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やっぱり、高校野球は特別だ。

私がnoteを書き始めたそもそものモチベーションは野球にあったのに、しばらく野球ネタを書いていなかった。

なぜかというと、コロナのせいで野球の試合が全然なかったから。

そして・・・ようやく、ようやく。
待ちに待った春のセンバツが2年ぶりに開幕した。

コロナ禍で様変わりしたニュースタイルの甲子園

入場者は1試合1万人までの全席指定。ブラスバンドによる生演奏じゃなく事前に録音した音源を球場内でスピーカーから流す、試合後の甲子園の土集め禁止など、制約は増えた。

だからこそ、シンプルで原点に戻ったような気がする、今回のセンバツ。

開幕日はたまたまテレワークだったので、昼食をとりながらテレビを付けた。つけるや否や響く応援歌、球場のざわめき、バットが放つ快音。やってるやってる。

大人レベルの体格とあどけなさが残る顔をした選手たちが真剣に白球を追う姿を見ていたら、なぜか涙が出てきた。

嬉し涙?うーん、ちょっと違う。でもなんかジーンときちゃったのだ。

誰がなんと言おうと、私にとってはやっぱり特別

昨年、春夏ともに甲子園が中止となった時、「高校野球だけが部活じゃない」「他の部活の子たちだってかわいそうだ」という話が出ていた。

確かにその通りだと思う。でもその時思った。「世間がなんと言おうと私にとって高校野球は特別だ」と。甲子園のない春夏を過ごしてつくづくそう感じたのだ。

昨年1年間、「高校野球を楽しむ」というパーツを人生から失って初めて、いかにそれが私の活力の源になっていたか痛感した。

桜の蕾が膨らみ始める頃になると「センバツいつからだっけ」と気になり出し、開幕日をググる3月。日々のYahoo!ニュースで流れる試合結果を横目に新年度への準備や息子たちの春の大会に備えバタバタする春。

暑さが増す7月。夏の甲子園行き切符を手に入れた学校がスポーツニュースを賑わせ始め、今年はここかぁ、初出場は?公立校も出てる?今年はこの子注目だね、なんて旦那や息子と話す夏の朝。

野球の話が出始めると止まらない。野球知識が豊富な旦那やそれに追随する長男から高校野球の雑学やら知らなかった細かいルールなどを教わり、へぇそうなんだとワクワクする、そんな日々。

そういう小さなことが私を勇気づけ、元気づけてくれていて、だから高校野球は私にとっては特別で、かけがえのない大切なものなのだ。

息子たちが大人になったら

今は息子たちが野球をする環境を整え、学業と両立する生活を支える毎日。実力や運はさておき、この子達が甲子園に行けたらなぁとやっぱり夢を見る。

それが本当に難しいことだと日々痛感している。
難しいかもしれない、いやほんと無理ゲーに近い。でも今は夢を見られることが幸せ。

こういう日々を経て息子たちが大人になり、私たち夫婦の手元から巣立ったら。

そしたら私は旦那と二人、春も夏も甲子園に行き、二人でビールを飲みながら若き獅子たちが躍動するグランドを一日中眺めていたい。

それが今の私のささやかな夢だ。

野球好きな母が日々感じたことを綴ってます。何かのお役に立てたら幸いです。