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私があなたを選んだ-召命-アウシュビッツの聖者コルベ神父に憧れて

◇コンベンツアル聖フランシスコ修道会 N修道士

ある日、小さい子供が、おそらく両親から作ってもらったのか、買ってもらったのか、司祭のカズラを着用し、ミサの真似事をしているほほえましい動画を目にしました。

そういえば、自分も小さいころに司祭に憧れて、良く、シーツや毛布を掛けて神父様ごっこをしていました。小さいころから教会に行っていた、私にとって司祭はあこがれの職業の1つでした。でも、多くの子供がそうであったように、私も将来の夢は、沢山ありました。「大工」「消防隊」「自衛官」など。少しずつ成長するごとに、その希望が、「神父様」になっていきました。

小学3年生の時、衝撃的な事件がありました。教皇聖ヨハネ・パウロ世の日本への公式訪問です。調度、タイミングよく、私は母に「教会の中で1地番偉い人はいるの? 神父様、司教様の上に偉い人はいるの?」っと質問していました。トップ、責任者を当時の私は偉い人と認識していたようです。そして、母は「それは、教皇様だよ。ヨハネ・パウロ2世って言うんだよ」と教えてくれました。教皇様、ヨハネパウロ2世、初めて聞く言葉でした。それから数か月が経って実際に日本に来られたのです。そのころ、父の仕事の関係で、沖縄に住んでいたので、実際には、見ることが出来ませんでした。連日、ニュースやワイドショーで流れる教皇訪日のニュースに釘付けでした。教皇様が去って、1冊の本が目に留まりました。それは聖母の騎士誌の教皇訪日の特別増設版です。私は毎日、それを読み、写真を眺めていました。そのくらい、教皇様は当時の私を虜にした方でした。

小学5年生の時、学校で読書週間があり、私は、あまり読書が好きではなかったのですが、学校で本を読まなければならず、本を読み始めました。それまでは、いわゆる小学生用の字が大きく、絵の沢山ある本を読んでいたのですが、初めて文字の小さな本を手にしました。タイトルは女子パウロ会から出されている千葉茂樹さんが著された「マザーテレ
サこんにちは」です。その本を読み終えて、自分はマザーテレサのように生きてみたい。と思うようになりました。私の召命が1歩前に進み出した時でした。

同じころ、衝撃的な映画を見ました。同じ女子パウロ会監修の映画「コルベ神父の生涯 アウシュビッツの愛の奇跡」でした。衝撃でした。特に最後、ガヨビニチェックさんの身代わりとなり、餓死室で亡くなるシーンは今でも脳裏に焼き付いています。そのコルベ神父様が、長崎に創立した神学校がいまでもあることを知り、どうしてもそこで学びたいと強く願い、父と母に打ち上げ、そこに行くことになりました。そこで、衝撃的なことを父から聞かされていました。小さい頃からブラジルで働き「ブラジルのおいちゃん」と呼んでいた叔父が、実はコンベンツアル聖フランシスコ修道会の司祭で、ブラジルで宣教している事、そして、叔母がけがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会のシスターであったことを知りました。それまでは、「おばちゃん」としか呼んでいませんでした。そして、何より驚いたのが、自分の父親が、私が行きたいと思っていた、小神学校の卒業生だということでした。なんか、運命の糸で結ばれていたのかなと今になっては思います。

小学校6年生の冬、受験のため、初めて小神学校に行ったとき、コルベ小聖堂、コルベ神父様の日本の執務室、そして26聖人殉教者の碑を訪れた時、感動しました。でもその感動の理由が、教皇様が訪れた場所という理由が今でも不思議ですが、長崎を訪れると、その感動を思い出します。受験も無事に合格し、小神学校での日々を歩み始めました。

高校3年生の冬、受験のため上京しましたが、上智大学神学部に落ち、1年間、予備校に通っていたのですが、2月に入り、フイリピンでの養成の話がありました。その時は、とても驚きました。それまで前例がなく、予想もしてなかったので、頭の中が真っ白になったということを初めて経験しました。

フイリピンで2年の養成期を送り、修練前に、自分ではあまり感じていなかったのですが、精神的にうまくコントロールできなくなったようで、日本に戻り修練をすることになりました。

修練中に司祭ではなく修道士として、生きることを言われ、修練後は、関町修学院に戻ることなく、長崎で聖母の騎士学園で働くことになりました。

そして、福祉の勉強がしたくて、修学院から通うことが許され、その後、湯江の老人ホームに派遣されました。実は、この時も、ずっと司祭職への希望が、心の根底にあり、望んでいました。ある日、シスターの誓願式に、同じホームで入所している神父様の介助で他の職員と参加したときに、その誓願式の中で、ふと自分が会衆席にいる自分に、自分を居場所を強く感じ、自分が介助しながら誓願式にあずかっていることに大きな喜びを感じることが出来ました。そしてそれまで、あんなに司祭になりたいと思っていた思いが、すっとなくなっていくように感じました。不思議な体験ですが、その体験まで、終生誓願を終え5年も経過していました。それから、自分は修道士と生きていこうと心から思いました。

先輩の神父様から「自分は派遣されたら、ここで骨をうずめる覚悟でいる。でも、違う場所に行けと言われたらすぐに行く準備をしている」という言葉をいただきました。私は、そこまでだとは思えませんが、最初の召命のきっかけが、自分の内なる思いで始まり、その後、いろんな考えなどに流されたかもしれませんが、今、幸せに安心して自分の生き方として修道士との道を歩んでいると思います。これからも、神様の恵みの中で歩んでいけたらと思います。


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