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神学生の創作絵本「カシアノさんのおくりもの」第一回(5回シリーズ)

ポーランドから来日し、おもに炊事場で働いたカシアノ修道士の物語

人生は一度きりです。
私たちは聖人になりましょう。
それも中途半端な聖人ではなく、
けがれなき聖母マリアの御助けによって、
神さまの最大の栄光となる偉大な聖人に……。
  ―マキシミリアノ・マリア・コルベ

カシアノさん2

「善い先生、永遠の命を受け継ぐために、わたしは何を
すればよいのでしょうか。」

ある一人のお金持ちの青年が、イエスさまの前に進み出ると、ひざまずいて尋ねました。
イエスさまはその青年の真剣なまなざしをじっと見つめ
て、彼の心の中を知ると言いました。

「本当に善いものは、天の御父から来るのだよ。君は先祖から伝えられてきた神の掟を知っているはずだね……だが、君には欠けているものが一つある。持っているものを全て売り払って、貧しい人々と分かち合いなさい。そのようにして天に富を積んでから、わたしについて来なさい。」
(マルコ10・17〜21、ルカ18・18〜22参考)

福音書に出てくるこの青年のように、すべての人の心には、言うに言われぬ「永遠の命」への憧れがあります。それは「神さま」への憧れと置き換えてもよいでしょう。と同時に、悲しいことですが、わたしたちはそうした憧れを持ちながらも、過ぎゆくこの地上の富にも愛着してしまうのです。そしてその富は、物質的なものばかりとは限りません。
わたしたちの心がみだりに執着してしまう、ありとあらゆる乱れた欲求は、霊的生活においてさえ、上手に姿を隠して、わたしたちにわがままを手放させないようにします。

イエスさまは、このわがままがご自分との一致のために、永遠の命の開花のために、大きな障害となっていることを、よくご存じなのです。

カシアノさん3

わたしは二六歳の時、それまで気が付かなかった「永遠の命」への憧れが、自分の存在の奥深くから湧き上がるのを感じていました。
一体、この得も言われぬ高揚した感情は、どこから来るのでしょう。
このような熱い想いは、今までどこに隠されていたのでしょう。わたしはいてもたってもいられなくなり、教会の主任司祭のところへ、わたしの心に起こっていることを相談しに行きました。

わたしは以前から、コルベ神父さまがポーランドで始められた雑誌『聖母の騎士』を読んでいて、貧しさの内にも喜びに満ちて、その生涯を聖母マリアさまを通して神さまに捧げている聖母の騎士の修道士たちの生活に、淡い憧れを抱いていました。

「わたしは聖母の騎士として、コンベンツアル聖フランシスコ修道会
に入会したいのです」。

主任司祭は、わたしの心からの願いを聴いてくださると、さっそくコルベ神父さまに手紙を書き、その三日後には、コルベ神父さまから返事が届きました。

「どうぞ、いらしてください。ふとんがあるなら持ってきてください。
なければそのままでもいいです」。

家に一人残ることになってしまう母は、それでも修道士になりたいという私の願いをこころよく受け入れ、わたしを送り出してくれました。
初めて修道院を訪れたとき、コルベ神父さまはまるで本当の父親のような愛情を持って、わたしを迎えてくださいました。

 (つづく)

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