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ランガー『シンボルの哲学』を読む(3)

第3章 サインとシンボルの論理

3-1 意味の心理的な面と論理的な面

前章で概観したように、「シンボルの主たる代表は言語」(p. 115.)である。そして、言語(シンボル)は意味を持つ。意味は伝わってこそその機能を果たす。では、言語の意味はどのように構成されるのだろうか。

ランガーからの引用で始めよう。

「意味には論理的な面と心理的な面とがある。心理的に言えば、意味を持つものは全てサインあるいはシンボルとして使用されねばならない。つまり誰かにとってのサインあるいはシンボルであらねばならない。論理的に言えば、それらが意味を伝えられなければならず、意味伝達に使用し得るような何かでなければならない」(p. 118.)。

意味の「心理的な面」とは、「私が意味する」といった心理的な主体があり、そしてその主体が心の中に思い描いた何事かの意味を誰かに伝えようとする、という側面である。

意味の「論理的な面」とは、上記の「心理的な面」とは異なり、心理的な主体(私など)は問題にされず、ただ論理として着目される側面である。この論理的な面では、意味は確実に何事かを「伝えられなければならず」、この伝わるという機能構造こそが論理に他ならない。したがって、「意味は、最終的には論理的な条件に依っている」(p. 116.)とランガーが述べる所以である。

意味は伝わってこそその機能を果たす。では、言語の意味はどのように構成されるのだろうか、と我々は冒頭で問うた。その解答は、論理によってと言えるだろう。


3-2 意味には性質がない

少々長いが、ランガーの言葉を引こう。

「或る特定のシンボルが、或る人にとって或る対象を「意味している」ということもできるし、またその人がシンボルを用いてその対象を「意味する」とも言える。前の記述は意味を論理的な観点で捉え、後者は心理的な観点で捉えている。前者はシンボルを基調(キイ)として捉え、後者は主体を基調(キイ)として捉えている。こうして、この最も問題の多い二種類の意味 ー 論理的意味と心理的意味 ー は、意味を項の性質としてではなく関数としてみるという一般原則を立てれば、区別されると同時に相互の関連づけもなされることになる」(p. 124.)。

ある主体(人)がシンボルを用いて何事かを「意味している」という場合、これは心理的主体が存在するため、意味の心理的な面であった。

そして、ある主体(人)を度外視して、このシンボル「が」何事かを「意味する」という場合、それは論理の問題となり、意味の論理的な面である。

ランガーは言う。「実は意味には性質がないのである。意味の本質は論理の領域にあり、そこは性質ではなく関係を扱う領域である。(中略)「意味は項の性質ではなく、項の関数(ファンクション)である」という方が良いであろう」(p. 121.)。

関係(項の関数)の問題に入る前に、ここで言われている「意味には性質がない」ということを考えてみたい。これは一体どういうことだろうか。

たとえば、「赤い花」というシンボル(言語)によって、「赤い花」を論理的に「意味する」わけであるが(もちろん、ここでは心理的な面は度外視している)、その際、花の赤さという性質は伝わらない。花の赤さは、主体(人)の抱いた心理的な印象やクオリアであって、論理的に「赤い花」というシンボルで「意味する」際には、この性質(印象やクオリア)は脱落してしまうのである。よって、「意味には性質がない」のであって、問題となるのはその論理的な機能だけということになる。


3-3 意味とは関係(項の関数)である

さて、意味の関係(項の関数)の問題に入ろう。「意味は項の性質ではなく、項の関数(ファンクション)である」(p. 121.)。この命題の意味するところを考察していきたい。

「「意味」という語の最もよく知られた三つの意味をまとめると、記号的表示作用、外示作用、共示作用である」(p. 137.)とランガーは述べる。

論理学で言われるところの記号的表示作用とは、サインと対象との関係が一対一対応をなしている場合である。たとえば、「鳥」という名が一対一対応で眼前の「この鳥」を名指す場合である。

外示作用とは、名が「まず何かを外示[=外延的に意味]する」(p. 136.)。論理学で言うところの「外延」とは、ある語の指し示す対象の範囲のことである。たとえば、「鳥」という名は、「この鳥」自体を一対一対応で名指しているのではなく(これは、記号的表示作用になる)、「鳥」という名が鳥の様々な「個物」を想起させる。たとえば、スズメ、カラス、ウグイス、等。

共示作用[=内包的意味、含意作用]とは、その語が指し示すものが共通して持っている意味や概念である。「一つの語の共示作用[=内包的意味]とはそれが伝える想念である」(p. 137.)。たとえば、「鳥」という名が持つ共示作用[=内包的意味、含意作用]とは、「からだ全体が羽毛で覆われ、翼で空を飛ぶ動物」(『デジタル大辞泉』より)という鳥が共通して持つ想念(意味や概念)にあたる。

さて、このように語の意味の記号的表示作用、外示作用、共示作用があるわけであるが、それらを結びつけているのが文法構造である。

「文法は項ですらないのだから、シンボルとは呼べない。しかしそこにはシンボル作用に関わる役割がある。文法は、各々が独自に少なくとも断片的な内包つまり共示的意味を持つようないくつかのシンボルを結び合わせて複合的な項を作り上げる」(p. 143.)。

人間がこの「複合的な項」を把握することができるのは、「抽象しながらものを見る」(p. 150.)ことができるからである。たとえば人間が絵画を観る際、そこに人物や風景などを抽象して読み取る。しかし、他の動物は絵画を観ない、観ることがそもそもできない。彼らがそこに見るものは人物や風景ではなく、色彩の付いた紙または板である。つまり、動物は抽象しながらものを見るということができないのである。

人間にとって絵画同様に、様々な語を組み合わせた文法は「複合的な項」=「複合的なシンボル」を作り上げる。そのような「複合的なシンボル」は命題となる。そして、命題が意味を伝える。

本節(3-3)冒頭に示した命題、「意味は項の性質ではなく、項の関数(ファンクション)である」とは、このような項=シンボルの論理的な意味の関係性を言うのである。

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