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「法的にどうなの?」ってどうなの?

恵比寿で

 まだ宵の口、男はすっかり酔っぱらっていた。恵比寿でのこと。
恵比寿という街はこの十年くらいで随分と威張り腐った顔になった印象があるんだけど、昔はもうちょっと控えめな性格だったように思う。渋谷で遊ぶのもあれだし青山や六本木でってのもの何だから「恵比寿でもいい?」ってふうな感じで、何というか、リラックスできるところだった。それが二十年くらい前に恵比寿ブランドみたいなものが発生して、それがどんどん成長し、今や「わざわざ恵比寿で」というような街になってしまった。

 まあ、他の街に比べればおとなし目の人が多いようだけど、何かどこか、そこに集まる人に自信みたいなものを感じてしまうので、昔はよく好んで仕事をしに行った街だったんだけど、最近はちょっと敬遠している。そんな恵比寿までお客さんを運び、急いで立ち去ろうと思った矢先だった。十四、五人ぐらいの会社員風グループに行く手を阻まれた。まあ、お客さんなわけだけど、お客さんを拾いたくないときに限ってお客さんを拾ってしまうことが多いと思うけども、気のせいだろうか……

こんなの前はなかった

 飲み会の一次会終わりって感じで、若い二、三人の男の社員が道路に飛び出してタクシーを止めて、酔いつぶれた人を力自慢のガタイのいい男が担ぎ、その人の荷物らしいものを持った女子社員が続き、その後ろに部長って感じのずんぐりとした頭髪の薄い五十代後半くらいのエラそうにかまえた人が「ちゃんと帰るんだぞ」とかエラそうに言っている。もうハンコで押したように同じケースを、ぼくたちタクシーは何度も何度も目にするが、まさにそのまんまの映像だった。

 酔いつぶれていたのは、実直なメガネをした、仕事に厳しい鬼係長って感じの四十歳代後半くらいの人で、痩せていて、髪はオールバックでオデコが広くて、イッセー尾形に似ていて、ちょっと冗談の通じなさそうなタイプに見えた。同僚たちは、厄介者をとっととタクシーに任せて早く次の店に行きたいって感じで、ドアを勝手に閉めて踵を返す。普段だったら呼び止めて、誰かに同乗してもらうか泥酔者は乗せられないことを促すんだけど、普段あまり営業しない場所だったので、引け目が感じられて、だから言葉がすぐに出てこなくて、ぐったりとシートに沈む尾形係長を素直に受け入れてしまった。
 尾形係長は「平井駅だ」と威張った感じで言う。総武線の平井駅でいいかと聞くと「そうだ。決まってるだろう」と尚も上から。そうとう酔っぱらっているようだったけど、でも理性を保とうという気持ちがその口調を強いているようにも感じられた。寝込まれても大丈夫なように「ご住所をナビにいれますよ」と言ったんだけど、「駅でいい! いつもそれでちゃんと帰れてるから大丈夫だ」と信ぴょう性のある言葉をもらったので、あとはコースの確認なんかせず、もう勝手に首都高に乗って錦糸町で降りて総武線の平井駅に向うルートを取ることにした。とにかく、早く終わらせたかったから。
 尾形係長はすぐに黙りこみ、寝ているようだった。降りるときに苦労はするのはしょうがないと覚悟はして、吐く様子もなかったし、せめて静かな道中は好きなようにしようと気に入った音楽をかけコーヒーをすすりながら優雅に走った。

平井駅で

 平井駅が目視で確認できるところで車を止め、声を掛けた。すぐには起きなかったけど、わりと早く覚醒してくれて、支払いを済ます。しかし、言葉はしっかりとしているわりに、体が言うことを聞かないって感じで、なかなか足を外に出せない。この人は精神力と体力がアンバランスな酔っ払いだった。黙って降りるのを待っていると、フンっと掛け声とともにつんのめるようにダダっと外に出て、2メートルほど先のビルに突進、頭突きを食らわせた。で、くるっとこちら側に向き返り、座り込んだ。けっこうな勢いで突っ込んでいたし、まあ放っておくのもあれだから、さっき受け取った料金をゆっくりと片付けて、「まったくもう、面倒くせぇーなぁ」なんて言いながら腰を上げ、外に出た。

 すると、尾形係長の顔面は真っ赤っ赤。赤面ってことじゃなくて流血。広い額から頬にかけてスイカの黒い部分のように血が模様を作っている。「大丈夫ですか!」と駆け寄ると、「血だろ。こんなの平気だ。心配するな」とあくまでも命令口調。「すぐ救急車呼びますから」と言って車に戻って119番。場所を伝え、すぐに向かってくれるという。

 尾形係長は座り込んだまま立てなかったけど、「救急車なんていらない」「帰るぞ」といっていて、でも立ち上がることすらできない。でもそれはケガによるものじゃなくて酔っ払ってるからに違いなかった。確かに出血の量はなかなかだったけど、それとて酒による血行の問題なように思えたし、何より、緊迫性というかそんなものが少しも湧いてこず、実際に深刻なケガではなかったんだけど……で不謹慎だけど、正直、笑けてきて困った。

 何か血を拭くものを、とトランクを探るとまだ袋に入ったままの新品のタオルがあったので、尾形係長に手渡した。手渡すとき「その前に写真撮りてぇー」という衝動が起こり、一旦ひっこめた。尾形係長は手を出したのに空振り。「えっ、なんで……」というみじめな顔を向けたので、あわてて、一度空振りに終わった尾形係長のその手に直接タオルを握らせた。額を拭う尾形係長。血はすぐにまた滲んで再度顔面を覆うものの、流れ出すような流血ではなく、ますます写真に収めたく思うも、通行人はそこそこいるし、何を言われるかわかったもんじゃないから我慢した。

 ケイタイが鳴った。取ると、サイレンのバックミュージックのかかった救急隊員の落ち着いた声が詳しい場所を尋ねる。で説明し、五分後くらいに着くことを確認して、ひとまず一安心……と思ったが、よく考えりゃタクシーの脇に人が血を流して座り込んでいて、その運転手らしき男が救急車の手配をしているという状況があらためて掴めてきて、ある不安が心に浮かんできた。ぼくが、「この人が勝手につんのめってビルに頭突きして流血した」なんて言ったところで救急隊の人は信用してくれるんだろうか、と。
 通行人はそれほど多くはなかったけど少しいて、誰も話しかけてきた人はいなかったけど、みんなぼくが加害者だと思ってるに違いない。ぼく自身この状況を傍から見ていたらそれ以外は思い当たらないだろう。隙があったら写真を撮ろうという気持ちは常にあったけども、何とも居心地が悪く、尾形係長への心配ではなく、自分への心配で、救急車が超待ち遠しかった。

 救急車が到着し、救急隊に状況をありのままに報告した。尾形係長はそれほど心配ない様子だったが、一応病院へ行くことになった。救急隊の方は一応ぼくの話を信用してくれたようだったが、「一応、電話番号を」といわれ、もし事件性があったら警察から電話がいくかもというようなことを説明した。
 ぼくはもちろん後ろめたいことなんか少しもないから堂々としていたんだけど、落ち着いているからこそ余計なことも考えてしまうもので、もし疑われていろいろなことを質問されたとしたら、ちゃんと受け答えできるだろうか……挙動不審にならないように気にするあまり挙動不審な態度を取らずにおれるだろうか、と超心配になった。
 まあでも、尾形係長も酔っ払いながらも精神力はたいしたもので、ぼくと同じことを説明したようで、なんの疑いもかからなかった。……ただ、安心すると、こっそりとバレないようにそっぽを向いて撮った何枚かの写真が、どれも尾形係長を捉えてくれていなかったのは、残念で仕方なかった。

 その後、「ちょっと事情を聴きたいんだけど」という連絡が警察から……来ることもなく、もちろん何事も起こらなかったんだけども、もし疑いをかけられて、で疑われた時の心配をし過ぎてうまく返答できなくて、そして尾形係長も「酔っ払っててよく覚えてない」なんて曖昧なことを言ったとして、でもって、「あなたが一番あやしい」なんてことを決めつけ口調で言われたら、ぼくはちゃんと冷静に弁解できただろうか……いや、冷静ではなく、感情的にありのままをぶっつければ事実は話しやすいけども、冷静だと余計なことを頭に浮かべてしまうもので、ぼくはそういう人間なので、だからかえって何を言い出すかわからない。もしも、いわれのない罪で何年も牢屋に入るようなことになったとしたら……とか考えると、もう恐ろしくて縮み上がってしまう。

 法律というものは、ぼくたちを守ってくれると決まったものではなくて、一度決まってしまったら、それに沿わなければならないという種類の、考えてみれば恐ろしい決め事だ。
 人はみな、簡単に「法的にはどうなの?」なんて、あたかも「法律的に正しければそれでいい」みたいなことを言うけども、それは果たして……どうなのだろうか。

 

道路運送法 第一条 〈目的〉


この法律は、貨物自動車運送事業法と相まって、道路運送事業の分野における利用者の需要の多様化及び高度化に対応したサービスの円滑かつ確実な提供を促進することにより、輸送の安全を確保し、道路運送の利用者の利益の保護及びその利便の増進を図るとともに、道路運送の総合的な発達を図り、もって公共の福祉を増進することを目的とする。

 
 ぼくたちタクシー運転手は、主にこの道路運送法という法律の下管理されているという感じで、……てか「感じで」なんてことをいったらすごく怒られるってくらいに縛られていて、だからもちろん、タクシー運転手たちは、好き勝手な仕事をしてるってわけではない。
 左に書いた第一条〈目的〉に始まり、〈定義〉やら〈条件〉やら〈罰則〉なんかが定められているわけだけど、個人タクシーになるときに、こうした法令は一通り勉強して、ちゃんとわかっているかどうかを一応試験を受けて確かめられて、で、ようやく開業できるわけで、まあ一応、一通り頭の中を通り過ぎてはいる。そんな程度だから、日々の仕事にあまり関係のない項目は忘れてしまって、しょうがないことだけど、もし何かその法律に触れてしまったりしていたら、咎めを受けなければならない。

 でも、日々の仕事でどうしてもかかわりを避けられないことについては、その都度反芻するから決して忘れなくて、たとえば、お客さんを「乗せる」「乗せない」に関することなんかは単純だけど重要な事柄なので、ぼくはたえず気にしている。
 まあ基本的には、道路を利用する公共の乗り物として、お客さんを選ぶような「乗せない」はあり得ないんだけど、でも、「こういう場合は拒否することができるよ」ということが、道路運送法第十三条〈運送の引き受け義務〉というものに明記されている。
 
一、     当該運送の申し込みが許可を受けた運送約款によらないものであるとき。
二、     当該運送に適する設備がないとき。
三、     当該運送に申込者から特別な負担を求められたとき。
四、     当該運送が法令の規定又は公の秩序若しくは善良の風俗に反するものであるとき。
五、     天災その他やむ得ない事由による運送の支障があるとき。
六、     前各号に掲げる場合のほか、国土交通省令で定める正当な事由があるとき。
 
 まあ、ザックリとした文言なんだけど、他の法律やら国土交通省令やら担当する地方運輸局の決め事やら通達、運送約款なんかを絡めて、「アウトかセーフか」なんて身勝手な考えを起こさせないようになっている。運転手に対しても、お客さんに対しても。

 タクシーを営む事業者は運送約款を設定して許可を受けなければならないが、個人タクシーはたいてい国土交通省の決めた「標準運送約款」というものをそのまま利用していて、その中にも運送の「引き受け」「継続」の拒絶ができることが書かれていているが、「旅客が行き先を明瞭に告げられないほど又は人の助けなくしては歩行が困難なほど泥酔しているとき」などもある。尾形係長はここに触れているので拒絶することは可能だったが、「乗せてはいけない」という決め事もまたない。双方にとって法律がちゃんと守ってくれている。というか、当局が都合のいいように判断できるようになっている……とも考えられる。法律とは本当に全てにおいて正義なのだろうか。
 
 でも仕事の現場では、法律が立ち入れないところで制裁が下ることも多く、その反面、バレなければ、咎めを恐れる必要だってないってこともまた事実で、良心とか責任とか、または成り行きで仕方なく……なんてことで「運送の引き受け義務」は、果たされたり拒絶したりされているのが実際のところだ。

祐天寺駅付近で

 東急東横線の祐天寺駅のすぐ近くだった。
その時も恵比寿から乗せたお客さんを運んだすぐあとだった。すごく忙しい夜で、しかも終電の時間という一日のうちでも一番空車タクシーが巷に困窮するときで、でそんなときに恵比寿から祐天寺という決して割得とはいえない仕事のあとだったし、こういう郊外の駅ではすぐ近くまでのお客さんばっかりなのが普通だし、そしてそれが連鎖して、その日の売り上げが台無しになってしまうパターンになってしまう懸念がある。だから急いで都心へ、もしくはホームグラウンドへ、とか考えるのがタクシー運転手の通常の思考だ。

 祐天寺の駅は小さなロータリーがあってタクシー乗り場もちゃんとあるが、こんな忙しい夜は、いつもいるはずのタクシーが出払っちゃってて、だから一台もいなかった。でも幸い待っているお客さんもいなかったから、いち早く立ち去ろうと幹線道路(駒沢通り)に向かってロータリーから左に曲がった、ら! そこには二十歳前後の金髪の兄ちゃん二人が、まさしくタクシーを探していて、「おっ やっと来た!」って感じで手を広げて道を塞ぐ。もうとっさだったから、「逃げちゃお」とか頭に浮かび、こういうときぼくは、一旦止まるフリをして安心させてから逃げるようにしている。だって、逃げようとすると人は無理やり止めようとするし恐いから。でスピードをゆるめ、安心させたと思った瞬間に逃げようとスピードを上げると、金髪の兄ちゃんはまだ若いからぼくよりも反応が早くて、すぐに逃げようとしたのがバレたみたいで、通り過ぎる瞬間に車を蹴りやがった。

 もう条件反射で車を止めて、外に飛び出した。思うに任せて怒鳴って、勢いに任せて一通り怒ってから、車を蹴ったことを責めて、で車に何も傷がついてないかこれ見よがしに確認してから、落ち着いて、誤るように促した。意外にも蹴った兄ちゃんは素直に謝った。二人は先輩と後輩みたいで、蹴った方の兄ちゃんは後輩でぼくの正面で対峙していたが、先輩の方は、少し離れたところにいた。まあ、蹴ってないから。

 蹴った方の兄ちゃんが、「運転手さんの大切な車を蹴ったのは悪かったです。すいませんでした。でも運転手さんが行ってしまおうするから……」なんて言うから、「何言ってんだよ。少し先に止めないと危ないからだろっ」とかずるいことを言って、「もうそんなことすんじゃねぇぞ」と車に乗り込もうとしたんだけど、その時、蹴った方の兄ちゃんが、「……乗せてってくださいよ」と言う。先輩の方がここですかさず「お願いしますよ」と。

 ぼくは思わぬ展開に「もうこんなことになったら無理だろう」とわけのわからないことをいってごまかそうとするも、「さっきは乗せてくれるつもりだったって言ったじゃないっすか。タクシー来ないんですよ。お願いしますよ」と。先輩の方も「コイツはすぐカッとなってしまうけど真面目なヤツなんすよ。さっきのことはちゃんともう一度謝らせますから。何とか」と。
 もう断るのが困難になって、乗せたくなかったんだけど、顎を振って、「乗りなよ」と合図した。二人は「ありがとうございます」と乗り込んだ。

 さて困った。もうすっかり落ち着いているけど「すぐカッとなってしまうけど真面目なヤツなんですよ」とはぼくの方のことで、ぼくはどんな時だってお客さんにエラそうな態度なんて取りたくない。でも今更お客さんと運転手の関係になれっつったって、そんなのは無理だ。急に態度を変えるなんてカッコ悪くてできないし。タダで乗せるか……。でもお金を貰わないのは法律違反だし、もちろん乗せるからにはお金は貰いたいし。でもお金を貰うんならちゃんとお客さんとして接しなくちゃならないし。メーターはしっかりと入れたは入れたけども、お金を貰わないという選択肢しかぼくには残らなかった。

 行き先はわりと近くだったからホッとした。道中、「もうあんなことすんなよなー」なんていうと後輩の方は照れ臭そうに、「全然、あんなことするつもりじゃなかったんすよ、すんません」なんて言って、先輩の方は「オレたち沖縄から出てきたんすけど……」なんて身の上話を始めて、でぼくは「へぇ、そうなの。沖縄のヤツは根性があるからな」なんて悪ぶったことを言ったりして、短い道中だったけど兄貴風を吹かせた。
 気分がいいかっていうと全然そんなことはなくて、いっそのことヘコヘコと媚びをうって対応していた方がよっぽど性に合っていて楽だったんだけど、成り行き上しょうがない。

 料金は千円ちょっとだった。「金はいいよ。降りなよ」と舘ひろし風にいったけど、したくない仕事をしてお金までもらわないなんて……。小僧らは「ホントっすか。ありがとーございまーす」なんて遠慮もないし……、でも「いえちゃんと払います」なんて言われたって、「そうかぁ、じゃあ」なんてとても言えるわけもないし。何とも複雑な時間を過ごさねばならなかった。「逃げちゃお」なんて気を起こさなければ何てことなかったのに。

 法律では、「ありがとうございました」と言わなければならないなんてことは書かれていないが、良心はそれを許さないし、自分で招いてしまっているという成り行きには従わなければならない。「お金を貰わない」という法律違反をしてでも、「ありがとうございました」と言えない事情は、法として情状酌量なんてしてくれないだろう。法律なんてものがなくたって世の中は……というか世の理は、ちゃんと被害者に仕返しをさせるようにできているようなところもありますよ。
 
 法律は、万人に平等で、だからズルい人にも要領の悪い人にも分け隔てなく通用するもので、だから、善良な人が損をするようなことだって往々にしてある。天候の悪い日や電車が止まったり、年末や期末の金曜日とか、タクシーの供給が需要に対して大幅に少ないときなど、真面目な利用者はタクシー乗り場でひたすら待っているんだけども、そんなとこでバカ正直に待ってたってタクシーなんて来やしない。だって考えてみて下さい、そこに向かうタクシーがいても途中で拾われちゃうんだから。拾わなきゃ乗車拒否ですよ。

 でも、法律を守らないタクシーはちゃんといて、回送(偽装)表示にしたりして、途中で手をあげる利用者を振り切ってタクシー乗り場に駆けつける。でもそれは、乗り場で待っている人がいることを知っているからで、正直な利用者を気の毒に思うやさしい気持ちからくる法律違反だ。まあ、どうしてもそこからでしか仕事をしたくないって人もいるにはいるけども、でもそれでも、タクシー乗り場に並ぶ人たちは、少しずつでもタクシーに乗ることができるのだ。途中、乗車拒否された人が「違反だ」と訴えれば、法的に悪いのは乗せなかった運転手ってことになってしまうんだけども、法的に正しければそれでいいってものでもない一つの例ではないか、とは思いませんか?

 

レジスタンスs

 でもやっぱり、「法的にどうなの?」って言葉はやっぱり必要で、特にぼくたちの仕事は車の中という密室で執り行われているわけだから、法の存在がそこに及んでいるという現実を当人同士が認識しているからこそ、争いごとは未然に回避できているって見方もある。みんなが「法律だから仕方ないな」と思えばこそ、密室でも秩序は保たれる。

 とはいっても、毎日毎日何組ものお客さんを乗せたりしていると、たまにお客さんの心無い行動に一言いってやりたくなくことだってないことはない。ぼくはそんなとき、法の及ばないところで仕返しをして、泣き寝入りをしないようにしている。たとえば、挑戦的に一万円札での支払いをされたとか。
 うちでは時々小さな千円札が出来上がってしまうんだけど、それはぼくがワイシャツのポケットにお金を入れたまま洗濯機に直接入れてしまうことがあるからで、まあ、決して意図的に作り出すわけじゃないんだけど、洗うと縮むみたいで、一回り(3、4ミリ)小さくなった千円札は定期的に製造されてしまう。自分で使うのはちょっとヤダから、小さな仕返しとして、意地悪なお客さんにはお釣りとして混ぜてお渡しするようにしている。まあ小さな仕返しっつーか、ぼくなりのレジスタンスとして。

 ぼくは別に少額の料金に一万円札を出されたからってお釣りはそれなりに用意するのが普通だと思っているし、やむ得ない場合がほとんどだし、誰にでもそうするわけではない。でも、少額なのに、さも当たり前に一万円札で支払いをする人って感じの悪い人が多くって、そんな人に意見なんてしたら余計嫌な思いをさせられるのは請け合いだから、見えない仕返しをして、ほくそ笑むようにしているのだ。

 あと、憎らしいお客さんがカードで支払いをするときなんかは、サインを貰うときのボールペンがぼくのレジスタンス活動の友(武器)となる。そのボールペンは、持つところの滑り止めのラバーが少しはがれ取っちゃって、少し突起ができて、握るときに少しチクッとするんだけど、そのボールペンでサインをしてもらう。まあ、傷つくようなことは全然ないし、わざわざ作ったものではないから、法に触れることだって絶対にないと思う。たとえほくそ笑んだのバレたってチクっとする程度なんだから、きっと無罪。

 あと、これはシチュエーションが整わなければ出来なくて滅多にはできないんだけど、まあその最中に突然の閃きで思いついたレジスタンスで、時々することがある。
 そのシチュエーションとは、一万円札で支払いをした場合がベストなんだけど、まあ別にお釣りが発生すればだいたい実行できるもので……まあとにかく、間違えたふりをしてお釣りを多く渡す。たとえば、料金が千二百円だったとして、その嫌なお客さんが何のてらいもなく一万円札を放り投げてきたりしたときに、まず、「お先に九千円いいですか」なんてできるだけハッキリと大きな声で言って、多いのはわかってはいるけども、まずは渡す。で、細かい八百円を用意しながら思い出したように「……あっ、千円多いですね。返してもらっていいですか?」と手を出す。そうすると、先に多く手にしたお客さんは、もうすでに千円多いのは気づいているはずで、「しめしめ」なんて思ってるはずだから、突然返還を要求されると自分がしていた悪行がバレたかのように反応するんだけど、「そっ、そうだよね、おかしいなーと思ったんだよ」とか変な演技をする。あたふたと焦っていて、何か、恥をかかせたようで、ちょっとスカッとする。

 まあこんな小さな仕返しだけども、小さいからこそ法にも関わらないわけで、まあそれぞれの武器(レジスタントの友)だって意図的に作ったわけでもない。「法的にどうなの?」って聞かれたら、自信もって「平気だよ」と答えられる。……けど、利用者の立場に立ってみると、こんな運転手がいたら、やっぱり嫌だ。法に触れてないからっていいわけでは決してないとも思うし……いったい、「法的にどうなの?」ってどうなの?
 

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