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ごみ袋パンパン試論

ごみ袋には、パンパンに内容物を詰め込まないと気が済まない。まずは大物を放り込んだうえであえて緩めに口を結わえ、そこに生ずる間隙から細々したごみを挿入する。パンパン欲を満たしたいがために、自宅にいくつか置いてあるごみ箱の中身をいそいそ合流させることもままある。贈答品の過剰包装を消費に先んじて捨ててしまうことも珍しくない。加えて内容物が散乱しないよう、鼻紙やら薬の個包装やらを使用済みのラップ、あるいはキッチンペーパーなどでくるむようなこともしばしばである。余剰スペースは可能な限り埋めてしまいたい。一般ごみの回収日は火曜と金曜だ。いずれとも実りあるものにしたい。

平素の暮らしぶりの記録が、記憶がパンパンに詰め込まれたごみ袋を町内の回収場所に持ち込む瞬間というのは、人生の節目を肌で感じる、あるいは日常生活にしおりを挟み込むうえで、たいへん重要な役割を果たす――大げさではなしに、そんなことを思う。裏を返せば、ごみ袋がそのポテンシャルを存分に発揮できていない状況は、そのまま自らの人生が極めて空疎なものであるとすら認識させる。容量が45リットルなら、45リットルなりの生活の痕跡を詰め込んでおきたい。ああ、この数日のうちに45リットル分の消費をしたんだな、それだけ経済を回したんだなというようなことを、きちんと見届けたうえで「中身のある日常」を回収業者の手に託したい。腐敗臭が懸念されるような場合を除いて、内容量は回収日に優先するのである。

ごみ袋の側に立ってみても、たとえば20リットルの余裕がある状態で回収場所に放り出されてしまう結末というのは、文字通り満たされないものがあるのではないか。考えてもみてほしい。人の都合で採掘された石油が、これまた人の都合で生じたごみの処分という使命を帯びて姿を変えたにもかかわらず、時として持てる能力の半分も振るうことさえ許されぬまま、パッカー車に飲み込まれるわけである。SDGsや持続可能性うんぬん以前に単純に気の毒だし、「驚異! 現代の奇跡! 4オクターブの声域の持ち主」などと謳われるシンガーが、1オクターブの範囲内での表現を余儀なくされているような感すらある。満たされぬごみ袋の置かれた状況を、稲葉浩志に置き換えてみたらどうだろう。多くのB'zファンは激怒するのではないか。

B'zに特段の思い入れがあるわけではないが、以上のような次第で僕はごみ袋にはなるだけ多くの内容物を詰め込みたい。課せられたミッションを完遂してもらった状態で送り出したい。こちらのポリシーが前面に出すぎた結果、エッジの立ったごみが袋を突き破ってしまうこともある。それでもなお、ごみ袋サイドからすれば本懐を果たせているというものではないだろうか。天寿をまっとうしたといえるのではないか。いや、そうに違いない。こうした行動の正当化もまた、自身の機嫌を取るうえで欠かすことのできないファクターなのである。

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