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桃山時代の雰囲気残す神社 〜橋雲寺①

今回は青森県弘前市にある橋雲寺に参拝してきました。

よくみたら鳥居の上部がないですね。

存在感ある立派な寺号標です。

この標は大正3年、高山松堂の書です。
書道を教えていた人物であり『梅軒先生余影』を編集しています。

面白いものでは『修学旅行』という雑誌に修学旅行の思い出話が元生徒との対談で載っていました。

クジラの骨を拾って交代で持ちながら帰ったり、宿での思い出だったりと今では想像のつかない冒険談のような旅行記が載って、まさに学を修める旅行のようです。

さて、こちらのお寺は神仏混淆の名残を残すところとなっていて、麓に橋雲寺、奥の院のように愛宕神社が鎮座しています。

簡単にお寺の由緒をまとめると

・津軽為信が勝軍地蔵を信仰し開基
・山号は愛宕山、院号は「勝利を導き、福嘉を与える。」の意から勝嘉院。
・津軽真言五山の一つ。辰・巳の津軽一代様
・愛宕神社は度重なる修復があるが、桃山時代の形式を伝え、勝軍地蔵を安置。
・勝軍地蔵は戦勝・火難除けの御利益があり、現在まで火災に遭っていない。
・護摩堂は明治19年に金木屋の寄進による。

このように、「勝負事」や「火難除け」にご利益のあるお寺になります。
桃山時代の形式を伝える建物が未だ残っているのはすごいことですね。

さて、頂上にある愛宕神社まで登ってみました。

緑が映えますが、結構な階段が続きます。

大正時代の天皇陛下銀婚式の記念碑

階段の途中には大正天皇の銀婚式の記念碑がありました。

稲荷社

さらに、稲荷社もあり、社号標はクルクル回した筆法が特徴的です。筆者不明も明末の傅山を彷彿とさせます。

社額は高山文堂の手になります。

高山文堂は前述の高山松堂の父親であり、同じく書道教師をしていた人物。

『槐陰犂夫小草 解説』には「お酒を飲んで筆を持てば瞬く間に作品ができる」と評されるほどの人物。巻菱湖風を学んだとあり、額には菱湖風の雰囲気が色濃く出ています。

微笑ましい地蔵さまに迎えられ、頂上まで辿り着きました。

桃山時代の雰囲気を残すとされ、緑の木々から朱が映えています。

次回は下山して橋雲寺を参拝します。

【アクセス】
青森県弘前市愛宕山下63

【参考】

中村良之進 著『青森県中津軽郡大浦村郷土史』,荒谷元一,昭和9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1186405 (参照 2024-02-17)

『修学旅行』(22),日本修学旅行協会,1956-12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2223458 (参照 2024-02-17) P22−27

木村繁四郎 [著] ほか『槐陰犂夫小草』解説,多賀谷健夫,昭和15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1104843 (参照 2024-02-17)

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