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【読書日記】『日々の絶筆』 井上有一著

近年の書家としてよく名前が上がるのは青山杉雨先生や殿村藍田先生、上田桑鳩先生など書道界に多大な影響を与えた先生方で、今なおそのお弟子さんたちが先生方を追い、追い越そうと筆を握っている。

それが今の書道界にあって、特定の流派の書風が席巻するのはピラミッド型の法則で、それはそれでいい。

だが、そんな世界から溢れてしまう「書家」がいるのは当然で、現在、個人で活躍している書活動をしている方をInstagramなどでも多く見かける。

そんな在野書家の代表者と言って差し支えない人物が「井上有一」氏である。

『日々の絶筆』はそんな井上氏の書作への気持ちなどを集め編集したものである。

とても表紙に似つかわしくない意味の「」字が訴えかけてくるものは個人的には読書前後で見え方が変わってくる。ガサガサしたこの字がとても豊かに観えてくるのである。

本当に幸福な世界を作る鍵は東洋が握っていることに気づいた。
美術においても進歩的な世界の芸術家の眼は多く東洋に向かって注がれている。彼等は貪るように東洋から何かを掴もうとしている。この時その東洋の最も深い書に、今や彼等は最も深い関心をよせるのである。すでに彼等は書の古典を相当に見ているものと予想される。

p104 より

海外出品に対しての想いを述べているこの一文にある「貪る」。彼等とは西洋芸術の視点からではあるが、実は作者たちもその1人として、貪るように書に向き合っている。というか、そうでないと芸術はできないと思わされる。

とはいえ、実は私自身、井上氏の字があまり好きな方でなかった。というのも作品を観た数が少なく、理解がなかったのもあるが、単純に「上手い」と思える字ではなかったからである。

書の上手い下手を話しはじめると方々からクレームが届きそうな気がするが、あとがきに芳賀徹さんが井上氏の字は「雄大なる下手」と書いているから許されるはず。

普段スマホやPCで字を書く機会が少なくなって久しいが、字を書くのに劣等感を持つ人は多くいると思う。
これは個人的な見解であるが、書がわからないと思っている人が多く、作品としても「売れる」作品が少ないのは実は、小・中学校時代に経験した規格通りに書く書写への抵抗感からきている部分もあるのではと昔から考えてきた。

この本からは「枠に捉われるな」など上手く書こうとする必要はないんだと、それよりも感情言葉への熱意が観るものに伝わるものになるのだと改めて教えてくれる。「東京大空襲」の作品も自分の言葉で書いているし、自分の言葉だからこそ、観る者に訴えかける力があると感じる。

そして、いかりや長介さんとの意外な関係も明かされる中、東京大空襲で戦火に見舞われた学校での壮絶な体験が書かれている。死んだのだと。
ここを読んだあとに置かれている「噫横川国民学校」が強烈なのである。

やはりアートは心に刺さるもので、生きる力を与えてくれる。

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