その言葉は子育てに苦労した保護者の心に容赦なく突き刺さり、感動し、そして泣きます。

例えばクラスメイトに対して「幼稚園から高校まで一緒で、仲悪い時期もあったけど、力を合わせて全力出したりしたこともあったね、ありがとう」的な内容の言葉を放ち、その言葉は多感な時を共に過ごした友人の心に深く突き刺さり、感動し、そして泣きます。

例えば教員に対して、例えば後輩生徒に対して、例えば関係の深い別の大人に対して、、、

私たち人間は、卒業を意識した瞬間から日常の何気ない場面を振り返り、たくさんの気付きを得ることができる生き物なんだと思います。
またその気付きが感謝という形で行動に移され、周囲へと影響力を持つのが卒業なのではないか?と、

つまり昔から言われていることですが、終わりが来るからこそ日常が輝き、自発的に感謝することができます。そこへタイミング良く、感謝を行動に移せる機会が、卒業式という形で設定されている。
感動できる理由はそういうことです。


卒業を設計する

気付きを自ら得ることは重要なことです。他人から与えられたり押しつけられたりする気付きは、雑音でしかありません。情報多寡の世界で生きている若者ほど上手にスルーします。

そもそも「自分で気付く」ということだけでも難しいのに「他人に気付かせる」ことなんてもっと難しいに決まってるんです。ほぼ無理ゲーです。
ここで私は1つのアイデアが浮かびました。

気付きを得るために卒業を利用することができるのでは?そのついでに感動を演出できちゃって一石二鳥。

この日卒業した36名は、担任の熱心な指導により、気付き、行動し、影響力を持つということを実践してきました。「影響力を持つ」だとリズム悪いので「波及」という言葉を使っていましたが、

例えば気付きも行動もしない人間がいきなり影響力を持つことなんてできませんし、何にも気付けない人には行動変容は期待できません。この3ステップはとても良くできています。

生徒が卒業を具体的に意識したのって12月とか1月とかですかね?
だとして

①その辺でこの3年間を振り返り
②何気ない日常の大切さに気付いて
③卒業のタイミングで感謝を行動に移し
④その結果多くの人に影響を及ぼした

という構図になります。これは卒業以外にも何らかの終わりをプログラムの中に設計することで様々に応用可能です。

例えば、アイドルの引退などではすでにこの演出が利用されています。同様の演出はスポーツ選手などでも可能です。他にも期間限定のプロジェクトやインターン、各種イベントなど利用可能なものはたくさんあると思います。

消費がものから体験へと変化した今、この卒業の利用は間違いなく有効です。しかもあらゆる分野で。

ということで、新しい職業が誕生する可能性が浮上しました。


卒業式プロデューサー

AIによって無くなる職業が、、、と最近ではよく耳にしますが、私はもっとシンプルだと考えていて、AIに関係なく、

・世の中から必要とされなければその職業は無くなります。
・世の中から必要とされればその活動は新しい職業として誕生します。

卒業を利用して気付きを得る活動が、人間の行動変容を生産するのであれば、この変化の早い時代には必要とされるのではないか?

職業名は「卒業式プロデューサー」が良いのではないか?
実際の式典である卒業式もついでに総合演出できるならなお良いのではないか?

この職業の人が世の中に対して価値提供できること、それは行動変容と感動の2つを生産できること。

この職業の人がやることは1つだけ、プログラムの最後に卒業を設計すること。

卒業が設計された結果、プレイヤーたちはやがて来る卒業を意識します。意識し振り返ることで気付きを得て、得られた気付きを例えば感謝などの形で行動に移し、行動した結果影響力を持つことができます。そしてそれが多くの人に感動を与え、価値として必要とされるという仕組みです。

どうだろうか?

なんちゃってね☺︎

新たな職業の誕生まではさすがに言いすぎかもしれませんね。
ですが、様々な業種ごとに多様な形で卒業をデザインし、プロジェクトに落とし込んで実装することができれば、気付きから行動変容までワークさせることができると思います。
それで感動を演出するところまで行ければいいですよね。


卒業式についてまとめ

卒業という節目は、何気ない日常から気付きを得るためのきっかけを作り、最終的には感動を生み出します。単なる通過儀礼ではなく、気付きを得るための意図を持って設計することで、価値のある行動変容を生み出し、さらに普遍的な価値のある感動を生み出します。卒業を設計し、それを通じて気付きを得ることの重要性を見つめ直し、人々が互いに影響を与え合い、共に成長するこの一連のプロセスは、「卒業式プロデューサー」という新しい役割の提案へとつながりました。

人生は、本質的には美しいものです。それに気付けるかどうかは、私たち人間にとって重要な課題であります。

セルフ卒業設定という新たな手法も開発できますね。これは日常に潜む本質的な美しさを発見し、再確認できます。例えば転職や引っ越し、自動車の買い替え、粗大ごみの処分、あるいは新たな趣味への始めの一歩など。未知の気付きを得ることで、自分自身の行動変容と感動を作ることが可能です。
セルフ卒業設定し、日々の生活に隠された豊かさに気づき、自分自身の行動変容と他者への感動を生み出すことは十分可能です。
要するに、何気ない日常を輝かせる工夫を他人に頼らず自分で設定できるということです。
セルフ卒業設定お得です。



人生という限りある時間の中で、私たちは本心から感動し涙することが何回できるだろうか。

言葉足らずでつたない文章お許しください。貴重なお時間を消費して読んでいただいたことに感謝いたします。

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