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早朝のデットヒート 祐天寺


祐天寺商店街

東急東横線の祐天寺駅。
上の写真は、祐天寺商店街。駅のロータリーから駒沢通りに向かって商店街が走っている。200mには届かないくらいの短い通りだ。
明け方、5時くらいだったか、その日は超ヒマで、普段はあまり来ないこの駅で客待ちしていたが、もう誰も来ないから諦めて帰ろうと思い、商店街を駒沢通りに向かって走り出した。と、その時、その男に出くわした。

ぼくとは逆に駅へと向かうその男は、20代半ばくらいか、松田龍平のようなあっさりとした顔で、オレンジとピンクの間くらいの七分丈のパンツに白い開襟シャツ、カンカン帽のような帽子を頭に乗せた、中目黒や祐天寺に多い劇団系といった類の若者だった。
ちょっと青ざめたような顔をしていた。ぼくが目の前まで来ると歩みをペタリと止め、思い立ったように手をあげた。
この時、その男の少し後ろにも一生懸命に走る、同じような帽子をかぶってバレリーナのようなスカートをはいた小太りの女の子が目に入る。

ドアを開け挨拶をすると、男は「祐天寺駅っ!」と乱暴に言う。
ちょっと気恥かしそうで、で、ちょっと半ギレっぽい。間違いかと思い、「すぐそこだよ」とフランクに返した。
「めっちゃ知ってる」と友達に話すように若者は答えた。で「もう……、疲れた」とも、もらす。

まあわかってるならいいや、と思い。ドアを閉め、駅は後ろだから、向きを変えようと前方を見回したが、これといった場所がない。で、どこかへケツを突っ込もうとバックした。
しかし、バックしても適当な路地がない。あっても狭くって却って時間がかかりそうで、だからもう「もうバックで行っちゃう……かな」ともらして、そのまま進行し続けた。

路地にケツを入れようかと考え、スピードを緩めると小太りのバレリーナはぼくを追い越し、でまたぼくは抜き返し、デッドヒート。おそらく、始発の電車が近づいている、か何かだ。

「もっとバア~っと行ってもいいんじゃねっ」と後ろに乗るカンカン帽の友達は友達言葉でいうから、ぼくも同じように「バックは危ないからダメだって」と。友達は、「う うっそぉ。ダメぇ?」と。ぼくは、「危ないよ!」と安全バックをしながら言い放った。
ぼくは後ろを振り向いたりせず、ミラーだけを見つめてマイペースでバックした。小太りのバレリーナは一生懸命に走っている様子だけど、超鈍足で一向に進まない。少しずつ引き離した。

とうとう駅のロータリーまでバックで到着。
「ここでいい!」から急いでくれ、と言わんばかりに千円札を投げ置く。
長年タクシーをやっているが最初から最後までバックのお客さんなんて初めてだ。
一瞬、こんなんでお金もらえるのか……と頭を過ぎった。が、このカンカン帽の馴れ馴れしさに、「世の中ってヤツを教えてやらなければ」と思い直し、また、小太りのバレリーナの苦労を無にするような行動はダメだ、と、「領収書はいる?」と最後までフレンドリーで、でも容赦なく言った。
お釣りを渡しているすきに小太りのバレリーナがぼくの前を走り去る。ドアを開けるとカンカン帽は飛び出し、バレリーナをすぐにまた追い抜いた。
果たして勝敗のゆくえは!

最後まで勝負の行方を見守るぼく。
カンカン帽の男は切符の販売機へ。小太りのバレリーナは、そのまま改札を走り抜けた。あわれ男は、Suicaを持って……いなかった。
             THE END
ps
電車が上を通る轟音を耳にしたぼくは、もう一度さっきカンカン帽を乗せた場所に戻り、写真を撮った。
前方のTSUTAYAの少し先が駒沢通り、ミラーに映る突き当たりの辺りが祐天寺駅。日本は豊かで、こうしてタクシー運転手にお金を落としてくれる。
お金だけではない。楽しいショートストーリーがぼくの心のアルバムにまた一枚追加された。売上は最悪だったが、この日の収穫にぼくは大満足で家路についた。


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