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問題を解くことしか習っていないから、問題を考えることができない

仕事で、政策研究や課題を考える場面が最近、多いのですが、
その時、中々研究テーマや課題が思いつかないんです。

これって、なんでなんだろうと考えていましたが、
なるほど、これは山口周さんが「ニュータイプの時代」で書かれていた典型的なオールドタイプの思考だったんだと気づかされました。

問題を解くのは得意なんだけど、問題を発見することは難しい。
チャットGPTなどのAIが爆誕した時代、なおさら、問題を解くのが得意なのは価値がない。
きっと普段何気なく過ごしていることの中に、問題はあるはずなんだけど、意識していないから見過ごしてしまっている。

地域では、人口減少が叫ばれており、何とかしたいという思いから、
「人口減少」を問題として、その解決策を考えたりして、
「移住」「関係人口増加」「子育て支援」などどいった解決策を提案して、それを実現するための方法を考える。
こういったアプローチが多いのではあるが、きっと、問題ってこんな短絡的には見つからないし、解決できない。
結局、問題ってなんだっけ?てなる。
むしろ問題なんてないんじゃないか、とさえ思えてくる。

最近、そんな思考をループしています。
これまでの教育では、問題が与えられて、それをいかに間違わずに解くかということをずっと行ってきました。
今の子どもを見ていても、方向性はあまり変わっていないとも感じます。
でも、これからは、自分が取り組みたいこと、興味があることをいかに突き詰められるか、その中でどうすれば自分の知識欲を満たせるかといった「偏愛」

偏愛という言葉を知ったきっかけの書籍

が必要だと思います。
また間違わないことに労力を費やすのではなく、変化の激しい時代なので、早く間違い、方向性を修正することを繰り返すことも重要です。

何か問題を発見しないといけない場面に直面し、
これを訓練の良い機会と思って思考したいと思います。

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