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ラバーカップ問題(Reprise)

大学時代、清廉潔白の無所属(ただサークルにも部活にも参加していないだけ)などと吹聴し、ろくに友人がいなかった僕は、365日欠かさず1000文字以上のブログを書くというミッションを自らに課していた。誰に期待されるわけでもなくリライトを繰り返し、やはり誰に期待されるはずもなくのちに非公開とした。とはいえ、現在の進路選択をするうえでそれなりの練習になったのは確かだ。そういう次第なので(どういう次第だ)、お蔵入りになった雑文を原文ママで再掲したい。以下、2010年9月20日の記事「ラバーカップ問題」(当時21歳)。いずれまたやる。

 トイレの詰まりを解消する夢のアイテム、ラバーカップ。小学校の頃には、存在自体がギャグでしかなかったアイテム、ラバーカップ。

 よくよく考えてみると、その通称については「スッポン」「ガッポン」など諸派入り乱れ、統一を見ることがなかったように思う。このままでは当のラバーカップも、困惑を禁じ得ないのではなかろうか。「結局どれが本当の自分なんだ…!」といった具合に。今こそ不必要に割拠するラバーカップの通称を、盛大にふるいに掛けるべきではなかろうか。

 さて、少なくとも僕の周囲においては、スッポン派とガッポン派が二大勢力を形成し、互いに譲らぬ姿勢を見せている。中には「ズッポン」や「バッフン」などという少数派も存在するようだが、今回はそれらたちあがれ日本のような何かの存在についてはことごとく度外視し、スッポンとガッポンの二者に焦点を絞りたい。

 では早速、遠慮なく言わせていただく。僕は、スッポンという響きにはラバーカップ使用時のダイナミズムが、微塵も表現されていないように思うのである。そう、何を隠そう僕はガッポン推進派の人間なのである。そもそも常日頃から精力増強とセットで語られる悲運の亀との紛らわしさゆえ、個人的にはスッポンなど、はなからガッポンの足元に及ぶものではないのだが、今回は無理やりにでもガッボンを推す理由づけをすることにする。

 思い出してみてほしい。ラバーカップを便器に突っ込んだ際の、強烈な食いつきを。とてもではないが、「スッ」などという気の抜けた音で表されるべきものでない。あの、ある種緊迫感すら漂わせた、持ち手を隔てて「ここはオレに任せて、お前は下がっておけ」とでも言いたげにその身ひしゃげさせる様は、何としても濁音を用いて形容する必要があるのである。そして、ラバーカップが便器をしっかり捉えた瞬間を最も的確に表す濁音こそ、「バッ」でも「ズッ」でもなく、「ガッ」なのである。

 水圧が変化する。排水管を封鎖していた堅牢な固体との死闘の末、再び便器と下水道は1本の線でつながれる。その瞬間、トイレを満たす「ポン」という心地良い響きは、まさにラバーカップの勝利の証明なのである。「ガッ」から「ポン」へ―濁音から半濁音へ向かう僅か4文字の単語は、ラバーカップの営みを確かに凝縮していると言えよう。

 「きのこたけのこ論争」なる先の見えない不毛な争いをする前に、明確に答えを出しておくべき問題がある。一度、皆さんの周りでもラバーカップの通称について、熱く論議を交わしてみてはいかがだろうか。

関根掃き溜め堂

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