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タクシーとチップ

新しい空気

ようやく、「コロナ後」と呼べるような世の中に差し掛かった気がする。
個人的見解の域は越えられないが、少なくとも、タクシー運転手がそんな入り口にいるのは確かだと思う。もう「回復しつつある」なんて言葉はもう不似合いな印象を覚える。

すべての仕事が失われて、一旦、かなりの人がタクシーから去って行った。少しずつ回復していく中、帰って来た人もたくさんいたけど、多くの人は戻らなかった。そして、回復が進むのに合わせて新しい戦力がタクシーに加わって、元々いた運転手も、進んだ世の中に合わせてスタイルを変えながら生活を維持しつつ、旧スタイルを頑なに変えない人などと共に、業界はいつの間にか再編成されていた。
誰かが画策したものではなく、自然とそうなった姿である。

とはいっても、「コロナ前」全てがなくなったわけではなく、もちろん、多くのものが引き継がれていて、見ようによっては、ほんの少し変化した程度とも受け取ることもできる。
ずっとタクシーを続けていた人の経験は、それだけでも通用するのは当たり前だし、新しくこの世界に入って来た人たちも、それまでの運転手が通って来た道を歩いて、同じような感情を浮かべて、同じような行動に至って、でそこには同じ世界があったりもする。
一旦リセットされたとはいえ、見えないケーブルによって、かなりのものが引き継がれているのもまた間違いのない現実である。

それぞれの人がそれぞれに感じることだとは思うけど、二十年この仕事を続けてきたぼくの肌には、「コロナ前」とは違った空気を感じる。同じように過ごしていたら取り残されてしまう、と。

今プチバブルなタクシー

そんな中タクシーは今、プチバブル。単純に、需要に供給が少し追いついていないってことなんだけど、なかなか稼ぎやすい。

長引いたものの、社会は回復し、人々は出勤する日が急速に増え、以前毎日見ていた通勤風景が戻って来た。一旦外に出れば移動もあるし、食事もするし、仕事が終わればその疲れを癒しに街に出たりとコミュニケーションを図ろうとするし、何よりも、そんなことがしやすい風潮になった。

その移動を手伝うタクシーは急に必要とされ出すのだけど、ポッカリと空いた穴がすぐさま都合よく埋まるわけもなく、少し運転手が足りない、というのが今の状態である。休日前とか月末とか、時折かなり困窮することもあって、帰宅困難な状態も垣間見えて、メディアも問題視したりするほどだ。


最終電車が到着直後の大崎駅に並ぶ人々

でも、みんなが言うほど大袈裟なものではないとぼくは思う。
確かに全体的には少し需要の方が多いし、時間や曜日などによってはかなり顕著に表れるけど、24時間そういう状態ではもちろんなくて、そういう部分的な困窮というか不便のために標準を合わせて改善を施すと、あっという間にタクシーは余りに余ってしまう。今は、そんな現状なのではないか。
そういう見地からみると、世の中は、少しの不満を大きなリスクと捉えるほどゆとりの世の中なのかもしれませんな。

ただまあ、大騒ぎするようなものではなけど、プチ忙しいには違いなくて、タクシー運転手は今、たいへん仕事がしやすい状態にある。「プチ」なんていうとちょっと不満を匂わすように聞こえるかもしれないけど、これが一番いい状態だと個人的には考えている。

タクシー料金値上げ

そのプチバブルの要因の一つとして、昨年十一月に行われた運賃改定もあげられる。この十年してきた小刻みな改定とは違い、今回のは実質的な大きな値上げである。日本人の低賃金などが問題視され出したことも手伝って、値上げ後の「乗り控え」などはほとんどなく、同じ仕事をしていたとしても、売り上げが単純に15%ほど上がった形となった。我々タクシー運転手側から見れば、なかなか絶妙なタイミングだったといえるだろう。

運輸局は、世の中の情勢や景気動向などを鑑み、利用者からもらうべき適正な料金の指針を示すが、今回、その改定が必要な時期であると判断した。

我々道路を使用し利益を得る事業者は、料金を設定し運輸局(国土交通大臣)より認可をもらう必要があるが、当局は「この料金で申請するなら審査の必要なく自動的に認可するよ」という自動認可運賃を発表してくれる。多くの事業者はそれに基づいて運賃を設定し申請する。
で、その自動認可運賃には少し幅があって、たとえば「初乗り1096mを470円から500円で」という具合に少しの幅が与えられているんだけど、ほとんどの事業者(法人も個人も)はその上限に設定し認可を得る。

ぼくはみんなとは足並みを揃えなかった。
別に、その上限料金が高すぎると言いたいわけではないし、その料金差を利用して自分だけガッポガッポ大儲けしよう、なんて腹でもない。今年施行される「インボイス制度」に対応するのにそうした方が都合よかったからなんだけど、まあ、ぼく一人が足並みを揃えなかったからといって社会への影響なんて一ミリもないし、「まあ別に問題ないだろう」と思ったからだけど、初乗り470円、それ以降、271mずつ100円(多くの事業者は255m100円)と下限に設定した。ちょっとだけ、安い。


外部に向けた料金案内はココだけ


ちょっとだけだけど、安いと、仕事がすごくしやすくて、それは、やってみて初めてわかったことだった。

お客さんからも運転手からも、「それでお客さん増える?」「選ばれたりするの?」とかよく聞かれるが、どちらもネガティブで、基本的にタクシーの仕事は、タクシー乗り場でも、流し営業をしていても出会い頭なものだから、お客さんは乗ってみて初めて「安いタクシーに乗った」と気づく。だから、それによって売り上げが増えるようなことは、ほぼなくて、多少、順番を待っていてくれる人や飛び越える人もいるにはいるけども、タクシーって、一人が一組の相手をする仕事だから、その間に別の仕事はできなくて、だから、売り上げを伸ばすための低価格設定はあまり意味を得にくい。まして今はプチバブルでお客さんはつきやすいし。

しかし、ぼくにとっては「インボイス制度」施行への対応にあたって意味は大いにあることだったし、そう料金設定し実行してみたところ、たいへん仕事がしやすくて驚いた。

タクシーに乗る時にお客さんは「遠回りされるんじゃないか」と心配するものだけど、運転手だって、「そう思われてるんじゃないか」とは常に頭にあるもので、だけど今回、表面的にはあまり意味のない低料金設定をしたことで、そうした心配をせずに仕事に当たれている。

気分よく仕事ができるということは、間接的、副次的に仕事の効率はよくなるもので、まあ数字には表せられないけど、けっこう得しているはずだと思われる。意味のないことが意味を生んだみたいで、かなり得した気分。

端数とお釣りと、チップ

ただ、ちょっとした不便も生じることに。
みんな(東京23区、武蔵野市、三鷹市では)は、初乗り500円、以降100円ずつ加算されるので10円単位の端数が発生せず、対するぼくは、初乗り470円、以降100円ずつ加算されるため常に70円という端数が出てしまう。
キャッシュレスが進んだとはいえ、まだまだ現金での支払いはあって、その度に30円のお釣りがあるのは双方に手間が増えてしまう。みんなはスッキリとピッタリの料金なのに対して、違和感も浮かぶ。

個人営業なので小銭の用意も面倒で、だから会計の時「こまかいのはお持ちですか?」なんて声掛けしたり、そのような張り紙を用意しようかと思ったが、何か、チップを促しているように思われたら……とか気になる。実際、そう声掛けすると「いいよ、いいよ」なんてこともあって、これでは、せっかく意味のない低料金設定にしたというのに、意味がついてしまう。意味がないことで「得」が生まれたってのに。

副次的に生まれた「仕事がしやすい」というありがたい得(徳ではない)を維持するために、現金で支払いそうな気配がしたら、先回りしてお釣りを数えだす小芝居をしたり、「いいよ」と言われても「せっかく安くしたんですから」なんて強引に渡すポーズを取る始末。
別にいい子ちゃんぶるわけではなく、純粋に「仕事のしやすさ」の体裁が欲しいだけなんだけど、結局チップとして受け取ることも多いし、なんか自分でも白々しく思えちゃって、もう何が何だかわからないことに。別にお客さんは深く考えてやしないってのに、自意識過剰で嫌になる。

まあ、これも「コロナ後」の特徴として受け止めることにしようか。他の人には当てはまらないけど。

チップについて、昔と今

日本ではチップという考え方がほぼない中、何故かタクシーには少しあって、「お釣りはいいよ」とか「お茶でも飲んでね」なんてことがちょくちょくある。たまにチップとは呼べないくらい高額な心づけもあったりもするし、他の職業と比べてすごく恵まれている。
何よりも、たとえ10円だろうが20円だろうが気に入らなければ余分なお金を払うなんてないだろうし、少なくとも「不満には思っていなかったな」という判断ができて、SNSなどでされる「いいね」を有償でもらったような気分を得られるのは非常にありがたいことだ。

今はキャッシュレス化が進んで、余分に手間をかけてチップを渡そう、なんて人は今後どんどんいなくなるはずだけど、今まで何となくお釣りをもらいづらくてチップとして置いていた人も少なくなかったはず。そんな人にとって、新しい時代が暮らしやすくなった一つのいいサンプルで、そんなふうな積み重ねが「コロナ後」をポジティブに誘ってくれるはずだ。

今回の非常事態では多くのものが淘汰されて、かなりの無駄が省かれるに至った。そんな会話は、ぼくの乗るタクシーの後部座席でも口々に聞こえてくる。よいか悪いかは別にしても、それによって作られた世の中に合わせて我々は生きていくしかない。

ただ、冒頭に記したように多くのものが引き継がれ残っているのも事実だし、消えたはずなのに同じ状況が生まれたりもするが現実である。
……なんというか、そんなものをタクシー運転手へのチップなんて小さなことに当てはめるなよ、とは言われそうだけども、仕事の対価として余分にお金をもらえるのはすごくうれしいことで、余分な仕事をしようとするのはとても大切なことではないだろうか。

最後に、「コロナ前」にいただいたチップの思い出を一つ、その時に書いたフェイスブックよりコーピーしてペタっと貼り付けて、今回の演説を終わりにしたいと思います。ある年のハロウィンの夜のことで、こんなタイトルを付けておりました。

まあ、まあ時代は変わっても、「うれしさ」というようなものは自然と心に引き継がれているものだし、うまく調合して新時代の仕事に精進してまいりたいと思います。でも当面は、どうしたら端数30円のチップに正々堂々と手を伸ばすに足る理由を自分に言い聞かせられるか、を考え出さなければ。



マイ ロンリー プチハロウィーン

年々過激さの増すこの催し物には大反対だ。

……けど、「出来もしないくせに」とかいわれるのも心外だ。

なので、なにかしてみようか、と思った。

……のだけど、今月は暇で、あまり休まず仕事をしていたので月末の今日は疲労がたまっていて元気がなくて、だから大きな街でウカレモノとかかわるのはちょっとしんどい……

よって、近場で、ちょっとだけその催し物に参加できればいいかな、と思い、家の者のファッションカツラを片手に家を出た。夜の10時半ころのことだった。

いつもの大崎駅タクシー乗り場で2回。ノーカツラで仕事したのは、いきなり浮かれ気分で運転するのは危険だと判断したからだ。乗り場にいる顔見知りといつもどおりの会話をして平静さをしっかりと呼び起こしてから、カツラをセット。五反田へ。まあ、ちょっとしたプチ変装なんだから、まあ、なんてことないだろう。

しかし、走り出してから、いろいろな障害が思い浮かんできた。

……これは、中途半端だった。

浮かれた街に行って、浮かれた格好をするのは、何も恥ずかしいことなんてない。むしろ楽しい。……けど、中途半端な街で中途半端な格好をしているというのは……、もしかしたら「素(す)なのではないか?」と思われてしまう危険性だってある。しかも、タクシーの中は密室で、1対1の場所なので、もし、何も言ってくれなかったら……

で、ちょっと怖くなってカツラを外したのだけど、そしたらすぐにお客さん。

田園調布までだった。道すがら、助手席に放られてあるカツラが目に入る度に、自分の勇気のなさが恥ずかしくなって、お客さんを降ろしたあと、再び装着。住宅街の片隅で、鏡をよぉーく見てチェック。しっかりと似合っていることを確認。でいざ、また五反田へ。

この写真は去年のだけど、その時と同じカツラ

中原街道を行きながら、道すがら、「男児たるもの、一度決めたことをそう簡単に曲げてはならない!」なんてことを考えながら、でも、人けのない土曜日の街道を、五反田までの猶予期間を呑気な気分で走った。

環七の少し手前で信号待ちをしていると、横断歩道をカップルが。

推定50歳男と35歳女で、こんな場所なのに正装というか余所行きの服装をしていて、何か、不倫のにおい漂う雰囲気だった。

ぼんやりとその不倫カップルを眺めていると、横断歩道を渡りきった二人は踵を返し、道路に居直り、別れの挨拶っぽい仕草をする。……まさか、と思う間もなく信号が青に。このシチュエーションは、ちょっと中途半端過ぎる!

通り過ぎようと進むぼく、手をあげてそれを呼び止める二人。

ドアのピラーで自分を隠すように車を止めて、「じゃあまたね~」という女の人だけを乗せ、ドアを閉める。もう女の運転手になりすまそうか……なんてことが頭に浮かんで、普段、必ず挨拶はするのだけど、黙っていた。

「近くなの。ごめんなさい」

という女の人、黙って前を向いたまま、ただ頷いた。

「そこの路地を左に入って、あとはしばらぁーく真っ直ぐです」

今度は「はい」と言ってしまった。

で今度は、ただの髪の長い男になりすまそうか……なんて考えた。

まあ、近いんだろうし、このまま黙っていれば着いてしまうだろう、とか思っていると……

「わぁ~。コーヒーのいい香りぃ~」なんて言ってきた。なにか、遠まわしだけど、運転手に興味を覚えたような雰囲気だった。

「さっき買ったばっかりだったんで、すいません」とぼく。

「いいの。いいの。いい匂いなんだからぁ」と推定35歳の女の人。

再び沈黙……。でも、「………あの、運転手さん」と女の人。

「……ハイ」と小さい声でなるべく話が膨らまないように促すが……

「髪……長いですね」と。

「そうなんですよぉ~」とけむに巻こうとするが……

女の人は、ちょっと間を空けて……

「……てか、あの、ハロ……ウィーン?」という。

「……そうなんですよぉ~」とは答えたが、……何を言ってんだオレは。

でも幸いに、女の人はウケてくれて、車内に ホッ という空気が一気に充満。

「ただの髪の長い運転手で通そうかと思ったんだけど」「ムリじゃねっ」なんていうフランクな会話に進み、あっというまに目的地に。

「あっ。一万円しかない! カードでもいい?」と女の人。「いい、いい。一万円の方がいい」とぼくは答えて、「まず九千円ね」とお札を手渡した。

「もういい。お釣りは。とっといて下さい」と女の人。「そぉんな。気を使わなくていいですよ」と小銭を数えるが、女の人は「いい、いい。ホントに!」というので、「すいません。ありがとうございます」とありがたくいただいた。

「忘れ物ありませんようにね」と声をかけると、ドアの外からもう一度車内を覗き込み。そして、ぼくの顔をじぃ~と覗き込む女の人。

笑顔で答えるぼくに、女の人は、「あのぉ……、これ……コーヒーでも飲んで下さい」と千円札を一枚トレーに置いた。真顔のようで、含み笑いを浮かべたようで、なんともいえない顔をしていたが、何か、「幸せな顔」に見えた。

ぼくは、「いや、あの……すみません」と頭を下げて、ありがたく頂戴した。

ぼくの中途半端な変装が、その女の人に幸せな一瞬間を与えることができたのかどうかはわからない。が、少なくとも、ぼくにはとてもいい思い出になった一瞬間だった。

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