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地域とともにある高校の新たな成果

今年の一般入試の合否が発表されました。広尾高校は、、
 帯広畜産大学畜産学科1名
 室蘭工業大学創造工学科1名
 北星学園大学心理学部1名
 帯広高等看護学院1名
合計4名が一般入試での合格を勝ち取った結果となりました。
これで36名の卒業生全員が進路先を決めることができました。保護者の皆様のご協力には心から感謝申し上げます。


一方で、努力し成長の過程をたどってきて、あと一歩届かず不合格に終わった生徒もいました。その姿は最後まで輝いていました。
結果でなく過程に価値を見出し、生徒の成長に対して素直に喜べる大人が何人いるだろうか?とも考えます。
これは広尾高校が出した成果ではなく生徒が努力し自らの手で掴み取った結果ですが、中身の大部分を占める成長の過程を見たときに、合格した生徒と不合格に終わった生徒で何が違うのでしょうか?成長の過程は成果ではないのでしょうか?
それが高校の成果ではなく生徒の成果であるならば、高校に求められる成果って何なんでしょうか?


ということで、高校が出すべき成果について書かせていただきます。



教育活動における成果

授業の中で行った「広尾高校敷地内オオバナノエンレイソウ群生地化大作戦」の様子です。


そもそも教育活動は成果が数値化されずらい分野であります。
教育ですので目的は生徒の成長にあります。
成長なので入学時と卒業時での差で表すことが手っ取り早いんですが、成長著しい多感な時期ですので、高校生は放っておいても成長します。衰退することはほぼありえません。

成長のスピードの加減に、高校の教育活動の影響はあると思いますが、追跡しデータを取ることが難しいため、高校生たちは自分の成長を大人の肌感覚にゆだねてしまうことになります。

高校でやってることって8割が授業なんですが、多くの大人が肌で感じていること「授業では成長そんなしないよね、成長って部活とか行事だよね」という感覚です。受験で成長することはあっても、授業では成長させる機会を作りにくいな、というのは私も感じています。

教員は教科教育の専門家なので、自分の教科について生徒の知的好奇心を満たし、成長を促すことができたら最高です。つまり学校の先生はみんな授業で生徒を成長させたいと思っています。

なので昔と違って最近の授業は先生方の努力と工夫のおかげで面白い授業が増えました。特に広尾高校には若くて授業の面白い先生が多く、成果が期待できるところです。

でも広尾高校は生徒が減っているため先生の数も減っていて、若くて授業面白くて授業で生徒が成長できる機会を作ってくれる先生たちは、1人でたくさん授業をしなければいけなくなります。先生方には授業で生徒を成長させることができるだけの余力を与えなければいけません。
今のままでは成果は半減です。


求められるのは価値提供

広尾町内シーサイドパークのオオバナノエンレイソウ群生地です。


社会が変わり、学校への要求が増えたという話をよく聞きます。
高校も内容どんどん変えていけばいいだけなんです。高校に求められる成果は生徒の成長だけなんだから内容なんて何でもいいんです。
ただ1つ、私が危険なサインだと感じていることがあります。

これは特に地方の小規模校において顕著で、構造的には複雑ですが、わかりやすくパロディーで説明します。あくまでパロディーです。

高校君「先輩、もっと人材とかお金とか、色々リソースくださいよ」
教育委員会「そんな余力ないんだよ、君よりも大きな高校たくさんあるんだからそっちに使わないといけないんだ」
高校君「確かに僕は年々小さくなっているのでしょうがないのはわかります。でも先輩!僕はこのままじゃやっていけません」
教育委員会「それは困るよ、むしろ俺の足引っ張ってることになってるのわかってる?」
高校君「わかってますよ、けど、このままだともっと先輩の足引っ張ることになっちゃいそうです。」
教育委員会「それが続けば、君の生徒募集を停止して、閉校するしかなくなってしまうよ」
高校君「僕はお荷物扱いってことですか?そんな、、、じゃぁ僕はどうすれば」
教育委員会「地域さんに支えてもらってよ、俺は大きい高校だけで精一杯で君みたいな小さくなっていく高校を支えるだけの体力はもうないんだ」
高校君「わかりました地域さんにお願いしてみます」

高校君「地域さん、僕のことを支えてよ。地域さんは僕に何ができるの?」
地域さん「いきなり何言ってるの?昔から色々やってあげてるじゃない」
高校君「昔からしてくれてることは別で、今からもっと増やすとして何ができるの?色々やってくれないと閉校しちゃうよ」
地域さん「何ができるの?って言う前に高校君は私に対して何かしてくれているの?まずはそこからじゃない?」
高校君「色々してきたよ地域貢献ってやつだよ」
地域さん「地域貢献だけじゃなくてもっと価値を提供するようなことは?あんまりしてくれてないよね」
高校君「まずは地域さんが僕にしてくれないと、そうじゃないと何もできないよ」
地域さん「それが逆だって言ってるの、高校君が私にしてくれるのが先でしょって」

とある高校君と地域さんと教育委員会先輩のパロディー


皆様それぞれに立場があるのはわかりますが、これはあくまでパロディーですので、誹謗中傷はお控えください。私はここにギャップを感じていて、ここ数年の広尾高校と地域との間の齟齬は、解消される方向に向かっているようには思えません。むしろ亀裂は少しずつ広がってきたようにも感じます。これは非常に危険なサインです。

この、お互いテイカー状態を解消するためには、どちらかが先に価値提供するしかありません。広尾高校にできることはまだあります。

もちろんどちらも余力十分という訳ではありません。地域が高校に求めていることはもはや、単なる地域貢献ではなくリソースの消費を伴う価値提供です。お互いがお互いを軽視し、やってもらえるのが当たり前という、男女の破局と似た構造がここ数年続いてしまっているのです。

高校に求められる成果は、地域への価値提供です。


価値提供の方法を探る体制

サンタランド花いっぱい運動の一貫ルート336花壇整備への参加の様子


なので求められる成果は2つになるということです。
生徒の成長と、地域への価値提供です。

一見難しそうに見える2つの実現ですが、私は実現可能だと思っています。
地域に対して価値提供することで生徒が成長できる教育計画を展開していけばいいからです。

俯瞰してみたらわかると思いますが、放っておいても成長する高校生と放っておいたら閉校する高校の関係性って高校生の方が優位ですよね。高校ってもはやぜんぜん偉くないし、権威性に頼ってばかりなのは逆にリスクです。中央からも切り離され、地域から見放され、高校生には見下され、高校という主体の存在意義はそのうち消滅してしまうんじゃないか?とすら思われます。

高校は国公立大学に何人合格させたとか、そんな実態の無いこと言ってる場合じゃなくなってきています。それは高校の成果というよりも生徒の成果です。さっさと別の価値提供の形を探らないとヤバイという危機感を持たなければいけません。これは広尾高校のような地方の高校だけの問題ではなく、帯広札幌のような中都市の高校、東京都市圏を除く政令指定都市圏の高校へと顕在化していくのは時間の問題です。

高校は地域に対して価値提供をしていかなければいけません。しかもリソースの消費を伴う価値提供です。具体的な方法は色々あると思いますが、北海道教育委員会やその各支局、また管理職も教員も、全員が手探りで行動し続けるしかありません。

でも組織が大きすぎるため、高校が地域にできる価値提供って具体的になんだろう、、、?を大人たちが検討できる体制を整えるにはめちゃ時間かかりそうです。私はあんま期待していません。

そんなの待ってられないので、末端の教員から生徒と地域に対して直接アプローチかけた方が圧倒的に早いと思います。末端の教員のみなさん、共に頑張りましょう!


地域とともにある高校の新たな成果まとめ

町内測量会社での体験内容を広尾小学生に説明する広尾高校生


これからの高校が目指すべき成果について書かせていただきました。
地域社会との関係性の強化が、高校教育の新たな価値提供として重要であることを特に強調したつもりです。高校の役割は進路で成果を上げるだけではなく、生徒の成長と共に地域社会への価値提供にも焦点を当てるべきであるということです。

教育の成果は数値化しにくいものですが、生徒の成長と地域との連携を通じた価値提供が、高校教育の新たな目標となり得ます。生徒の成長を促進するためには、授業だけでなく、部活動や地域活動といった多角的な経験が重要です。同時に、地域社会への価値提供を通じて、生徒に社会的責任感や協働の精神を養う機会を提供することが求められます。だってそれで生徒が成長できたら一石二鳥じゃん、っていう感じです。

このような取り組みは、生徒自身の成長だけでなく、地域社会の活性化にも寄与し、高校が地域の一員として果たすべき役割を再定義することに繋がります。教育委員会、校長教頭、教員、生徒、地域社会が一丸となって、互いに価値を提供し合う関係性を築くことが、これからの高校教育の成功には不可欠です。

今一度、広尾高校の事例をはじめ、全国の高校が直面する課題に対して、地域と共に成長し、新たな価値を創出する道を模索する必要があることを強調したいです。日々変化する教育という現場の中で、高校は生徒と地域の架け橋となり、双方にとっての価値提供の機会を作り続けることが求められています。

これまでの高校の組織は、生徒にとっても地域にとっても決して使い勝手のいいものではありませんでした。高校が一番偉いと勘違いし、いつまでもテイカーでい続けようとしていては解決できません。
この挑戦は決して容易ではありませんが、地域と共に歩む教育の未来は、私たち全員にとって豊かな可能性を秘めています。

末端の教員から始まる小さな一歩が大きな変革を生むことを信じ、仲間を集め、ともに挑戦していきたい私です。

広尾高校敷地内オオバナノエンレイソウ群生地化大作戦実行時の私です。




言葉足らずでつたない文章お許しください。貴重なお時間を消費して読んでいただいたことに感謝いたします。



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