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そろそろ自分の情緒が保てない。宣言としての「髙橋海人についてのnote #0」

髙橋海人氏についてこれ以降、私が普段使っている彼の愛称(海ちゃん)で呼ばせてもらうことを最初に断っておく。

早速だが、「海ちゃんはすごい人だ!」

こんな凡庸な表現しかできない自分が悲しくなるけれど、本当にそうなのだ。
もっと言うと、「末恐ろしい人」だとも常々思っている。
自分はとんでもない人を好きになってしまったと怖くなる時がある…


私はファンになってからずっと彼の表現力に注目してきた。
彼のダンスを、演技を、歌を目の当たりにすると見入らずにはいられなくなる、惹きつけられて虜になる。


彼は「表現者として一流」だと、私は思っている。

〈リッチでないのにリッチな世界などわかりません。ハッピーでないのにハッピーな世界などえがけません。「夢」がないのに「夢」をうることなどは……とても 嘘をついてもばれるものです〉

山田詠美 著/「私のことだま漂流記」より


海ちゃんのパフォーマンスから感じることは、ただただ彼が一流が故か…


海ちゃんの素晴らしさと、彼を好きになったことで自分に起きた変化を私なりにnoteにまとめたい。

下書きはしている。
いつになるか分からないけれど、自分が彼に感じていることを自分の表現で完成させ、そして公開したい。

「自分が本当に言いたいことはなかなか伝わらない。逆に、簡単に伝わるようなことは、あまり言いたいことではないと思います」

社会学者 大澤真幸/朝日新聞(夕刊)より


まさにこれだ。言いたいことは沢山ある。
しかし自分独自で感じていることを、掘り下げて、考えて、まとめて、文章にして表現することが困難だとも感じている。しかし、その作業をなんとか頑張りたい。

自分の紹介文に髙橋海人の名前を載せながらも、彼に関するnoteを出していないことにそろそろ自分自身の情緒のバランスが限界に達しそうだったので、こういう形で海ちゃん愛の片鱗を出させてもらった。

今回は海ちゃんについてのnoteを必ず書き上げますよと自分自身に宣言をするための記事になった。

これが私にとっての「髙橋海人についてのnote #0」ということになる。

宣言と書いたそばから、なんだか背筋の辺りがもぞもぞしてきた。
この感覚が今後の下書きが進むというサインだと期待したい。

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