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<灯台紀行 旅日誌>2020年度版

<灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#15
伊良湖岬灯台撮影5
 
<12時30~2時 イラコ 撮影>。メモの走り書きは、自分にすら読めないようなヘタクソな字だ。なぜ、字がこれほどヘタクソなまま、一生を終えることになったのか?やはり、小学生の頃、ちゃんと字を書くことを覚えなかったからだろう。勉強などは大嫌いだったのだ。もっとも、その後も、きれいな字を書くための努力は、一切してこなかった。野球やバスケのためには努力したが、きれいな字を書く努力は、不遜にも、努力するに値しないと思っていたのかもしれない。

人生の半ば過ぎにワープロができ、その後、パソコンを使うようになった。字が下手だ、というコンプレックスからはほぼ解放された。自分の書いた字を、人に見られること、見せることがなくなったからだ。だが、それが、いいか悪いかは、微妙な問題だ。字をきれいに書く必要がなくなったからには、おそらく、今後、字がうまくなる可能性はほとんどない。ひるがえって、かりに、ワープロもパソコンもなかったなら、人生の最後、やることもなくなった頃に、ひょっとしたら<ユーキャン>か何かで、硬筆講座を受けてみよう、などと思ったかもしれないのだ。
 
益体もないことだ。話しを戻そう。二時まで曇りマークがついていた、というのは、思い違いかもしれない。曇り空なら、12時30分から、撮影を開始するはずがない。いや、ちょっと待ってくれ。この日の午後の、一発目の撮影画像は、恋路ヶ浜駐車場にあった石のモニュメントで、時刻は<12:55>になっている。しかも、その後の画像を見ると、雲は多いものの、多少陽射しが差している。ということは、まずもって、二時まで曇りマークがついていた、というのは、思い違いだった可能性がある。それとも、天気予報がころころ変わって、頭が対応できなかったのか?あり得ない話ではない。もっとも<12:30>に撮影を開始した、ということに関しては、これは、メモしたときの完全な思い違いだ。
 
撮影画像がなければ、こうした思い違いが、思い違いとみなされず、看過されていっただろう。ならば、いっそのこと、撮影画像の時間など無視して、書き進めようか。その方が、気楽だ。だが、そうなると、この旅日誌は、ますます、日誌らしからぬ、フィクションの領域に近づいてしまう。ひとつの思い違いに、さらなる思い違いを重ねていけば、内容的には、これはもう、正確な意味での旅日誌ではなく、旅日誌風のフィクションになってしまう。
 
自分としては、できるかぎり<思い違い>のないように書いていきたい。でなければ、あとで読んだときに、<思い違い>が<思い違い>ではなくなり、実際にあったことのように印象されてしまう。結果、さらなる<思い違い>を重ねてしまうことになるわけで、そういうデタラメなことだけは、避けたいのだ。
 
雲は多いが、多少の陽射しがあった。と書き出せばよかった。ま、いい。曇天でなくて、よかったよ。そう思いながら、石畳の道を歩いたような気がする。太陽の位置は、すでに、目線、45度くらいのところにあった。この時間、夏場なら、真上にある筈だ。景観的には、いい感じで、海が、黄金色に輝いている。さほど風もなく、心地よい。
 
伊良湖岬灯台が見えてきた。東側から始めて、下調べした撮影ポイントを回り始めた。石壁の上、波消し石の上、正面付近の土留め壁の前、階段、さらには、西側からも撮った。だが、どのポイントも、空の様子がよろしくない。日差しも弱く、写真に元気がない。こういう時は、ムキになって撮ってもだめだ。一応、昨日は撮れたと思っている。がっかりはがっかりだが、致命的ではない。あっさり引き上げた。
 
<2時30~3時30 車で休ケイ>。これは、撮影画像のファイル情報で裏が取れている。ほぼ、間違いない。さて、それにしても、小一時間、車の中で何をしていたのだろう。後ろの仮眠スペースで、横になっていたのか?それとも、運転席で靴をぬぎ、体を横にして、ドアに背中をつけ、助手席の窓やダッシュボードに足を投げ出していたのだろうか?よくは思い出せない。ただ、駐車場の奥の方にある、<幸せの鐘>を見に行こうかな、とちょっと考えた。鐘の音が聞こえたのかもしれない。たが、行かなかった。車の中でぼうっとしているほうが、心地よかった。
 
時計を見た。三時十五分くらいだったかな?外に出た。車のリアドア―を開け放して、装備を整えた。ポシェットに、ダウンパーカの小袋を結びつけ、カメラ一台、肩掛けにして、手に三脚を持った。ネックウォーマーも指先の出る手袋もしていた。陽は、大きく傾き、ややオレンジ色っぽくなった海がきらきら光っている。風がないので、寒くはなかった。ただ、水平線近くにたなびく雲が気になった。きれいな日没、昨日のような、線香花火の火玉は出現しないかもしれない。
 
これでもう何回、灯台の周辺を巡ったのだろう。今回も、撮影ポイントを律儀に回った。夕陽は、思った通り、分厚い雲にさえぎられ、ほとんど見えない。だが、もうダメかなと思った刹那、水平線のほんの少しうえあたり、雲と雲の間だ。不定形の太陽が、オレンジ色に輝き始めた。おっと!気合が入った。カメラのファインダーに目を押し付けた。そして、ほんの一瞬だった。不定形の太陽が、ほぼ水平線上で、黄色に閃光した。海も空も灯台も、おもいっきり、オレンジ色に染め上げられた。
 
その後は、時間が目に見えるようだった。少しずつ、少しずつ、かすかに、かすかに、光と色が消えていった。静寂。しかし、その静寂を破るように、西側の水平線上に、なぜか、濃いみかん色の帯が現れた。夕陽が落ちた後の、まさに<ブルーアワー>だった。念のため、東側の空の様子も見に行った。深い、濃い青だった。だが、好みとしては、西側の空だ。何枚か慎重に撮って、西側に戻った。ほんの数分にもかかわらず、空の様子が、かなり変化していた。暗くなり、みかん色の帯は、諧調しながら群青色になっていく。空の上の方へ吸い込まれていくようだった。
 
三脚を立てた。シャッタースピードを見て判断したのではない。あたりの暗さから、手持ちで撮るのはもう無理だ。自然に体が動いた。ファインダーを見て、構図を決めた。高い群青色の空に、オレンジの光をまとった、横一文字の雲が流れてきた。時間の経過とともに、その雲は、しだいに竜のような形になって、空に覆いかぶさった。しかし、それも一瞬だった。オレンジ色の竜がしだいに霧散していき、そのあとには、さらに暗くて深い群青色の空が広がっていた。
 
ほぼ、完全に陽は落ちて、<ブルーアワー>も終わった。暗い海に、船の明かりが小さく見える。みかん色の帯も、色が暗くなり、細くなった。灯台の目が、なおいっそう明るく光り出し、対岸の小島からも光が届く。神島灯台から光だ。そろそろ、引き上げ時だな。最後に、もう一度、ファイダ―をじっくり見た。画面左上に、二つ、三つ、小さく何か光っている。星、か?カメラから目を放して、夜空を見上げた。三つ、四つ、西の空に、星が光っていた。
 
真っ暗な石畳の道を、ヘッドランプで照らしながら、駐車場へ戻った。充実した心持だった。それに、全然寒くない。むしろ快適だった。途中、またしても、波の音が聞こえた。立ち止まって、耳をすませた。すぐ近くでザブ~ン、すると、こだますようにサブ~ン、サブ~ン、ザブ~ンと聞こえる。だが、その間にも、どこかザブ~ン、サブ~ン。さらにその間にも、今度は遠くの方でザブ~ン、ザブ~ン、ザブ~ン。これが、まさに<潮騒>だったのだ。恥ずかしながら、<潮騒>というものが、どういうものなのか、いまのいまに至るまで、存じ上げませんでした。
 
波の音を聞きわけられたので、さらに気分がよくなった。ふと、夜空を見上げた。いや、<ふと>じゃない。ネットで見た、伊良湖岬灯台の写真を思い出したのだ。背景に、天の川と無数の星が写っていた。伊良湖岬は、星空がきれいで有名なんだ。ほんとにそうなのか?夜空を見上げた。目を凝らした。いやというほど、たくさんの星が見えた。立ち止まって、しばらく眺めていた。真ん中へんで、光ってるのが北極星かな?また波の音が聞こえてきた。闇の中で、サブ~ン、サブ~ンと、こだましていた。

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