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#アッシジ
聖フランシスコと味わう主日のみことば〈年間第16主日〉
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた(マルコ6・34)
自分とは違う他者を理解し、その人の苦しみや痛みに寄り添おうとするとき、わたしたちは往々にして、自分自身の限界に突き当たります。どれほど、相手を受け入れよう、相手の力になろうとしても、その思いだけではうまくいかないことが度々です。自分も同じように痛み、傷ついているので、それ
聖フランシスコと味わう主日のみことば〈年間第14主日〉
イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた(マルコ6・4)。
イエスと弟子たちの一行は、イエスの慣れ親しんだ〈故郷〉である、ナザレにやってきました。〈故郷〉とは、家族や親戚をはじめとして、大人に成長していく段階で、自分自身の人格形成に深く関わった、ありとあらゆる機会や経験が詰まった、わたしたちの〈アイデンティティー〉が育まれた場所です。人間イエスにと
聖フランシスコと味わう主日のみことば〈年間第12主日〉
イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった(マルコ4・39)。
風のない、穏やかな日、湖や池の水面がさざ波一つ立てず、まるで自然の大きな鏡のように周囲の景色をそのまま映し出すことがあります。そのような場面に遭遇したとき、その間だけ、何も混じり気の無い透明で澄み切った別次元の世界に居るかのような感覚になることはないでしょうか。この大自
聖フランシスコと味わう主日のみことば〈復活節第4主日〉
わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている(ヨハネ10・14)。
一匹の子羊を肩に担ぎ、羊の群れを導いて歩く〈羊飼い〉として描かれたイエスは、頼もしくも温かい救い主キリストの姿を彷彿とさせます。しかし、羊飼いは、当時のユダヤ社会ではさげすまれた職業でした。それは、牧草地を求めて巡り歩かなければならない彼らの生活スタイルでは、ユダヤ教の厳格な規則である律法を
聖フランシスコと味わう主日のみことば〈復活節第2主日・神のいつくしみの主日〉
戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた(ヨハネ20・26)。
わたしたち人間にとって、誰もが抱く、最もなじみ深い感情の一つは、〈恐れ〉ではないでしょうか。〈恐れ〉を抱くからこそ、わたしたちは不測の事態に対処でき、ある程度安全に身を守って生きていくことができると言えるかもしれません。
しかし、その〈恐れ〉は、度を超すと、わたした